フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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男と女――第六部(21)

 金子は松本亮との対談集『新雑事秘辛』(涛書房、一九七一年)の「「鮫」のまわりのこと」で、詩篇「鮫」がヨーロッパからの帰途のシンガポールで発想されたと、次のように語っている。
 「その「鮫」ですがね、その十年来、長い詩らしいものをかいたのは始めてでしょう。で、「鮫」を長尾君の部屋で発想して、シンガポールの町やそこらをぶらぶら歩いて材料を集めて、乱雑ながら一応まとめてね。それを日本へもって帰って、新宿の竹田屋へ落ちついてから、そこでもう一ぺん書き直したんですよ。ですからね、同じ『鮫』の中の作品でも、その当初は、あの長いやつだけしかなかったなんです。」
 金子は海外を放浪する間、小さな手帳や大学ノートに時どきの印象や出来事を書き残す習慣をまもっていた。「「鮫」の場合は、帰りのシンガポールでずいぶんいろんな材料、感じたものを大学ノートに、歩きながら書いたんですね。それは、半月くらいかかっているかもしれませんね。それをそのまま持ってきたんですよ。作らないで材料だけ集めて、メモしてね。」(同)
 シンガポールでは、一夕大使館勤めの安西と郊外にあるカトンへ出かけて、日本料亭で遊んだことがあった。店へは桟橋を渡って行くのだが、座敷の畳を敷いた簀子の下は海で、そこでは鰐が潜んでいて、残飯や野菜くずが落ちて来るのをじっと待っているという話を聞かされて、金子は強い衝撃をうけた。
 そもそもヨーロツパへの往路、ジャワに滞在していたときに鮫を身近に感じる経験があった。
 「鮫の生態に対する嫌悪みたいなもの。それを感じたのは、バタビアのずっと沖合に、俗にサルマジといって人の住んでいない島があるんですよ。そこへジャワ日報の人たちにつれていってもらってね。帆船で行ったんですよ。(中略)そしてその島にあがると、枯木があってね。それが枯木の葉も何もついてないところに、ぶつぶつに赤い花が咲いてるってふうで、すっ頓狂な感じですよ。その島の裏のほうが入江になっていて、それがまた、なんかぬるぬるしたような泥ぶかい入江で、木にいっぱい、木登り魚がくっついていた。鮫が卵を産みにくるところで、そりゃ不気味なかんじがある。だから、鮫の実感からきたんですね。その実感がなければ、あそこまで長い詩を鮫でひっぱってゆくことはできないね。」(同)
 さらにさかのぼれば、一九二六年(昭和二年)に、三千代と一緒に中国を旅したときに得た題材を描いた詩を『鱶沈む』にまとめたが、表題の「鱶沈む」にはすでに、

  「おゝ、恥辱なほどはれがましい「大洪水後」の太陽。

  盲目の中心には大鱶が深く深く沈む。
  川柳の塘(つつみ)沿ひに水屍、白い鰻がぶら垂つてる。」

 と書かれていて、金子には海(川)とその底にうごめく鱶(鮫、鰐)の強烈なイメージが棲みついていたことがわかる。ただ、「鱶沈む」の段階では、中国大陸大規模に進む欧米列強(日本も含む)の搾取の実態を見聞し、犠牲となった者たちの水死体に喰いつく鰻が、不気味にぶら下がっているといった上海の現実をリアルに表象した。ただ加害者を象徴する大鱶はまだ「深く深く沈ん」でいた。
 金子はその後に経めぐった東南アジアの各地で、植民地の生活の苦難つぶさに眺めた。そして自分自身も精神的、物質的に追い詰められた生活を送るなかで、この現実を自らのものとして行った。そして長尾のところで読んだ本の影響も見逃せない。
 「シンガポール日報の長尾正平氏の家でごろごろしながら、僕は、スチルネルを再読し、レーニンの『帝国主義論』を熟読した。僕の考えはいつのまにか、ふるい植民政策を批判するようになっていた。搾取と強制労働で疲弊した人間のサンプルには、事欠かなかった」(『自伝』)。さらに、「(西洋の)石と鉄の文明の大きなシステムが、僕には『魔道』のように見えてきた。その頃、僕は、神と国家と家とすべての権力を否定する考えのとりこになっていた。ドイツのマックススティルネルによって、性の引き算の勉強をしていたからだ」(「政治的関心」)とも述べている。
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by monsieurk | 2016-11-08 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)