フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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男と女――第四部(10)

 松尾邦之助から頼まれた会費集めにパリ中の会員を訪ねるほかに、二人で街をあちこちと歩きまわった。『巴里アポロ座』にはその様子が描かれている。
 「二人はよく出歩いた。あてもなく街を歩くといふことはくたびれることだつた。殊に巴里のやうに、軒づたいにしらず歩いてしまふやうなところでは猶更であつた。芝居の花道のやうな、舗道にこぼれたカフエのテラスの椅子は、疲れた散歩者の憩ひ場所でもあり、ゆきゝの人を眺める見晴しでもあつた。巴里はいたるところに、足を休めるに適宜なこの憩ひ場所があつた。」(『巴里アポロ座』)
  二人はモンパルナスやモンマルトルの盛り場を歩き、イタリア大通りに並ぶシネマで活動写真をよく観た。活動写真は映像から筋を追うことができた。芝居のセリフはまだよく聞き取れなかったが、ゲテ通りにあるテアトル・モンパルナスで、ソビエトの演出家F・メイエルホリドが演出するゴーゴリの『検察官』が上演されたときはわざわざ観に行った。
 散歩では宿から近いモンパルナス墓地や、リュクサンブール公園のボードレール像(写真)を見たり、d0238372_21481833.jpgペールラシェーズの墓地を訪れた。ここは一八七〇年のパリ・コミューンのとき、多くの市民がたてこもって最後の抵抗をこころみたところで、彼らが銃殺された壁には赤い花環がいつも捧げられていた。さらに郊外のサン・ドニの教会も訪れたが、歴代の王の墓が黒ずんでいて不気味だった。ヴェルサイユを見学した折は、三千代はルイ十四世の寵妃ポンパドゥール夫人の豪華な寝台にもぐり込み、パリの地下のカタコンブからは、十六世紀の人骨を一つ土産に盗んできたりした。 
 困ったのは、金子がペナンで買い、パリに来て下ろした靴が半年も経たずに底が擦り切れてしまったことである。底のゴムがめくれ、気をつけないと何かにひっかかって前のめりになってしまう。とくに地下鉄の階段を降りるときが危険だった。三千代も東南アジアの旅以来の冬服しかなく、着たきり雀で、暑くなりはじめたパリの日々をすごしていた。
 金子はモンスリ公園の近くで靴の修理屋を見つけ、靴を脱いで修理を頼んだ。靴下のまま入口の柱にもたれていると、つばのある帽子をかぶり、首から前掛けをした中年の親爺がゴム底に手をかけると、いきなり剥がして、そばのごみ入れにぽいと投げ入れてしまった。親爺は、両手をひらく仕草をすると、「これは、もう穿けない。修繕のしようがない」といった。
 怒り心頭に発した金子は、一瞬おやじに殴りかかろうとしたが思いとどまった。屈強な相手は勝てそうもなかったし、騒ぎになって警察沙汰になれば、パリ在住の手続きをしていないことが分かってしまい、パリ追放という結果がとっさに思い浮かんだからである。結局、相手の理不尽なやり方を色々あげて抗議したが、拙い語学力では半分も通じず、修理屋はぽかんと金子の顔を見やるばかりだった。
 金子は無事だったもう片方と、底が剥がされた靴をごみ箱から拾い出して、パリ市庁舎近くの百貨店へ行って革と麻糸と針を買い、リュクサンブール公園のベンチに坐って靴を修理した。しかし素人が底を縫いつけた靴はいつ分解するかも知れず、外出のときは麻糸で靴を足の甲に縛りつけ、なるべく人に見られないように満員電車を選んで乗った。これから待ち受ける悲劇が足の方からやってきたようで、不吉な将来を思わずにはいられなかった。
 金子は池本喜三夫からの定期収入がなくなり、会費徴収も思うにまかせず、パンも食べずに、壁にくっついた破れたベッドで小さくなっていることが多くなった。三千代は反対に、パリ生活を楽しむのに貪欲だった。そしてモンパルナスの「白鳥」というダンス場で、藤田の甥からモデルとして有名だったアイシャを紹介された。
 アイーシャ・ゴブレット(写真)d0238372_17332384.jpgは、フランス領マルチニック生まれの父とフランス人の母の間に生まれた。父はサーカスの曲芸師で、彼女も六歳のときから場内を走る馬の乗り手をつとめた。その後は舞台に立ち、褐色の肌と大きな目が観客を惹きつけた。その点でジョゼフィン・ベーカーを先取りした存在だった。やがてモンパルナスに住んだ彼女は、この界隈に巣食う若い画家たち、パスキン、キスリング、モジリアニ、フジタらのモデルとなり、多くの肖像画に描かれた存在だった。
 ただ三千代が出会ったころは、画家たちが有名になる一方で、アイーシャはかつての思い出に生きる中年女になっていた。「彼女の若さはもう、パスキンやキスリングやモジイリアニ〔ママ〕が、カンバスの上にのこりなく移してしまつた。その残骸を抱いたアイーシャの心に、美術の秋の季節の、一年一年は、どんな淋しさを増してゆくことだらう。」(「アイーシャ」、『をんな旅』所収)それでも街の灯がともると盛り場に繰り出すは昔のままで、三千代は気に入れられ、家にも呼ばれる仲となった。
 アイーシャは三千代に、「巴里といふところは、完全無缼なべつぴんさんにはあきあきしてゐるんです。目だけでもいゝんです。誰も眞似手のないやうな色つぽい秋波が送れたらね。お尻のふりかただつていゝんです。個性的だつたら。さういふものを世間が血眼になつて、朝から晩までさがしまはつているところです。巴里ところは。」(『巴里アポロ座』)といいきかせた。
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by monsieurk | 2016-07-06 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)