フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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男と女――第七部(5)

 「落下傘」は「洪水」とは違って、詩集『現代詩人集Ⅰ』(山雅房、一九四〇年)や戦後の『落下傘』(日本未来派発行所、一九四八年)に収録されたテクストとの間に異同はない。ただ冒頭の、「ながい外國放浪の旅の途次、はるかにことよせて望郷詩一篇」という前文と、詩を飾ったカットの作者を示す註、「深澤索一畫」は削除されている。
 東南アジアや、パリ、ベルギーで苦労した金子が、ときに望郷の念にかられたのは事実だった。日本からの距離が遠くなり、時間が経つにつれて故国は理想化されるもので、金子の場合も例外ではなかった。故国は何よりも言葉が通じ、顔色で相手の考えが分かる国、同伴する三千代とは違って「女たちの貞淑な国」であり、「額の狭ひ、つきつめた眼光、肩骨のとがつた、なつかしい朋党達がゐる」。金子はそこを「戦捷の国」と呼び、落下傘で降りてゆく。
 ここに描かれている日本や日本人は、戦時中どこにでも見られた一般的風景であり、人びとである。しかしその「戦捷の国」が、いま途轍もない破滅に向っていこうとしていて、北支の旅で、「ひもじいときにも微笑む / 躾」をうけたはずの人たちが、戦場で豹変するのを目撃した。そして「草ぶきの廂にも / ゆれる日の丸」がいつしか出征する人たちを送るものとなり、残された者も、忠君愛国のスローガンのもとに一色に染まりつつあった。
 金子の反戦意識は生理的な恐怖に発していた。戦争はまずは自分や家族の死をもたらす。そしてこの恐怖は、戦争によって人間性を奪われ殺人者と化す兵士への嫌悪に結びつく。戦後になって、友人の郁達夫が日本軍によって殺されたのを知ったとき、金子はこう書いた。
 「戦争中、僕が周囲で見てきた軍人の凶暴な性格は、上の命令で仕方なしに歪められた性格とばかり僕は見ることができない。上から下まで区別なく、日本人は、ある低い沸点で同様に沸き出し、本来の卑屈さ、乱破(らっぱ)根性がむき出しになるのだ。兵隊たちがいずれも素朴な、好人物の人の息子とわかっていても、その性格は絶対に信用できず、その行為は、どれほど憎んでもあまりがある。」(『日本人について』)
 七月、日本ペンクラブが国際ペンクラブを脱退。八月には内閣情報部の要請で、漢口攻略戦の取材を目的に、初めてペン部隊が結成され、陸軍班二十四名、海軍版八名が戦地へ派遣されることになった。
 金子もこうした情況を考慮せずにはいられなかった。「中央公論」七月号の掲載された「無憂の国――爪哇素描」は、ジャワ島の見聞記だが、文末には小文字の但し書きが添えられている。「猶バンドン、ガロ、トサリ、スラバヤ等に就いて天然を、人事を語りのこしたことが沢山あるが、紙数を限られてゐるのでそれを説尽すことができない。ただ、邦商の発展のかげには、東洋の覇者としての日本の爪哇一般は好意をもつてゐて、我らに頼ろうとする傾向があり、自然安値と云ふ条件においても感情的に日本品を欣ぶためであることを一言書添へておきたい。」
 現地の人たちが日本の品を買う傾向が増えているのは事実だったとしても、それが「東洋の覇者」への信頼によると、あえて書き添えた部分はいかにも不自然である。出版統制を慮る編集者畑中と金子があったに違いない。
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by monsieurk | 2017-01-22 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)