フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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男と女――第七部(7)

 ここで天使に擬せられている少年については、十四歳になった息子の乾が念頭にあることは間違いない。邪まなことや疑うことを知らない彼らは、神なき世をわが物顔に支配しようとしている権力あるものたちの言うままになろうとしている。
 詩はこうした状況への危惧と悲憤をうたっているのだが、真意は象徴的手法でぼかされているため、一読した限りは単なる抒情詩としか受け取られかねない。この時期の金子の詩は多少とも、みなこうした韜晦がほどこされていた。
 一方の三千代は、一月に中国旅行の見聞記「声――北支所見」を「輝ク」一月号に載せ、七月には一年ほど前から話し合いをしていた同人誌「文学草紙」を創刊した。同人は彼女のほかに、古谷綱武、古谷文子、鎌原正巳、高野三郎、須賀瑞枝の六人だった。創刊後も中野の飲み屋「ピカ一」で会合をもった。三千代はその第一号に「弱年」を発表した。この他にも、「梵鐘」(「文学者」八月号)、「猫」(「文学草紙」八月号)、「街の童女」(「文学者」十一月号)、「精霊流し」(「文学草紙」十二月号)などを発表したが、いずれも短い散文であった。
 なかでも目につくのは、「輝ク」の十二号に発表された「傷病戦士の慰安会」で、タイトルの通り戦争で傷ついて兵士たちを慰めるために開かれた慰安会のルポルタージュで、時代を反映した作品である。
 実生活では、二人が社員として名前を連ねる「モンココ」の本社が中野へ移り、河野夫妻はその近くに転居し、大鹿卓夫妻は杉並に移転した。金子にとって痛手だったのは、詩集『鮫』の出版に尽力してくれた本庄睦男が、肺結核が悪化して七月二十三日に亡くなったことだった。享年三十五歳の若さだった。
 ヨーロッパでは、この年の春以降イギリスとフランスはドイツに対抗するため、ソビエト連邦をヨーロッパの安全保障体制に引き入れようと努力した。スターリンはそれと引き換えにポーランドへの権益を要求したが、これは拒否された。
 一方、ヒトラーはダンチッヒの併合とポーランド廻廊を通過する鉄道と道路を引き渡すように要求し、ポーランドがこれを拒否すると、ポーランド侵攻の準備をはじめた。そして八月二十三日、突如独ソ不可侵条約締結が発表され、ヨーロッパの人たちは来るべき戦争を覚悟しなければならなかった。
 ヒトラーは同じ日、ポーランドへの攻撃開始の日を定め、ポーランドの使節が八月三十日までにベルリンに来るよう要求した。しかしポーランドは交渉に消極的だった。
 一九三九年九月一日、ナチス・ドイツの軍が突如ポーランドにたいする電撃作戦を開始した。イギリスとフランスは翌二日総動員令を発令してドイツに宣戦を布告した。こうして第二次世界戦争がはじまった。この戦乱でフランスやベルギーがどうなるのか、とりわけ世話になったルパージュ一家の運命が、金子と三千代には気がかりだった。
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by monsieurk | 2017-01-28 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)