ムッシュKの日々の便り

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男と女――第六部(36)

 天津の街の真ん中を寒々とした白河が流れていて、流れよった氷がそのまま凍っていた。街の建物の多くは日本軍の爆弾で瓦礫のようになり、市政庁は牌楼と塀だけが残るといった惨状だった。それでも夜の街は日本人でごった返していた。二人は永瀬の案内でイギリス租界や南郊へ行って大洪水のあとの白河を見た。
 「「日本を出るときは、まさかこんな夜なかに天津の街をほっつき歩けるとは思わなかった」
 と、奇妙な気がしてならなかった。」ついこの間までここは戦場ではなかったかと思うからだ。そして戦争だからこそ安全なのだという論理にはなかなか到達しにくいのであった。しかも私の目にうつっている明朗北支は、軍の力のお蔭で仮りに支えられているもので、われわれは日本人であるということで、誰も彼も、軍の威光を背なかに背負って歩いているのだということを認めないわけにはゆかない。」(同)
 金子と三千代は天津で目にしたものを記述し、市庁舎の跡地についても書いている。だが苛烈をきわめた南開大学への爆撃について触れていない。
 三千代は天津見物の合間に、ひそかに紐先銘の消息を求めた。紐の実家が須磨街にあると聞いていたので、幾度か電話をしてみたが要領を得なかった。そこで人力車で家を探し当てて、閉まっている鉄門を叩いたが応答はなかった。
 街を歩くといたるところが宣伝ビラの洪水で、「日軍信頼」、「防共産党」などと印刷されていた。主に華北青年会がつくったものだということだった。日本租界では日本にいるのと変わりはなく、日本の通貨も一律五銭という不文律のレートが決まっていた。金子はこうした表面的な中国の人たちの追従的な態度の裏にあるものを見逃さなかった。
 「彼らのこのうって変わった阿諛的態度には、潔癖な日本人には不愉快になるものもあろうし、軽蔑を投げたくなるものもあろう。しかし、それは、彼らがどんな大きな天災地変にも対応して生きのこっては繁栄してきた歴史を考えるとき、とほうもない彼ら民族の辛抱の強さであることがわかってくる。これこそ中国の人たちがよく口にする「没法子」、「仕方がない」という言葉に象徴されるものである。彼らは「仕方がない」、だからまたやり直そうと考えるのだ。金子はこの天津の人たちの生き方のうちに、この不屈さを感じ取っていた。ルポルタージュの最後は、次のように結ばれている。
 
 凍氷(こおり)の底に忘れられてある鍬はいう・・・・没法子(メイファーズ)!
 驢馬は、驢馬の目やにはいう。没法子!
皿を持ったままの掌の骨。皿はいう没法子!
 骨もいう。没法子!

 そして支那には、没法子より強いものはないのだ。
 収税役人(とりたてやくにん)よりも、
 始皇帝よりも。
 
 日本の侵略にあってもじっと堪えて時を待とうとする中国の人たちの姿を「没法子」という一言に集約した金子の慧眼はさすがだが、この含意を当時の読者がどれだけ読みとっていただろうか。
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by monsieurk | 2016-12-24 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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