ムッシュKの日々の便り

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男と女――第五部(7)

 パリにいるとばかり思っていた金子の手紙は、ブリュッセルからのものだった。
 「ここ二ケ月は八百屋の二階の貸部屋にいる。水とパンでも一ケ月位はしのげる。タッセル〔ルパージュ〕氏が時々、晩餐に招いてくれるので、その時だけは、食事らしい食事ができる。こちらはそんな有様だが、そっちはどうか。アントワープからブリュッセルまでは汽車で二時間で来られる。できるだけ早く会いたい。こっちから出かけてもいいが、そちらの都合が、つけば、こっちへ来ないか。タッセル氏にも紹介したい。君からもよく礼を言ってもらいたい。きょうまでは居所が転々としていてアドレスの知らせようもなかった。ともかく君の返事を待つ。来る時間がわかれば駅まで迎えにゆく。」(『去年の雪』)
手紙にはこうした内容が書かれていた。三千代はさっそく宮田に一週間の休暇をもらい、展覧会の開催中にブリュッセルへ向かった。中央駅には金子がルパージュと待っていて、彼女を紹介した。握手をしたルパージュの手は大きくて温かかった。パリで別れて以来の金子は見覚えのありすぎる青い背広を着ていて、すっかり憔悴していた。d0238372_7301042.jpg
 この日は三人で昼食をしたあと、ルパージュの車で南へ十キロあまり離れたテルヴューレン公園の森を抜けて、十四世紀の初めに建てられた三つの塔をもつベールセルの古城を見学した。街まで送ったもらった二人は、オ・ボン・マルシェというデパートの食堂で、「アンリ四世」という名の料理をたべて宿に戻った。
 部屋の暖房兼調理用のストーブには、牛骨とセロリと野菜をとろとろに煮込んだ大鍋がのっていた。金子は具をつぎ足して、毎日これを食べ、寒い夜はオランダ製のウォツカを壜から一口飲んで眠りについたといった。ベッドは狸の寝床のような臭いがした。
 三千代は、ベッドのうえにガーターベルトとぶら下がったままの靴下を投げ、たった一枚のシュミーズを脱ぎ、乳房をおどり出しながら、彼女の癖でアントワープでの出来事をなにもかも性急に細大もらさず報告した。
 「――だって、その男って馬鹿馬鹿しいんだもの・・・どこの男だって? しらないサ。いったいアンベルスって、インテリなんて一人だって居やしない。気のきいたことなんてわかるやつない。その点淋しいよ。それは西陣の織物染物に研究に派遣されたんだった。その男、二、三人は月に、ヨーロッパをまわってビューロー〔事務所〕へやってくる。そいつたちを案内してやるのが仕事サ。文部省だとか、プロフェッサーだとかいうサンサシオン〔感覚〕のないのもくる。奴らは、あんなことでいいんかしら。(中略)
 ――で、そいつ、始めケイ〔河岸〕をみせてやった。――そいつの心持はスッカリわかってる。遠い国ねきて自分の国の女と歩くもんだから、スッカリもう詠嘆的になったやがる。カジノへでもつれていって、かえりにダンスへでもゆけば、あがっちゃうにきまってる。だって、誰が糞! もう愚劣な奴は沢山だ。あたしドンドン、ノートルダムのなかへ入っていった。それから、うしろむきの椅子にもたれて、お祈りをはじめてやった。――奴さん。ビックリしている。それからマゴマゴはじめたが、しまいに妾(わたし)と同じ真似をして頭をもたれにのせた。あたしはもう決してうごかないで、困らしてやろうと思った。
 ――それで結局どうした?
 ――結局? 日がくれる迄いて、うちへかえってきた。だって、可笑しくってたまらなくなるんだもの。」(「安土府(アントワープ)、『フランドル遊記』所収)
 三千代はブリュッセルに一週間滞在し、その間に二人は電車に乗ってディーゲムへ行き、ルパージュ家の人たちに歓迎された。そしてブリュッセル市内や近郊を散策したが、その間にこれからどうするかを話し合った。
 展覧会を開いてかなりの大金(大部分はルパージュからし出ているものだった)を手にした。二人が一緒に日本へ帰る旅費には足りず、金子のなかでは三千代との間に一度かたをつける方がいいとの思いが募った。独身の方が三千代の就職に都合がよいのが第一の理由だった。これには三千代も異論はなく、むしろ彼女の決心の方が固いようであった。
 彼女がアントワープへ帰る日、二人はブリュッセルの南十八キロにある、ナポレオンの敗北で名高いワアーテルローへ汽車で出かけ、ピラミッド形の記念塔に上った。雨が降っていて展望はきかなかった。そこでこんな会話があった。
 「――では、今日はアントワープへかえるんだネ。
 ――かえる。でも、かえる前にすっかり話をきめてかえらなくっては、承諾したのネ。
 ――じゃ、ふたりは別れるんだな。
 ――わからないのネ。別れるんなら苦労はしない。別れないの。ただお互いに自由になるだけなの。」
 こうして三千代はアントワープへ戻り、三月九日、アントワープの帝国領事館に離婚届を出した。金子の戸籍には、「妻三千代ト協議離婚届出昭和六年参月九日在アンベルス帝国領事蓑田不二夫受付同年四月七日送付」とある。ブリュッセルでの話し合いの結果だったが、金子には強い未練が残った。彼らが戸籍上ふたたび夫婦となるのは二十二年後の昭和二十八年(一九四八年)十二月二十二日のことである。
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by monsieurk | 2016-08-17 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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