ムッシュKの日々の便り

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男と女――第七部(3)

 この詩には以下のような前書きがつけられていた。
 「一九三七年、河北省一帯石家荘から白河に氾濫する三十年ぶりの大洪水が、冬季に入つて猶、水去らず、凍結して一大氷原を出現した。村家流失、生残るもの無一物となつて丘陵に逃れる。しかも厳寒に食なく凍死者相つぐ。歴世支那為政者民の歎を顧ず。皇軍よく白河を治るは、治水者王たるの意に適ふものか。有所感、慨慷一篇。」
 これは言うまでもなく痛烈な反語であり、日本軍が巨大なエネルギーを秘め、ときに氾濫す白河を治められず、「治水者たる王」であり得るはずはない。さらに詩集『落下傘』(一九四八年)に収めれた改作では、詩の最後に、

およそいつになつたら
この氾濫と、
没有法子が解放されるか。

 という一節が加えられた。忍従を強いられる民衆の解放、彼らのひそかな抵抗の精神「没法子」が実現するのはいつか。金子のなかでは、天津で書かれたエッセイ「没法子」よりも一層悲観的な色を濃くしていた。
 金子は東南アジアを旅行中に、英国やオランダの植民地で、虐げられる現地人や経済を牛耳る華僑の横暴を散々目にし、欧米の主張を額面通りに受けとることはなかった。だからといって、日本軍は現状を打破して中国やアジアに新たな路を切り開くという、国民一般が信じている考えには到底同意できなかった。
 「僕の会う人々は、インテリにせよ、そうでない人たちにせよ、あの戦争を超個人的な、ひどく厳粛な、勿体ぶったものとして、おしつけてくるのが常だった。そのイミに於いては、学校の先生も、文士も、工場主も、芸能人も、職工も、同じ口調だった」、「戦争がすすむに従って、知人、友人達の意見のうえに、半分小馬鹿にしていた明治の国民教育が底力を見せてきだしたのに、僕は呆然とした。外来思想が全部根もない借りもので、いまふたたび、小学校で教えられた昔の単純な考えにもどって、人々が、ふるさとでもかえりついたようにほっとしている顔を眺めて、僕は戸惑わざるをえなかった。古い酋長達の後裔に対して、対等な気持ちしかもてない僕、尊厳の不当なおしつけに対して、憤りをこめた反撥しかない僕は、精神的にもこの島国に居どころが殆どなくなったわけだった。」(『詩人』)
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by monsieurk | 2017-01-16 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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