フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

男と女――第六部(40)

 三千代のこの紀行文は旅の三年後に発表されたもので、戦後になった書かれた金子の『絶望の精神史』では、この八達嶺への旅は次のように書かれている。
 「昭和十三年元旦、僕らは八達嶺に登り、万里の長城を俯瞰した。日本兵の錯乱寸前の狂的な緊張の目が、僕らを必死に見まもっていた。彼らの、いま立たされているぎりぎりな場所が、理解できるように思った。彼らは、門口に「祝出征」の造花の花環を飾られた家々から連れてこられた庶民たちである。僕の心には、主人が駆り出されて蕎麦屋の店をしめた家をのぞいた、寂しい印象が残っている。死の危険よりも、もっと耐えがたい、柄にもない悪鬼羅刹の立場を強制されることで、極端に自己を圧縮され、破裂しそうになっているのだ。彼らを戦力として、あやつっている軍の幹部たちのほうは、長年の夢が実現して有頂天となり、いまや、なにごともわが思いのままになる快味にひたっている。軍の名で、非理を押し通すことを、いたって当然のことのように思い上がっていた。」
 金子と三千代は八達嶺から北京へ帰ると数日を過ごし、さらに天津にもう一度戻ったあと一月中旬に帰国した。天津を離れる前にこんなことがあった。
 「いよいよ帰途につく数日前のことである。天津の喫茶店で、若い男女が休んでいるところへ、前線からかえってきたばかりの「アモック〔狂ったように暴れる〕」状態からさめない兵士がはいってきて、理由もなしに、いきなり銃剣で男を刺殺する事件があった。大きくなりそうな事件だとおもったが、軍は、「そういう兵士はいない」と、取りつく島もない挨拶ばかりで、弱腰の領事館当局は、泣寝入りで引っ込んだ。大杉栄を殺した甘粕大尉が、満州で大ボスになっていたように、軍は、おのれの非行をかばって、いっさい触れさせぬ態度を、ようやく公々然とおし通すようになった。
 日本に帰ってきて、神戸から東京へかえる列車の中でも、僕は同じような事件を目撃した。現地からかえってきた将校が、いきなり軍刀をひきぬいて、隣席の者に切りつけた。戦争の強烈なショックに耐えられないで、発狂したものであったが、新聞には一行も報道されなかった。」(「中国のなかの日本人」、『絶望の精神史』)
 これが金子と三千代が自分の眼で見た中国大陸の現実であった。そこでは新聞や雑誌ではもはやうかがい知れない事態が展開されていた。
 「北支の旅から帰ってくると、僕は、この戦争の性格が、不幸にも僕の想像とちがっていなかったことをたしかめえて、その後の態度をきめることができた。」と、金子は『詩人』で述べている。十二歳になった息子の乾は、帰国後の金子が、「「こんどの戦争がやはり欺瞞だとはっきりわかったよ。ぼくらは自分の眼でそれをたしかめてきたんがから」
 晴久〔光晴〕が訪問した友人に、気負った口調で言った声を裕〔乾〕はいまでもはっきり覚えている。」(「金鳳鳥」)と書いている。
[PR]
トラックバックURL : http://monsieurk.exblog.jp/tb/23761902
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by monsieurk | 2017-01-07 20:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)