ムッシュKの日々の便り

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男と女――第四部(14)

 三千代が「日記」で「額縁作っている所を見にゆく」と書いているのは、パリに戻って早々、クラマールの版画家永瀬の紹介で、モンパルナスに近いラスパイユ通りの額縁をつくるアトリエを訪ねたのである。この件については、金子の『ねむれ巴里』のほかに、三千代も『巴里アポロ座』で「オーキ工房」という一章を設けて書いている。
 三千代がオーキとしている人物は、事実は松田というハワイの生まれの画家で、アメリカ経由で半年ほど前にパリへやって来た。彼はフランスへ着くなり漆器会社にデザイナーとして雇われ、生活費を切りつめて資金をつくると、古い額縁の模造品をつくるアトリエを設けた。ルネサンス風の唐草模様を彫り、まがい物の金粉を塗り、それをわざと削り取って古色をつけたものだった。だがこれがフランス人画家の間で評判になりつつあった。彼は工房を開くと、食いつめた日本人画家を集め、彼らの生活の安定を計るという触れ込みで事業をはじめた。趣旨に賛同した永瀬などは設立基金に名を連ねていた。
 金子と三千代が訪ねたときは、すでに数人が鑿で模様を彫ったり、ヤスリをかけたりして額縁づくりに励んでいた。松田はフランス語ができず、横浜生まれの混血児のブーランジェを雇って外交を任せていた。彼は言葉巧みにモンパルナスの一流画廊のドランの信用を得て、近々額縁の展覧会を開くという話まで持ってきた。
 金子と三千代はアトリエで働くことにして、金子は見よう見真似で額縁にジャワで見た面や魚などを彫り、三千代は仕上げのヤスリかけを受け持った。ヤスリかけは手が荒れて辛いうえに、日給は二十フランの約束だった。パリに戻ってすぐにダゲール通り二十二番地のホテルの四階に空部屋がでて、そこへ移っていたので稼がなくてはならなかった。
 金子は額を部屋まで持って帰り、鑿に布を巻いて金槌の音を立てないようにして夜中まで彫った。だが部屋の掃除にきた女中が、床の合わせ目に入った木屑を見つけて宿の主人に言いつけた。ペルシャ人の彼女が検分にきたが、「夜中にあんまり音をさせないでくださいね。他のお客さんが眠れませんから」と言っただけで出て行った。
 額縁づくりがどれほどで続いたのかは定かではないが、やがて金子は大本教の西村とは別人の西村という人物から、工房の仕事をやめるように忠告された。彼はメニルモンタンのある工場で漆器に中国風の線画を描いて、自分一人が食べられるだけの手間賃を稼ぎ、静かに生活していた。ただ彼は金子がパリで出会った初めてのインテリで、新刊本にも目を通していた。金子は勧められて、詩人で小説家のブレーズ・サンドラルの小説『黄金』(一九二五年)や『ダン・ヤックの告白』(一九二九年)を読み、その鋭い表現にうたれた。『黄金』はスイスの百万長者がカリフォルニアの金の発掘で没落する物語で世界的な評判を得た作品だった。金子はこれからまた本を読むことをはじめ、文学に復帰するきっかけとなった。
 金子が額縁づくりを辞めたのには、もう一つの出来事があった。ある日アトリエに出島春光という日本画家が来て、松田から金をせびり取ろうとした。出島は日本人社会では強面で通っており、金のありそうなところを訪ねてはゆすりまがいの手で金を持っていくと評判の男だった。このとき松田は囲っていた女にあり金を持ち逃げされた直後で、出島も仕方なく引き下がったが、アトリエにいる金子を見ると外に呼びだし、二人で組んで金儲けとしようと誘った。
 出島は本名を啓太郎といい、金子と同じ一九一五年(大正四年)に東京美術学校予備科(日本画科)に入学したから、二人は名前や顔を知っていた可能性がある。出島は美校を中退すると、チェコのプラハやベルギーのブリュッセルで絵を描いて展覧会に出品した。
 彼の自慢話は、ベルギー国王が展覧会に来た折、つかつかと進み出ると、いきなり国王の手を握って、「ボンジュール・ムッシュ」と挨拶した。これがその日の夕刊に写真入りで出て、一躍名が知られたというのである。その後パリへ来て、墨絵で風景画を描いて少しは評判になったが、それで食べられることはなかった。
 出島は金子が大使館の武官から金を借用におよんだ話を聞いており、同類と思ったのかもしれない。こうして出会った二人は、連れ立ってなにかと仕出かすことになる。
 出島に金が必要なのにはわけがあった。彼は年増のフランス女と生活をともにしていたが、彼女の全身をマッサージするだけで、身体は決して許されなかった。女には別に情夫がいて、出島が持ってくる金は女と情夫に吸い上げられていたのである。それでも出島は文句もいわずに、パリへ来たばかりの日本人などの許を訪ねては、半ば強引に借金を繰り返していた。
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by monsieurk | 2016-07-18 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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