ムッシュKの日々の便り

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男と女――第七部(14)

 七月二十三日、日本軍が南部仏印に進駐すると、これに反対するアメリカは、日本を目標に発動機の燃料や航空機用の潤滑油の輸出を禁止した。日本は戦争の危機をおかしてまで、なぜ欧米に対抗しようとするのか。金子はあらためて日本民族を動かしているものを見極めるために、風土と結びついた日本の思想を学ぼうと考えた。
 「戦争がすすむに従って、知人、友人達の意見のうえに、半分小馬鹿にしていた明治の国民教育が底力を見せだしてきたのに、僕は呆然とした。外来思想が全部根のない借りもので、いまふたたび、小学校で教えられた昔の単純な考えにもどって、人々が、ふるさとにでもかえりついたようにほっとしている顔を眺めて、僕は戸惑わざるをえなくなった。古い酋長たちの後裔に対して、対等な気持しかもてない僕は、尊厳の不当なおしつけに対して、憤りをこめた反撥しかない僕は、精神的にもこの島国に居どころが殆どなくなったわけだった。
 そして、この頃までは、決して僕の方からゆずりたくない気持で、ごく自然に、戦争に反対し、戦争にまで追い込む国家機構に反対して、『鬼の児の唄』までの詩篇を書きつづけてきた僕は、一コスモポリタンの僕の考えよりもこの民族をうごかしているものが、もっとも緊密で、底ふかい、国土にむすびついたものにちがいないということにやっと気がつき出した。その頃から、僕は、日本思想というものを勉強しようとおもい立った。
 出版の統制がはじまっていて、日本主義の本ならば、手にはいりやすかった。宣長や、篤胤、佐藤信淵など、できるだけ本をあつめて、ぼつぼつよみはじめた。」、「日本主義の本は、だいぶよんで、腹へはいってきた。期待にはずれて、新しく僕をうごかすようなことはなにもなく、かえって、僕の日本主義に対する批判をはっきりさせただけだった。やはりこの戦争は、僕にとって、HONTE(恥辱)としてしかおもえなかった。マレー蘭印を通ってきた僕は、つぶさに植民地の支配者たちの積年の悪と、その結果をみてきて、解放しなければならないことを痛感し、英米との戦がそのイミでの示唆をもつならば、中国の戦争よりは無意味ではないかと考えたこともあったが、結局、それはうす汚い利害の争奪戦であることが、もっとはっきりした事実としてわかったことに終わった。」(『詩人』)
 十一月中旬、武田麟太郎の許へ陸軍徴用令が届いた。ジャワへ派遣される第十六軍の宣伝班として従軍するようにとの命令だった。
 十一月二十日には、日本橋人形町の料亭「梅の里」で送別会が開かれて、武田の指導をうけた女流作家としては、三千代のほかに、津田津世子、大谷藤子、円地文子、藤村千代などが顔をそろえた。武田は翌年一月、第十六軍の将兵とともに大阪港からマニラ丸に乗船して南をめざすことになる。
 十二月八日、日本時間の午前二時、日本軍はマレー半島に上陸を開始し、三時十九分にはハワイ・オワフ島の真珠湾に置かれたアメリカ海軍大平洋艦隊基地に対し、航空機と潜水艦による奇襲攻撃を敢行した。
 午前七時、NHKは臨時ニュースのチャイムのあと、「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部午前六時発表、帝国陸海軍部隊は本八日未明、西大平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」と伝えた。ニュースを読み上げたのは宿直だった館野守男アナウンサーだった。
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by monsieurk | 2017-02-18 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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