ムッシュKの日々の便り

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男と女――第六部(32)

 
 洗面器

 洗面器のなかの
さびしい音よ。

くれゆく岬(タンジョン)の
雨の碇泊(とまり)。

ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。

人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし。

洗面器のなかの
音のさびしさを。

 この詩には序文がついている。「(僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。ところが、爪哇人たちは、それに羊(カンピン)や、魚(イカン)や、鶏や果物などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたへて、花咲く合歓木の木蔭でお客を待つてゐるし、その同じ洗面器にまたがつて広東の女たちは、嫖客の目の前で不浄をきよめ、しやぽりしやぽりとさびしい音を立てて尿をする。)」
 金子は、女が洗面器で放尿し、ビデ代わりにする光景を中国旅行中に目にしたとのちに語っている。このイメージは彼のなかに強烈な残像として残り、それにジャワで見た光景が加わって詩に結実したのだった。
 彼の詩はどれも、対象にたいする冷徹な眼差しがうかがえるが、それは人間という存在についても同様で、生ぬるい、いわゆるヒューマニズムとは無縁のものである。彼はフェムニストだといわれ、女性に捧げられた詩も多く、彼女たちに向ける目が優しいのは事実である。だがそれもフェミニスト特有の優しさとはどこか違っている。
 この点に関して作家の小池真理子は、「金子は女性に魅かれ、女性なしでは生きられなかったにもかかわらずず、女性が持っている即物的な性、動物的な側面を目いっぱい嫌悪していた。性的満足を得るためだけに関わる女性と、恋心を抱く女性をきっぱりと区別していたところもあった。(中略)とはいえ、彼の女性嫌悪は、女性蔑視では決してない。嫌悪と蔑視では、天と地ほどの差がある」(「鑑賞――男たちへのいたみうた」、金子光晴詩集『女たちへのいたみうた』後書き、集英社文庫)と書いている。
 女性ならではのこの鋭い指摘は、「洗面器」にも当てはまる。そしてこの詩から浮かび上がるのは、女性だけでなく人間そのものがもつ悲哀である。多くの人が「洗面器」を、「鮫」や「おっとせい」と並ぶ、この時期の傑作としてあげるのはそのためである。
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by monsieurk | 2016-12-12 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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