ムッシュKの日々の便り

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男と女――第六部(31)

 『鮫』の反響は多くはなかったが、発売後間もない八月十七日には、前橋にいた萩原恭二郎から手紙が来た。彼が主宰する「コスモス」に、詩「エルエルフェルトの首」を載せて以来の知り合いだった。
 「ほんとうの詩人の詩といふものに自分はしばらく接しないでゐた。君のやうにものを把み上げてゆく人を詩人といふのだとおもひます。これだけの認識と技術、量と質をもってゐるものなら、序文があろうがなかろうとあらうと問題ではない。存在である。実にかうした人のゐることは、自分の生き甲斐を増させるものであり、またいつか自分のものも正当に見てもらへると思って、実によろこばしい。」(『萩原恭次郎の世界』)と書かれていた。感激した金子はすぐに返事を書いた。
 さらに雑誌「詩作」十月号の新刊紹介の欄で、無名氏がこう書いてくれた。
 「(『鮫』は)しばらく振の著者の詩集だ。一くせある詩人として昔から知られてゐる著者のこの新しい詩集は中々の逞しさだ。正直のところ最近の詩壇での秀逸と言つてよからう。良き構成をもち、熱情をもち、底深くドス黒い血のやうな生々しさが読者を襲ふ。著者の南洋放浪時の所産ときくが単なるエキゾーチズムではない。鋭い感覚と人間的な情熱が虚無に向つて吼えてゐる力強い聲がきこえる。『鮫』という詩はいゝ詩である。その一節を抜く――
 鮫は彼らから / 両腕をパックリ喰取つた。 / そして、いういう彼らのまはりを / メッカの聖地の七めぐりを真似て / 彼らを小馬鹿にしながらめぐる。 / 鮫はAUTOのやうにいやに / てかてかして / ひりつく水のなかで段々成長する。」
 さらに岡本潤は、「人民文庫」十月号の「金子光晴詩集『鮫』」で次のように評した。
 「復讐の文学といふ言葉があるとすれば、『鮫』一巻は実に復讐の集積である。(中略)
 南洋から欧羅巴を裸一貫でうろつき乍ら、どうにもならぬところまで追ひつめられた彼が、詩を復讐の擲弾としたといふことは決してなまやさしい偶然ではない。(中略)純粋詩論家や浪漫主義者などのお天気感情ではどうにもならぬドンランな現実世界に彼がのたうち生きている証拠である。(中略)『おつとせい』に於いて、彼は俗衆への侮蔑と嫌悪を吐き出してゐる。俗衆に瀰漫するさういふ『思ひあがつた凡庸さ』こそが、彼の侮蔑と嫌悪の対象なのだ。彼はおつとせいの中のおつとせいである。たゞ『むかふむきになつている、おつとせい』である。何故むかふむきにならずにゐられないかは、気まぐれな生理的条件によるのではなく、社会の風潮を凝視する、必然を視る眼がさうさせるのだ。この刺すやうな凝視は『塀』に於いてやゝ悲愁を呈し、『燈台』に於いて鋭烈をきわめ、『紋』に於いては辛いユーモアをたゝへてゐる。『泡』や『どぶ』には虚無(ニヒル)を感じさせるものがある。そのニヒル的なものの裏には常に彼自身のどぎつい社会的憤懣がたぎってゐるので、それらの詩はことごとく東洋的な退嬰とは反対の方角に指針する。特に長詩『鮫』に於いて、そのニヒル的なものは、あくまでも肉体的な逞しい相貌を呈して復讐すべき敵にたちむかつてゐる。その不敵な面だましひと臓腑! 詩集『鮫』はピンからキリまで、謂ふところの『日本的なもの』に逆立する。この詩集が今日出版されたといふことは、それが出るべき必然を以て出ただけに一つの驚異だとさへ僕はいひたい。」
 長年、交流のある岡本潤の評はさすがに的を得たものであった。ただ金子の詩の正体がこうして明かされることは、取り締まり当局の目を引くきっかけになりかねなかった。たまたま道で出会った前田鉄之助は、「君、いい加減にした方がいいよ。当局だって、めくらばかりがいるわけじゃないんだから」と忠告した。
 一方で、北海道大学の形成外科医で、詩を書いている河邨文一郎が「おつとせい」を読んで衝撃をうけ、わざわざ余丁町の自宅を訪ねて来た。彼はこの機会に金子に師事して弟子第一号となり、終生にわたって親密な関係を結ぶことになる。
 詩集『鮫』を出版したあと、金子は「人民文庫」十月号に、詩篇「洗面器」を発表した。「人民文庫」は発行する度に、発禁処分をうけていた。
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by monsieurk | 2016-12-09 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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