ムッシュKの日々の便り

monsieurk.exblog.jp ブログトップ

男と女――第六部(22)

 マックス・スティルナーの代表作『唯一者とその所有』は、辻潤によって一九二〇年(大正九年)に翻訳され、金子は若いときに読んでいたが、それをアジアの現実のなかで再発見したとき、たとえば、「革命と叛逆とは同義語と見做れてはばらない。(中略)革命は人に組織を命ずる。叛逆は人が勃興し彼自身を高めることを要求する」といった一節は、一層切実な主張として感得できた。そしてこの主張は、群れることを極端に嫌悪する金子の気質にぴったり呼応するものだった。こうして金子は批判精神を発動するようになった。
 詩にあっては批評こそが枢要なものであり、批評は現実の再現をこえて、現実を否定する。そして詩はそれを一層強く生かすべく圧縮し、煮つめられたかたちで発動する。金子は「鮫」を書くことで、こうした視点を自らのものとしたのだった。さらに「鮫」は、帝国主義批判の立場で書かれているが、その底にはすべてを否定する強い決意がただよっている。

俺を欺し、俺を錯乱させ、まどわす海。
だが、俺は知ってゐる。ふざけてはこまります。海をほのじろくして浮上ってくるもの。
 奈落だ。正体は、鮫のやつだ。
鮫は、ほそい菱形の鼻の穴で、
俺のからだをそっと物色する。

奴らは一斉にいふ。
友情だ。平和だ。社会愛だ。
奴らはそして縦陣をつくる。
それは法律だ。輿論だ。人間価値だ。
糞、又、そこで、俺達はバラバラになるんだ。

 「俺」は、近代国家のお題目である、友情、平和、法律、人間的価値を決して信じない。そんなものを信じれば、たちまち鮫(奴ら)の鋭い鋸歯で喰いちぎられ、バラバラにされてしまう。ここには明らかにスティルナーの思想の影響が見てとれる。
 
 そして「鮫」の最後の第六章――

あゝ。俺。死骸の死骸。ただ、逆意のなかに流転してゐる幼い魂、からだ。
常道をにくむ夢。結合へのうらぎり。情誼に叛(そむ)く流離。俺は、この傷心の大地球 
 を七度鎚(つち)をもって破壊しても腹が癒えないのだ。
俺をにくみ、俺を非難し、わらひ、敵とする世界をよそにして、いう然としてゐる風を装
 ひながら
俺はよろける海面のうへで遊び、
アンポタン〔竜眼肉に似た大きな果実〕の酸っぱい水をかぶる。

あれさびれた眺望、希望のない水のうへを、灼熱の苦難、
唾と、尿と、西瓜の殻のあひだを、東から南へ、南から西南へ、俺はつくづく放浪にあき  
 はてながら、
あゝ。俺。俺はなぜ放浪をつづけるのか。
女は、俺の腕にまきついてゐる。
子供は、俺の首に縋(すが)ってゐる。
俺は、どこ迄も、まともから奴にぶつかるよりしかたがない。
俺はひよわだ。が、ためらふすきがない。騙(だま)す術も、媚びるてだてもない。一さ
 いがっさいは奪はれ、びりびりにさけたからだで、俺は首だけ横っちょにかしげ、
俺の胸の肉をピチャピチャ鳴らしてみせた。

鮫。
鮫は、しかし、動こうとはしない。

奴らは、トッペン〔ジャワの仮面劇の面〕のやうなほそい眼つきで、俺たちの方を、藪に  
 睨んでゐる。
どうせ、手前は餌食だよといはぬばかりのつらつきだが、いまは奴ら、からだをうごかす   
 のも大儀なくらゐ、腹がいっぱいなのだ。
奴らの胃のなかには、人間のうでや足が、不消化のまゝごろごろしてゐる。
鮫の奴は、順ぐりに、俺へ尻をむける。

そのからだにはところどころ青錆が浮いてゐる。
破れたブリキ煙突のやうに、
凹(へこ)んだり、歪んだりして、
なかには、あちらこちらにボツボツと、
銃弾の穴があいてゐるのもある。
そして、新しいペンキがぷんぷん臭ってゐる。

鮫。
鮫。
鮫。
奴らを詛はう。奴らを破壊しよう。
さまなければ、奴らが俺たちを皆喰ふつもりだ。

 「鮫」は、この年(一九三五年)の改造社の「文芸」九月号に載った。するとこれを読んで感動した「中央公論」の編集者、畑中繁雄が詩の寄稿を依頼するために訪ねて来た。
[PR]
by monsieurk | 2016-11-11 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://monsieurk.exblog.jp/tb/23599692
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
line

フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31