ムッシュKの日々の便り

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男と女――第四部(16)

 パリには早朝に着いた。駅から歩いてリュクサンブール公園まで来て、誰もいない噴水のかたわらのベンチに腰をかけて休んだ。リヨンまで出かけていきながら何の収穫もなかったことを三千代に告げることを思うと気が重かった。それでも帰る先はダゲール通りの部屋しかない。しばらく時間をつぶしたあと、公園を抜けてホテルまで歩き、絨毯を敷いた階段を二階の踊り場まで上がると、そこに肘掛椅子があり、フランス人形が一つ、裳を開いて座らされていた。金子は足の間に鞄をはさんで隣へ腰かけた。自分の人生の時間から外してもらいたいような時間だった。
 かつて国木田夫妻と上海へ出かけたときのように、今回のリヨン行きでは、わずかな有り金をすべて持って行ったために、留守の間三千代がどうやって生きていたのか分からなかった。あのときの二の舞という疑心暗鬼が金子の気持を暗くした。
 ようやく踏ん切りをつけて、部屋の扉をたたいた。中から眠そうな声で、「どなた」という答えがあり、金子だとわかるとスリッパをつっかけて鍵をあけにきた。部屋に入った金子は、寝台の下や洋服箪笥の中までのぞき込んだ。三千代はそんな金子を、「差押えのお役人みたいね」といった。憔悴した金子の姿からすべてを察した彼女は、皺くちゃの五フラン札二枚と十フラン札を出して小机の上に並べると、「あたし、明日の火曜日から、十日ばかり稼ぎに出ることにした。五十フランの手付の残りよ。おひるは、なにかうまいものを買ってくるから、寒そうな格好をして。氷の板みたいじゃないか。みんな脱いで床へもぐり込み、一寝入りしようよ、まだ、早すぎる」(『ねむれ巴里』)といった。
 三千代が翌日から行くというのは、アリアンス・フランセーズの仲間の知り合いの安南人〔いまのヴェトナム〕女性から紹介されたモデルの仕事だった。パリ郊外のオートゥイユに大きな豪邸を構えている彫刻家が日本人のモデルを探していて、そのモデルをやってみてはどうかという話だった。彫刻家はプリンス・カエタニと呼ばれるようにイタリア人の貴族だという。三千代はさっそくオートゥイユの屋敷を訪ねた。
 広い前庭のある玄関をおとなうと、立派な服装の執事が出てきた。主人は近くの競馬場に出かかているが、三千代が来たら待ってもらうようにということだった。一時間ほどするとカエタニが帰ってきて、広いアトリエに案内された。彼は五十がらみの立派な体格の男で、礼儀正しく親切だった。アトリエには多くの胸像が並んでいて、紹介してくれた安南人の女性の胸像もあった。
 三千代に本当に日本人かどうかを確かめた上で、翌日からぜひ通って来てほしいという。ポーズは一日に二時間。報酬は毎日四十フランくれ、最後の日にはまとめて一日十フランの割り増しをくれるという約束だった。金子にこの話をすると、ポーズは裸になるのかと聞いたが、カエタニとの約束は胸像をつくることなので、裸になるのは上半身だけだと答えた。
 こうして三千代のモデル仕事がはじまった。モデル台が高いので自分では上がれず、カエタニが軽々と彼女を抱いて台に乗せてくれた。そのあとに同じくらいの高さの台の足に車がついたものをそばに持ってくる。この台には粘土がのっていて、乾燥を防ぐたまに布がかぶせられていた。
 カエタニは長いコンパスのようなものを持ち出して、三千代の顔の寸法を測り、それを粘土に突き刺して大体の見当をつけ、不要な粘土を削りはじめた。こうして凡そ一カ月の胸像づくりがはじまった。d0238372_7502072.jpg
 ポーズをしている間、日本のことをはじめ色々なことを話した。彼はローマに大荘園がある由緒ある家柄で、台頭しつつあるムッソリーニとも旧知の間柄だった。邸宅の客間をさまざまな人種の彫刻で飾るのが夢だということだった。
 ポーズが終わると執事に命じてイタリア産のベルモットや、つまみを持ってこさせることもあった。また外出のついでに、車で彼女を近くまで送ってくれることもあった。こうして制作された胸像の正面に、カエタニの名前と並んで三千代の名前を漢字で彫り込んだ。
かつて彫刻家のオーギュスト・ロダンが、ヨーロッパをまわっていた踊子の花子をムードンの邸宅に住まわせ、彼女をモデルに幾つも彫刻をつくったが、三千代の胸像もこうして制作され、写真がいまも残されている。
 モデルの仕事は一カ月ほどで終わり、その後は日本料理店の会計係、オペラ通りにある日本人相手の土産物屋の店番、ポルト・ド・ヴェルサイユで開かれる世界見本市(フォアール)の売り子などの話が持ち込まれた。どれも一長一短で、十月初めから十一月中旬にかけて開かれる見本市で働くことにした。さっそく日本から出品する西陣の織元や陶器や漆器の輸入商の人たちに紹介された。なかにはパリ在住の臨時雇いの人もいたが、彼らの誰もがモンパルナス界隈にいる日本人と違って、地道でよく働く人たちだった。
 三千代の受け持ちは岐阜産の竹細工の玩具売場で、値が安いうえに売り子が着物姿の日本女性ということもあって人が集まり、売り上げも上々で給料の外に歩合給をもらうことができた。決まった時間に見本市へ通う毎日は、これまでとは違うパリを三千代に見せてくれた。
 「出勤の朝の巴里は、彼女がいあまだかつて知らなかつた巴里だつた。新しく買つた、腰にくゝりのあるフレンチコートを着て、寝足りないからだでよろめきながら、彼女は、霧の海のなかに浮いている地下鐡(メトロ)入口の方へ急ぐ。濃霧に行き悩む車の警笛が絶えずひゞく。歩いてゐる人はみんな咳をしてゐる。メトロに乗る前に、そこの角の珈琲店で朝食をとる。出し立ての朝のコーヒーのにほひが、巴里の朝のにほひなのだ。そのにほひに包まれて、人々と一緒に、立飲臺の向つてならぶ。珈琲店の床は洗はれ、椅子はまだ逆さにしてテーブルに上げである。立飲臺の向ふでは給仕が手わけして、目のまわるやうな忙しさで、つめかけてくる客に、真鍮のコーヒー沸しのねぢをひねつて、コーヒーをついで出したり、からのコツプを引つこめたりしてゐる。客は、勤人、労働者ばかりだ。女達も男たちのあひだへからだで割込んではいる。彼女達は、オペラやキヤバレで男たちのあひだへ挟まつている女達とは別種の女達だ。また、モンパルナスの夜の椅子に腰掛けに行く女達ともちがつてゐた。事務員、タイピスト、賣子、そのほかもつと力のいる労働に従事するもの等々で、男のやうに革外套を着てゐるものもある。横つちよにのせたベレ帽の額から金髪をはみ出させ、鼻の頭をまつ赤にしてゐる。彼女達は、一刻を急いでパンをおしこみ、コーヒーでのどへおし流す。おあほり高いコーヒーは、この人達を、巴里の日々の滑動のただなかへ送り出す。そして、節子〔三千代〕は、自分もこの連中の一人になつたことに共感と生甲斐を感じてゐた。」(『巴里アポロ座』)
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by monsieurk | 2016-07-24 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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