ムッシュKの日々の便り

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男と女――第六部(26)

 金子はおっとせいのなかでただ一頭の、「おっとせいのきらいなおっとせい」として自分を描いている。しかしその「おいら」も、「やっぱりおっとせいはおっとせい」で、「ただ / 「むこうむきになっている / おつとせい」にすぎないと痛烈に自己を批判している。彼もまた俗衆のひとりであることを免れてはいない。
 金子の詩は、この時代にあって明らかに異質であった。
 「当時の僕には、詩の傑作はあまり問題ではなかった。僕は、当時の詩の周辺に対する諸疑念をたしかめ、じぶんの認識をしっかり心にきざみつけるため、納得のゆくためにだけ、詩を書こうと心組みした。そういう意味で、僕は、過去の僕の詩の書きかたと全くちがった方法で詩を書き出した。いずれは僕の人生の一つの総決算をして、プラスとマイナスをはっきりさせ、じぶんじしんにつきつけるためであった。」(『詩人』)
 先にも記したように、「おっとせい」を含めた詩集は、一九三四年(昭和九年)三月頃には、古谷綱武たちの「鷭社」から出版することが決まっていた。だがその矢先に「鷭社」が資金難からつぶれて、計画は頓挫してしまった。
 金子は『詩人』で、「僕は、しかたがなしに詩を書いた。詩集にするという話が、『詩原』をやっていた遠地輝武君からあって、まとめにかかった。遠地の方の話が駄目になってから素人の本屋さんが、印刷機械をもっているので、詩集『鮫』を、四号活字で豪華なものにする目的で、紙型までとった。武田麟太郎のやっていた『人民文庫』社で出版するという話が最後にあった」と書いている。
 この記述のように、「鮫」の一篇だけを、遠藤輝武が詩集として出したいといってきたが、これは実現しなかった。次いで素人で出版社をやっている秋山龍三が印刷機をもっているので、ここから出版しようという話が持ち上がった。このときは四号活字で組んだ豪華なゲラ刷まででき、紙型までとったが、資金と緊迫する時勢を考慮した結果、出版されなかったの思われる。
 こうして詩集は出版されずに終わったが、ゲラ刷を読んだ赤松月船が、雑誌「日本詩」に批評を書いた。これは詩の大部分にあたる百三十行を引用したもので、批評というよりは紹介に終始したものであった。こうして実際の詩集が刊行される一年前に、批評が出るという珍妙な事態が起ったが、赤松の引用と、のちの人民社版を比べてみると、金子がこの間に、「鮫」を推敲修正していることが分かり興味深い。詩集『鮫』はこうした難産の末、一九三七年(昭和十二年)八月に「人民社」から出版されることになる。




 
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by monsieurk | 2016-11-23 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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