ムッシュKの日々の便り

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男と女――第七部(15)

 金子もこの臨時ニユースを聴いた。
 「不拡大方針をうたっていた戦争は、底なし沼に足をつっこんで、十二月八日、ラジオは、真珠湾奇襲を報道した。僕の一家が、そのとき、余丁町の借家から吉祥寺一八三一番地の家へ移ってきてまもなくだった。母親も、子供も、ラジオの前で、名状できない深刻な表情をして黙っていた。
 「馬鹿野郎だ!」
 噛んで吐きだすように僕が叫んだ。戦争が不利だという見通しをつけたからではなく、まだ、当分この戦争がつづくといううっとうしさからであった。どうにも持ってゆきどころがない腹立たしさなので、僕は蒲団をかぶってねてしまった。「混同秘策」がはじまったのだ。丁度、その日、新劇に出ていた元左翼の女優さんだった女の人がとびこんできて、
 「東条さん激励の会を私たちでつくっているのよ」
と、いかにも同意を期待するように、興奮して語った。東条英機は、女たちの人気スターになっていたのだ。僕は床のなかで、その話をききながら、眼をとじた。国土といっしょにそのまま、漂流してゆくような孤独感――無人の寂寥に似たものを心が味わっていた。」(『詩人』)
 戦後に書かれた『絶望の精神史』(光文社、カッパ・ブックス、一九六五年)では、開戦の日のことが、「僕は、アメリカとの戦争が始まったとき、二、三の客を前にしながら、不覚にも慎みを忘れ、「ばかやろう!」と大声でラジオにどなった。」と述べられている。
 だが息子の乾が父を回想した『金鳳鳥』によると、乾が開戦を知ったのはこの臨時ニュースではなく、この日の夜七時ごろだったという。彼はこの日、暁星学園中等部の授業を終えたあと、フランス語の補習に通っている水道橋の「アテネ・フランセ」へ行った。着いたときは短い冬の陽はとっぷりと暮れていた。
 「アテネ・フランセ」は外国人教師が多く、フランスがドイツに占領されたあとも、英語とフランス語を夜間に教えていた。教室は若い男女で一杯で、入営を控えながらフランス人の女性教師の授業に出席する者もあった。
 乾が真珠湾攻撃を知ったのはこのときで、控室でミスター・ライエルというイギリス人教師が「ジャパン・タイムズ」を膝に置き、髪の毛をかきむしっていた。翌日「アテネ・フランセ」に行くと、彼の姿はもうなかった。逮捕され捕虜収容所に送られたという噂だった。
 皆が皆、奇襲攻撃など初戦の勝利に酔っていた。文学者の多くも例外ではなかった。十二月二十四日、文学者愛国大会が開かれると三百五十人が参加した。
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by monsieurk | 2017-02-21 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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