ムッシュKの日々の便り

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男と女――第三部(2)

 バトパハには市内に百人、市外に四百人ほどの日本人が住んでいた。彼らはゴムの値下りで苦しんでいたが、それに代わって鉄鉱の石原鉱業の業績が好調だったから、他の場所より経済的に恵まれていた。
 倶楽部に故国の新しい事情を持っている金子が泊まっているというので、話を聞きに来る者もあった。さらに郊外の事務所に招待されることもあり、そんなとき金子は、彼らの肖像画を描いて、なにがしかの金を稼いだ。バトパパでの滞在が一週間をすぎたころ、芳陽館ホテルの主人鎌田政勝に勧められ、西海岸に沿ってマレー半島を横断する旅に出ることにした。
 センブロン河に沿った地には、三五公司が経営する三つのゴム園や、公司から独立した大小のゴム農園があり、材木会社や鉱山もあった。こうして金子は十一月、バトパパから三五公司のモーター船に便乗してセンブロン河を北上することにした。
 センブロン河はバトパハ河をしばらく遡ると、サパコンで二つに枝分かれし、左に行けば石原鉱山にいたるバトパハ河の支流のシンパン・キリ川、右を遡ればゴム園にいたる支流のセンブロン河となる。d0238372_5311093.jpg 
 「川は、森林の脚をくぐって流れる。・・・泥と、水底で朽ちた木の葉の灰汁をふくんで粘土色にふくらんだ水が、気のつかぬくらいしずかにうごいている。
 ニッパ――水生の椰子――の葉を枯らして屋根に葺いたカンポン(部落)が、その水の上にたくさんな杭を涵して、ひょろついている。板橋を架けわたして、川のなかまでのり出しているのは、舟つき場の亭か、厠か。厠の床下へ、綱のついたバケツがするすると下ってゆき、川水を汲みあげる。水浴(マンデ)をつかっているらしい。底がぬけたようにその水が、川水のおもてにこぼれる。時には、糞尿がきらめいて落ちる。」
 「空は、軍艦の腹のように灼けて、燻ぶってそばへ寄りつくこともできないくらい、暑苦しい曇天であった。
 その空のしたで、植物どもは、一属、一群かたまって互に進撃し、乗越え、蔓延(はびこ)っていた。マングローブの枝を垂らしている近辺には、蘆竹はなかったし、ニッパ椰子の領域にはまだ、「猿喰わず」のたぐいは繁りあっていなかった。
 油虫のからだのようになめっこいオイル椰子、精悍で、くろぐろしたサゴ椰子のむらがるあたりには村落があり、二つ、三つの木の風見がくるくる廻っている。えび色の亜鉛屋根でアラビア風の丸屋根を真似た回教礼拝堂が、ごむの林のあいだにみえかくれする。
 さかのぼりゆくに従って、水は腥(なまぐさ)さをあたりに発散する。」
 「そして、川は放縦な森のまんなかを貫いて緩慢に流れている。水は、まだ原始の奥からこぼれ出しているのである。それは、濁っている。しかし、それは機械油でもない。ベンジンでもない。洗料でもない。礦毒でもない。
 それは、森の尿(いばり)である。
 無図は、歎いてもいない。挽歌を唄ってもいない。それは、ふかい森のおごそかなゆるぎなき秩序でながれうごいているのだ。」(「センブロン河」、『マレー蘭印紀行』)
 金子光晴は森林のなかを深く分け入る船旅で、自然の力をあらためて体験した。それはエクスタシーにも似た感動だった。のちに詩集『女たちへのエレジー』(一九四九年、創元社)に収められる「南方詩集」のなかの一篇「ニッパ椰子の唄」の原型は、この体験から生まれた。金子はこの旅の間も、ときどきに浮かんだ発想をノートに書きつけることを欠かさなかったのである。(続)
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by monsieurk | 2016-05-19 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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