ムッシュKの日々の便り

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男と女――第四部(7)

 シャンジュ・シュバリエがダンスの場だけですめばよいが、日本人の間ではパリへ来たがゆえに、伴侶を取りかえる事態がたまに起きた。金子はこのころ池本喜三夫を通じて武林夢想庵、文子夫妻と知り合いになったが、池本は一時文子の世話をしていたことがあり、やがて文子(写真)d0238372_10381184.jpgは夢想庵を棄てて別の男のもとに去ってしまった。
 金子が知ったもう一組のシャンジュ・シュバリエは、装飾画家の蕗谷紅児と妻りんだった。蕗谷は一九二九年に金策のために、妻と幼い赤ん坊を残して一時帰国し、その留守中に、妻は留学していた某大学教授に乗り換えてしまった。三組目は、生活能力がない若い文学青年の夫婦で、彼らもパリにさえ来なければそうした目に遇わずにすんだかも知れなかった。金子にとってもこれは決して他人事ではなかった。
 「馬鹿騒ぎ」の夕をきっかけに懇意になったコミエは、三千代に愛着するようになった。彼はその気持を、金子がいる前でも平気で示した。
 「僕も、彼が悪びれず、人の妻に心を寄せ、それをそのまま歪めもせずにふるまいに出してみせるのに、反撥を殆んど感じなくなっているじぶんにおどろいていた。僕のなかで、なにかが変わっていまっているのを、はっきり意識した。彼女に対する愛情の変化というようなちょろいことではなかった。澱んだ水が、しらぬまにどこかへうごきだしている感じであった。なにか組織更(が)えがはじまっていた。そのときの心境を、日本にいるときに体得しえていたら、事態はこんなふうにはこばれないですんだことは、当然であった。(中略)パリに来てクープルの組み替えが多いのだという確証が、僕にも実感としてつかめてきた。彼女にとって僕が、どう考えても満足な配偶者でないことがわかっていた。もっと適当なあいてがあらわれたら、手を貸してそのあいてに引渡すべきで、そのうえこだわるようなことはしない程のゆとりは僕にもできていた。」(『ねむれ巴里』)
 思えば土方定一の許に走った三千代を強引に引き戻すために、先の見通しのないままにパリまで来て、ようやくこうした心境になったのである。これは金子の偽らざる気持だった。
 コミエの三千代への執心は執拗で、そのことで妻のガブリエルと喧嘩をしたことまで金子に話した。三月二十七日、謝肉祭の日の三千代の日記。
 「カルナバルの最終日。
 ポート〔ママ〕・ベルサイユは、青い夜の蝋燭のように明るかった。
 自動車の中で私の丸帯の金糸の上でソービ色の花が萎んでいった。
 肉体の疲れと、悪夢のような限りない饒舌。
 踊り場で、タンゴのステップがそのままあらゆる焦燥と悲哀との地だんだであった。
 煙草を一服つけて・・・・。
 ムッシュ―、私の唇をそんなに見てはいけません。
 ワルツが又聞こえてくる。
 赤い長襦袢を着たマダム、階段の中途で、私はあなたの眼から、あなたの横顔から、氷のようなものをあびせかけられた。
 私は間ちがえた所に着陸した飛行家のやうに、うろたえる。
 そしてもう一度、私の飛行機は上昇しなければならない。」(「森三千代の日記 パリ篇」3)
 三千代は金子にコミエとのことを隠さずに報告した。ある日は呼び出しがあって彼女が行くと、彼が待っていてしつこく口説かれ、大勢の人がいるなかで二の腕や首筋まで舐められたといった。そんなことはここでは皆やっていると金子がいうと、コミエはよい人だが、彼の恋人になるのは嫌だから、クラマールを離れようと言い出した。
 池本の仕事はだいたい片がついたが、仕事の報酬を最初に決めておかなかったために有耶無耶のまま、池本は五月にパリを離れて地方へ行ってしまった。彼は一九三一年に、「明治維新とその農村社会階級におよぼした影響(La Restauration de l'ere de Meiji et sa repercussion sur les milieux agricoles Japonais)」を雑誌に発表し、ナンシー大学から理学および農学の博士号を授与された。金子がやった下調べは、この論文に活かされたと思われる。
 
 
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by monsieurk | 2016-06-27 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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