ムッシュKの日々の便り

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男と女――第四部(4)

 三千代の「日記」によると、フォンテーヌブローへ出かけたのは一九三〇年一月四日のことである。
 「一月四日
 フォンテンブローの記
 夜の九時に、ガール・ド・リヨンから南方へ行く汽車に乗り込んだ。時間を考えずに来たから七時半頃から駅前のカフェに休んで時間を待ったのだ。
 汽車はガラ空きで、四人しか一つの車輛にのってはいない。
 ずっと暗い闇の中をはしった。
 三つ目の駅がフォンテンブローで、ついたのは十時二十分であった。
 透きとおった寒い夜の中に降りると、いかにも大森林の中の駅らしく、樹木に近く、静かなものだ。
 電車に乗って、プラスデンクールに向った。
 諏訪のおやじさんにもらった名刺の紹介のホテル、Hôtel de l'aigle noirはすぐにわかった。
 風呂つきの八十法(フラン)という部屋はすばらしく立派で寝台は見た目にも豪奢である。
 もう晩いのでバスに入ってすぐにねた。」(「日記」)
 フォンテーヌブローは先にも触れたように、パリの南西六十五キロにある街で、街の西側には一万七千ヘクタールの広大な森がひろがっていて、今日でもパリや近郊の人びとの格好の行楽地となっている。森とは街を挟んで反対側、セーヌ川沿いには歴代の王たちが離宮として愛したフォンテーヌブロー城(写真)があり、d0238372_7292062.jpg二人が宿泊したホテルは王宮から百メートルの位置にあった。ここはいまも四つ星の高級ホテルとして健在である。
 フォンテーヌブロー滞在の二日目は雨で、街を散策してすごした。食事は節約して一人八フランの定食ですませたが、ホテルの部屋は家具など豪華そのもので、部屋の四面が鏡張りだった。三千代がベッドに横たわるとその姿が四面の鏡に映っていくつにも見える。それで遊びを思いついた。
 「 (前略)オテル・イーグル・ノアールではすごい豪奢な部屋に通されたんです。冬のことですから季節外れでして、他に客なんか一人もきていないんです。ルイ十五世式の部屋でして、すごい寝台が部屋のなかにドンと置いてありましてね。ガラスの切子細工のシャンデリアが、上からガチャガチャ、ガチャガチャとさがっていまして、部屋の四方は額縁みたいになった鏡がずっと取巻いて、下はフカフカの絨毯、椅子から長椅子、全部なにからなにまできんきらきんのルイ十五世式。そういうところへ通されちゃった。ベッドなんか大きいから、その上に体を乗せると、スポーンとなかへ入っちゃう。そうしたら金子が、こういうりっぱな部屋に入ったんだから、ロマン派の詩人で、宮廷のことや貴婦人のことを書いた詩人アルフレッド・ド・ミュッセの名前をあげまして、どうだい、ミュッセごっこをやろうじゃないかということになりました。私は、中国だとか南方の夜店だとか、パリに早目に着いている間にジプシーの店から、二フラン、三フランで買ってきた耳飾りとか首飾りとか腕飾りとか、みんなガラクタなんですけれどもハンドバックに入れて持ってまして。それを、裸になりまして、体じゅうに全部飾ってベッドに横たわるんです。金子は騎士になりまして、詩を朗読して聞かせるという、それがミュッセごっこなんですよ。
 松本 それはフランスでよくいわれていた遊びですか。
  いえ、自分たちで発明しただけのミュッセごっこ。
 松本 ははあ。
  そういう豪華な部屋だから、部屋にふさわしいような遊びをやろうというので、そんなことをして時間つぶしをしたわけです。
 松本 部屋は暖かいでしょうから、ほとんど裸になって、その飾りをつけて。金子さんのほうも裸になって、それなりの飾りだけつけて。
  そうそう。ジャワサラサを腰に巻いたりして、詩を朗読する、暗誦したりして。どうですか、ちょっと豪華でしょう。そういう、ちょっとした日々もあったんです。」(「金子光晴の周辺」6)
 この逸話には金子と森三千代の生き方がよくあらわれている。このフォンテーヌブロー行きにしても、二人の所持金がなくならないうちに楽しい思いをしようということで実行したのだった。そのあとの生活費の見通しは立たなかったが、いまできる経験を積むことが大事だった。
 一月五日は一日かけてフォンテーヌブロー城を見てまわり、夜は活動写真を見た。
 d0238372_7302618.jpgフォンテーヌブローの森の一角にあるバルビゾン村を目指したのは、翌六日のことである。広大な森には縦横に道が通り、それぞれに名前がつけられていた。リュ・ド・パリ(パリへの道)という、自動車も通る広い道を行くと十字路にぶつかる。その度に地図で確認して、葉を落としたマロニエの林や、白い石灰岩が隆起した場所を通過して、午後三時ごろ目指すバルビゾンに着いた。テオドール・ルソー、ミレー、コローたちバルビゾン派と呼ばれる画家たちの住居兼アトリエを見てまわった。
 森のなかにある落葉が水面を覆った池の畔のベンチで、ともに八十をこえたと見える老夫婦が並んで座っていた。隣でそれをじっと眺める三千代を見て、「この人生で、こんなことが窮極の幸福であるとおもわせたくない」(『ねむれ巴里』)と、金子は強く思った。
 七日はまたフォンテーヌブローの森をあちこち散策したあと、八日には汽車に乗ってパリへ戻ってきた。金子はフォンテーヌブロー行について、「この森でいくばくかの日をすごしたことが、無駄ではなかったとおもった。森の大気は乾ききって、規矩(ものさし)でさしたような、ジオメトリックな、その縦の平行線の無限の連続は、しかし、なにをこの僕に課そうとしているのであるか、それはおそらくいたいほど冷静な思索の序列となって残りえなくても、その爽快な雰囲気が僕のなかにゆれたなびくものとなって、そのあと十年、第二次世界戦争のときの僕の決意に廊然としたある影響を与えてくれたものと考えていいだろう。」(同)と書いている。
 三千代は、パリに着くとアリアンス・フランセーズへ赴いて、進級の手続きをすませた。こうしてひとときの宴は終わりを告げた。
 三千代の一月十三日の日記。
 「”Ma mère je suis triste・・・”
 きょう見たシネマの最後のティトルが目についてはなれない。
 母さん、私は悲しい。
 子供がそういって、母に訴える時、すべての母は、しずかにうなづいてやる。しずかに髪の毛をなでてやる。しずかに額に唇を近づけてやる。
 母さん、私は悲しい。と、おまえはいうか、私の坊やよ。お前の生活の戦いの中で。
 まだ六つになったばかりのおまえの生活の・・・。
 そして私はまたしてもtrés loin〔うんと遠いところにいるの〕を悲しむ。
 「母」という名、それは犠牲ということに等しい。
 
 私はどれだけおまえの為に犠牲となったろう。何もなっていなかったような気がする。
 私は自分勝手なのだ。”母さん、私は悲しい”
 と、おまえ前の声が聞こえる。

 歩道を雨が叩いている。リュクサンブルグのプラタナスのやせほそった冬の指先が、空に合掌している。
 私はもう自分の部屋に帰って、フランス語の文法を読もう。
 ・・・・・・・・・・」(「森三千代の日記 パリ篇」2) 
 
 
 
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by monsieurk | 2016-06-18 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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