ムッシュKの日々の便り

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男と女――第四部(9)

 藤田のところには、シュルレアリストの詩人ロベール・デスノスが厄介になっていた。詩では食えないので銀行に勤め、藤田の愛人のユキと懇ろな関係のようだった。藤田はそんなことにお構いなく、せっせと絵を描いていた。
 三千代は東南アジア以来書き溜めてきた詩をフランス語にして,、パリで出版する計画を温めていた。「一つのからだで前うしろに頭のある神様のやうに、詩は彼女にとつて、二様の性質を持つたものだつた。一つの顔は清浄で彼女の心を高め、誠實の守護神ともなるものだつたが、もう一つの顔は巴里の表面に浮かび上らうとする野心と虚栄の修羅妄執の形相だつたのだ。」(『巴里アポロ座』)d0238372_1664062.jpg 
 三千代はこんな思いを抱きつつ藤田に相談すると、彼は普通の詩集を出しても詩人は何万人もいるパリでは注目されない。むしろ「ガリ版で刷って、日本の着物でも着て、クーポールやドームの喫茶店に夜人の出盛るころに行って」(同)売り歩くように勧め、フランス語はデスノスに添削してもらうことになった。藤田のところには、シュルレアリストの詩人ロベール・デスノス(写真)が厄介になっていて、詩では食えないので銀行に勤め、藤田の愛人のユキと懇ろな関係のようだった。
 絨毯に寝転んだデスノスは、手にした草稿と三千代の顔を見くべながら、鉛筆で豆粒のような小さな字で手を入れた。彼女が不出来なフランス語を恥じると、デスノスは、「フランス語なんかになっていない方が結構。その點、どうぞ御斟酌なく」といい、しばらく預かるといった。三千代は帰り道、心の重荷を一つ取り除けた気持になった。出版が実現するかどうかは、もうどうでもいい気分だった。
 五月三十一日の日曜日、クラマールのコミエが永瀬から住所を聞いて、モンスリの部屋を訪ねてきた。初夏のような日射しの強い日だった。日本語が通じないは彼は、机の上にあった仏和辞典を開き、aimer(愛する)、impossible(できません)、cruel(つれない)などの単語を指さしながら三千代を口説いた。
 最後は金子を交えて三人でモンスリ公園へ散歩に出たが、金子は途中から姿を消してしまった。内心ではハラハラしながら、男があらわれると干渉しない態度をとるのは金子のいつもの態度だった。
 三千代は思いのほか早く戻ってきた。コミエにしつこく迫られたが、なんとか振り払い、それでも次の日曜日にもう一度会うことを約束させられたと告げた。『巴里アポロ座』にはこのときの様子が描かれている。
 「節子(三千代)が宿へかへると、友田(金子)が待ちかかまへてゐて、シャルパンチエ(コミエ)とのランデー・ブの模様を聞きたがった。節子は、はだかをみせつけるやうな氣持で、出来るだけこまかくその情景を語つた。それを聞いてゐる友田は、迫つてくる夕闇の中で、おちつきを失つた。ぎろぎろした眼をかがやかせながら、腕組をして窓際に立つてゐた。友田のなかにかき立てられてゐるものがなんだか知つてゐる節子は、それによつて自分もかき立てられてゐるのをおぼえた。」(『巴里アポロ座』)
 これは小説であって虚実のほどは定かではない。ただここには二人の関係、とくに三千代から見た当時の二人の間の機微がよく示されている。
 一週間後、コミエとのランデヴが鬱陶しい三千代は、金子と相談の上で、出がけにドアに、“ Je prie, dérangez pas.(お願い、そっとしておいて下さい)”」と張り紙をして、夜まで映画を見て歩いた。金子は新たに負債を背負い込んだような惨め気持になった。アパートに帰ると、扉にピンで止めるおいた紙が、赤いバラとともに部屋に差しこまれてあり、紙の裏にはペンで次のように書かれていた。
 「親愛なる奥様。
 あなたは、子供が人形をこはすやうに、一つの真摯な、堅固な愛情をこはしてしまはれました。私は、あなたに對して、責めることも、憤ることもできない。あなたが私を愛して下さらないなら、私には何の資格もないのですから。しかし、あなたは、私をなぶりものになさる権利はなかつたのです。ふたゝびはこゝへはまいりますまい。左様なら。」(『アポロ座』)
 この日、三千代は日記にこう書いた。
 「姦通罪というものがあるであろうか、知らない。
 姦通なんて不必要な言葉だ。字引から抹殺しちゃえ。
 Polonais〔ポーランド人〕――
 Regardez pas ça moi〔そんなに見つめないで〕
 困ったな。
 アンブラッセ〔抱擁〕、ベゼ〔接吻〕、それから、
 つまんないじゃないか。ダンスでもやろう。」
 さらに、このころの日付のない日記――
 「十年まえ、ある男はいった。
  どうしても学校へ入りたいの?
  どうしても東京へ行きたいの?
  十年後、又ある男はいった。
  三千代さん、フランスへ行くのを止めて下さい。
  
  どっちもあたし、聞かなかったけど。
  
  今から十年後、私が地獄へゆく時に
  誰が引きとめてくれるだろう。
  誰にも抱かれずに、霜の上に・・・・
  
  坊や、おまえだけは、それを聞いた時、
  想い出してくれるだろうか。(お前の三千代母ちゃんを!)」(「森三千代の日記 パリ篇 3」)
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by monsieurk | 2016-07-03 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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