ムッシュKの日々の便り

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男と女――第六部(39)

 王府井にはさらに、数十軒の中古本屋が軒を並べる通りがあった。事変後、中国の出版界は休止状態で、古本の日本に関係する本や日本語の手引きの類が飛ぶように売れ、反対に過激な思想の書籍や排日的な論調の著者の本はきれいになくなっていた。政府側の通達によるものか、本屋が自発的に引込めたのかは分からなかった。ただその統制ぶりが不気味だった。
 一見平穏な北京で戦時を実感させるのは毎日変わる為替相場だった。二人は外出のときに、宿の帳場で小出しに円を両替したが、十円につき十銭も減ることがあり、それが三、四日続くと、なにか異常事が勃発したのではないかと不安にさせられた。その上、偽札が横行していて用心が必要だった。
 年が明けた一九三八年(昭和十三年)元旦、金子と三千代は八達嶺の万里の長城へ行くことにした。厳冬のさなかの旅行に周囲の人たちはあきれたが、戦火が収まり大同まで列車が通じ、張家口までは軍の許可なしでも出かけられるようになっていた。
 早朝一番に乗り込んだ列車は、通路はもとより網棚の上にも人が乗っている有様だった。列車は途中、激しい抗日運動があった精華大学のそばを通り、ようやく青龍橋站という山間の駅についた。ここからは満鉄の従業員の世話で案内人がついて、三千代は驢馬に乗り、
金子は徒歩で行くことにした。途中で山から下りてくる駱駝の隊商の一行とすれ違った。磧につくと、そこには日章旗がはためく小屋があり、兵士が驢馬の上の三千代に銃剣を突きつけて、誰何した。
 八達嶺へ行くというと、「なんだ。日本人か。そんな恰好をしているからまちがえるじゃないか。」と言って笑った。三千代は偽のアストラカンの外套と帽子に、スキーズボンという異様ないでたちだった。写真を撮ってはいけないこと、山の裏側には八路軍の兵三百五十人ほどが残っているから、注意するようにと厳重に言い渡された。城壁の下で驢馬を乗り捨て、崩れた石段を登った。ちょうど正午だった。
 「正月元旦、私は八達嶺の嵐を力一ぱい吸いこんだ。自分が荒鷲になって羽ばたくような音を耳にきいた。頂上の城櫓のなかは破片で狼藉をきわめ、周囲の石壁には墨や刀痕でいろいろな字が刻みつけてあった。洛陽人張奎文だとか、日奴国仇也とかいう中国人の刻字のあいだに、部隊の名を連名で刻みつけた皇軍の刀の痕もあった。激しい風の音が櫓の窓穴でひゅうひゅうと唸り、洪水の押寄せる時のように轟々と虚空にとゞろいていた。」(『をんな旅』、「八達嶺驢馬行」)
 万里の長城の上から彼方をのぞく三千代の心には、中国軍を率いて日本軍の戦っているはずの紐先銘の幻があった。
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by monsieurk | 2017-01-04 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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