ムッシュKの日々の便り

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男と女――第五部(13)

 照国丸は利用客は増えた一九二九年(昭和四年)一月に進水したばかりの豪華貨客船で、一等船客一二一名、二等六八名、三等客六〇人名を収容できた。船内は益田権六の蒔絵の装飾がほどほどこされ外国人客にも人気があった。当初は横浜とロンドンを結んでいたが、アントワープまで乗り入れていたのであろう。d0238372_1782681.jpg 
 当時の航海スケジュールによれば、アントワープからロンドンまで二日。その後はロンドンを出てイベリア半島をまわり、スペインのジブラルタルまでが四日。さらにここからマルセイユまで三日。マルセイユからスエズ運河を通り、コロンボまでが十八日。そこからシンガポールまでさらに六日の航程であった。アントワープから船で行けばマルセイユまで九日を要したわけである。
 一方、金子の記述のようにブリュッセルから汽車でパリへ出て、そこで乗り換えマルセイユに行ったとすると、二日目の夜にはマルセイユから乗船することができた。『西ひがし』の「マルセイユまで」では、このルートをたどったことになっている。
 パリの東駅についた金子は深夜にリオン駅を出る汽車で翌日マルセイユに行けば予約した船にギリギリ間に合うので、それまでの時間をパリで費やすことにした。先ずタクシーで向かったのは、モンパルナスのクポールやドームのある界隈だったが、真冬の季節では名物の路上に張り出した椅子はすべて店内に引き込まれていた。スーツケースを置き、椅子に座ってしばらく往来を眺めていたが、知った顔は見かけなかった。
 周囲の人たちの会話を聞いていると、話題はこの日の夕刊で報じられた満州事変のニュースで、フランス人は一様に日本軍の暴挙を非難していた。関東軍は一九三一年九月十八日の奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路を爆破して満州事変に突入し、この年一月三日には錦州を占領し、戦線を中国へと拡大した。金子が夕刊で見たのは、このニュースであった。
 ニュースはベルギーでも報じられているに違いなく、日本人をかばってくれるルパージュの立場やアントワープにいる三千代のことが心配だった。
 夜になって、リュクサンブール公園の近くの中国料理屋に立ち寄り、来たときの船で一緒だった中国人女子留学生の譚の消息をたずねると、二カ月ほど前に帰国したとのことだった。このあと地下鉄の駅近くのカフェに入ってインクとペンを借り、三千代に手紙を書いた。宮田に無理を頼んで、適当な貨客船で帰らなければ、事態はますます難しくなる一方だ。ついには子どもとも会えないような結末になるかも知れないと書いて、アントワープの彼女宛てに投函した。そして予定通りリヨン駅から夜汽車に乗り、翌七日の昼前にマルセイユへ着いた。
 日本郵船の事務所で確認すると、貨客船の香取丸は積荷が少ないから翌日一月八日の早朝五時に出航予定で、特別三等だから藁ベッドと毛布もついているとのことだった。夜のうちに船に乗り込むと、浄土真宗の住職や天理教大学の先生がおり、金子のベッドの下には若いフランス文学の研究者が寝ていた。彼は宮崎嶺雄といい、金がなくなり大使館から強制送還されたのだった。金子より後に日本を出てきたので、新芸術派がプロレタリ文学に代わって台頭し、小林秀雄の批評が文学世界を一変しつつあるといった、最近の文壇事情をよく知っていた。彼は話をする以外は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の原書を読んでいた。
 金子は乗船して間もなく、ブリュッセルを去るにあたっての気持をノートに記した。それが、『フランドル遊記』に「ブリュッセル市」として紹介されているものの一部である。
 「――ミチヨ。もう忘られないことなんて一つもない。正直なところ人は、次の瞬間には、観念的印象しかもてるものではない。ブリュッセルは私から剥脱してゆくだろう。人の愛情も、親切も、あととなり、先になり、亡びてゆくものをどうすることもできない。ブリュッセルが亡びてゆくように、君も亡びてようくだろう。君が私に対するものも私が君に対するものも、いつまで保証されよう。
 現に君が、トーケイ〔東京〕に残した男に於けるが如く・・・他のものに対しても又同様のことが云える。・・・私と君のあいだには何一つのこるものはない。一枚の記念写真もない。日記も書かなかった。・・・二人のあいだにある乾坊・・・あれだって二人につながるなにものでもない。彼は立派に独立した一個の人間的存在である。ブリュッセル市民に、幸福であるようにというように、私は、君にむかってもその言葉を云おう。君と遊んだ、君と歩いた、君といっしょであったがために特別たのしかったブリュッセル市の朝な夕なの片顔が、今は猶、眼の先にうかべてみることができる。しかし、それもいつまでも、私のなかでハッキリちていることができよう。(中略)
 八年という年月がふたりをくっつけていた。夫れが八年という長さであるがために、たちきり難いものを残すことを軽蔑するのだ。・・・それがために相互がもっと朗らかな心持で恋愛とか生活とかをつづけてゆくことができなければ、それは一番悪い結果だ。(中略)
 ブリュッセル――それだって、いつおもい出す機会があるかしれたものではない。恐らく、もう決しておもい出さないか、瞬間的におもい出すことがあっても・・・それをジッと追及する時間など、考えられないことである。そんなに環境が重いのである。生きることが苦しいのである。風景も、美術品も、私の注意の対象にならない。それほどLA VIE〔人生〕がゆきづまりになっているのである。
 人間のからだと心を奪ってゆくものは金である。”Mais, Merci, Bruxelles, Merci, Lepage, Merci, Michiyo〔そして、ありがとう、ブリュッセル、ありがとう、ルパージュ、ありがとう、三千代〕・・・・・”」(「ブリュッセル市」、『フランドル遊記』所収)
 これは金子が三千代にむけた惜別の言葉だった。
 書くのに疲れると、船倉をあがって二等船客のサロンへ行き、黒板に張り出されるニュースの電文を読んだ。可能な限り最新の新聞記事を閲覧することができた。中国北部で起こっている関東軍の越境事件が、上海に飛び火しそうになっていたが、二等船客はだれも関心を持っていないようだった。最後は軍事力に頼ればいいと考えている日本人の安直さに違和感をいだいた。(第五部完)
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by monsieurk | 2016-09-04 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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