ムッシュKの日々の便り

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男と女――第七部(21)

 サイゴン

 三千代が乗った汽車は三月一日にフエを発って、予定より四十分遅れてサイゴン駅に着いた。サイゴンのホテルはどこも満員だったが、佐藤領事がカチナ通りのホテル・コンチネンタルを予約しておいてくれた。ホテルへ行ってみると、前夜の宿泊客の荷物がまだ部屋に残っていたが、そこへ鞄を入れて食堂で食事をとった。三月のサイゴンは真夏の暑さだった。
 滞在は四、五日の予定で、そのあとアンコール・ワットに行く計画だった。さっそく大使府へ行き、内山公使や蓑田総領事に挨拶し、アンコール・ワット訪問について助言を頼んだ。陥落間もない昭南島(占領後シンガポールはこう呼ばれた)へもぜひ行きたいので、援助してほしいと伝えた。
 昭南島行きを強く望んだのは、第十六軍の宣伝班員として南方に来ている武田麟太郎との再会を期待してのことだったかもしれない。二人は知るよしもなかったが、武田は二月十一日の紀元節を洋上で迎え、間もなく仏印中南部のカムラン湾に入港し、そこで時間待ちをした。これが二人が一番接近したときだった。
 武田が乗船していた輸送船団は、十五日のシンガポール陥落の報を聞いたあと、十八日未明、カムラン湾を出航して南下し、月末には目的地であるジャワ島に着いた。
 三千代が大使府での挨拶を終えてホテルへ戻ってくると、午後三時すぎのカチナ通りは人出が多くなっていた。熱暑のサイゴンでは、フランス人も安南人も中国人も、みな午睡(シエスタ)をとるから、午後の初めは人通りがなくなるのである。
 この日の午後は、アンコール・ワットに同行する芳澤大使の息子と打ち合わせ、夕方には、ポワン・ド・ラ・ブラーグル(おしゃべり岬)で観光局の山口と会い、月を見ながら歓談した。ここはサイゴン川がショロン運河へ分かれていく地点にある三角州で、船の形をした酒場があった。対岸の椰子林から上った月が、大小の船が川面に影を落としていた。
 船の多くはショロンの精米所から米を積むサンパンで、米はショロンの華僑が一手ににぎっていた。後日、サイゴンの中心から西におよそ六キロのところにあるショロンの精米所を、三菱商事支店長の鈴木や社員の西方に案内を頼んで見学した。
 ショロンは人口からいえば仏印第一の地域で、人口は二百万だが、人頭税を逃れている者を含めれば三百万はいるといわれていた。

 「ショロンの米蔵(Magazin de riz à Cholon)」

米は蔵を一杯に満たし
ごうごうと音をたてている。
精米機にかけられた米は
粒にされ、
選別され、
走り、崩れ落ち、噴出し
そして白く輝く
山となって現れる。

ショロン、それは
米の山
米の谷、
米の奔流、
米の洪水だ。

東方の民を太らせる
食糧
沢山の子どもたちが
大きくなるために
小雲雀のように
丸い口をあけて
米をほしがる。
沖合でも
山の彼方でも

メコンのデルタの残りの米は
アジアを太らせ、
アジアの様相を変え、
アジアの心を輝かせ
アジアの人びとの頬をつやつやと光らせる。

苦力に運ばれた米袋の
腹に鏝を差しこみ、
私は米を手に取り
掌のくぼみにのせる。

私は一粒一粒のエネルギーを
ぎゅっと握りしめる、
米粒は不思議な力をもっている、
それは人びとや、投資家を走らせ
考えさせ、創造者にする。(原文はフランス語、”POĒSIES INDOCHINOISES")

 ショロンとは安南語で大市場の意味で、メコン・デルタで生産される米は、みなここに運ばれてきた。仏印全体の米の収穫高は六百万トンで、そのうち輸出されるのは百五十万トンないし百八十万トンといわれ、仏印の米は三井が、タイの米は三菱が取り扱っていた。これらは日本をはじめ東南アジア諸国に輸出されて、アジアの人たちを養っていたのである。
 三千代は風物や自らの心情だけでなく、こうした現実を見逃さずに詩によんだ。彼女のうちには、かつて旅した各地で目にしたアジアの民衆の姿が浮かんでいたに違いない。 
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by monsieurk | 2017-03-11 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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