ムッシュKの日々の便り

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男と女――第七部(12)

 金子光晴は、こうして帰国九年目にして詩壇に復帰した。年が明けた一九四一年(昭和十六年)一月三十日、「日本詩人協会」の結成を記念する「詩人会」が、有楽町の三業組合中央講堂で開催され、そこで自作を朗読した。
 詩人たちの集まりである「詩人協会」は、島崎藤村、河井酔茗、野口米次郎、三木露風、高村光太郎、北原白秋の六人を発起人として、一九二八年一月に発足した。だがその後二年あまりで活気を失い、自然解散の状態にあった。それを時流に合わせるように、詩の分野でも統合した協会をつくることになり、わざわざ「日本」の名を冠した「日本詩人協会」として再発足したのである。
 そして六月には、日本詩人協会編の『現代詩 昭和十六年春季版』が河出書房から出版され、十一月には同協会編の『現代詩 昭和十六年秋季版』が、翌十七年には春季版(一九四二年六月)、秋季版(同年十二月)が出版される。
 金子は三月になると、室伏高信が主幹をつとめる雑誌「日本評論」に、詩篇「のぞみ」を発表した。タイトルの「のぞみ」とは、中国大陸で泥沼化する戦争に加えて、南方進出によって英、米、オランダとの対立を決定的にしつつある日本の前途への望みではなく、歳を経るにつれて強くなる、南方回帰の想いをうたったものである。

「神経のない人間になりたいな

詩人の名など忘れていまひたいな。

目のふちのよごれた女たちとも
おさらばしたいな。
僕はもう四十七歳だ。
近々と太陽が欲しいのだ。
軍艦鳥が波によられてゐる

香料半島が流睇(ながしめ)をおくる

擱坐した船を
珊瑚礁の水が洗ふ

人間を喰ふ島の人間になりたいな。
もう一度二十歳になる所へ行きたいな

かへつてこないマストのうへで
日本のことを考えてみたいな。」

 詩から浮かび上がるのは、深い絶望と忘却への憧憬である。
 内閣は左翼関係の出版物およそ六六〇点を一括して発禁処分にした。この出来事に象徴されるように、金子の周辺の詩人たちの発表の場がますます狭められていった。
 ただ金子は四月、かつてゴムの栽培業者でのちに作家となり、ゴンクール賞を受賞したフランスの『馬来(マレジー)』を昭和書房から、七月にはクロード・フォーコニェとポール・シニャックの共著『エムデン最後の日』を刊行した。前者は南方ブームに乗ったもので、後者はドイツの有名な潜水艦を扱った小説だった。これらは明らかに生活費稼ぎの仕事だった。
 北海道大学の学生、河邨文一郎が詩集『鮫』に衝撃をうけて、訪ねて来たことは前に紹介したが、河邨はその後も上京する度に顔を出し、この年の三月十三日にも上京するとすぐに顔をだした。このとき金子が、ノートに書き溜めた詩篇を見せ、それを筆写して北海道に疎開させてほしいと申し出たのである。
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by monsieurk | 2017-02-12 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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