ムッシュKの日々の便り

monsieurk.exblog.jp ブログトップ

男と女――第六部(23)

  畑中は「金子光晴全集月報6」の「森さんのことにふれながら」で、この時の様子を伝えている。
 「「鮫」にいたく感銘したあまり、余丁町のお宅に金子さんを訪れたぼくは、『中央公論』に詩一篇の寄稿を乞うた。そのときも金子さんは、初対面のぼくを前において、高村光太郎をはじめとして現代詩人の多くが、時代の空気に煽られて、まさに土井晩翠の現代版に逆もどりしてゆく傾向を大いに慨嘆され、ここに四十台そこそこの金子さんと三十前のぼくは大いに共鳴し、話に熱気がこもりはじめた、そのとき、奥手の襖があいて和服の婦人が入ってくるがちらりと見えた。「家内です」と紹介されて、ぼくはおやッとおもった。森三千代さんの笑顔がそこにあったからである。森さんが金子夫人であることをご本人はかつて一度も口にしなかったし、森さんがすでに詩文を『中央公論』にもちこんでおられたことを、逆に金子さんは知らなかったようでもある。
 金子さんの詩篇は、数日後郵便で送られてきた。「燈台」であった。」
 金子は同じく対談集『新雑事秘辛』で、「「鮫」以外のあの詩集の詩はだいたい、旅行からきてからのものですね」と語っている通り、壺井繁治の要請で、「蚊」が雑誌「太鼓」一九三五年十一月号に発表された。編集兼発行人は壺井の甥の戎居仁平治であった。
 雑誌が出ると、戎居はすぐに内務省警保局に呼び出された。検閲の係官は、「時局をわきまえぬ反戦詩であると断定し、語調きびしく次号からこういう類のものを載せると発禁にするといわれたが、〈蚊〉の削除販売の処分は免れた」(「『太鼓』発行名義人の回想」)という。軍人を蚊にたとえるとは何事かというのが検閲官の言い分だった。
 こうしたなか、今度は「燈台」が「中央公論」十二月号に掲載された。夏の房総半島への旅行で想を得たといわれる詩にはこう述べられている。

そらのふかさをのぞいてはいけない。
そのふかさには、
神さまたちがめじろおししてゐる。

飴のやうなエーテルにたゞよふ、
天使の腋毛。
鷹のぬけ毛。
青銅(あらかね)の灼けるやうな凄まじい神さまたちのはだかのにほひ。秤(かんかん)。

そらのふかさをみつめてはいけない。
その眼はひかりでやきつぶされる。

そらにさからふものへの
刑罰だ。

信心ふかいたましひだけがのぼる
そらのまんなかにつったった、
いっぽんのしろい蝋燭。
――燈台。
[PR]
by monsieurk | 2016-11-14 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://monsieurk.exblog.jp/tb/23605470
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
line

フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31