フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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男と女――第八部(4)

 「小説和泉式部」

 四十二歳になった三千代は、「どんどん火」を雑誌「むらさき」一月号に発表し、さらに「南方文化交作への協力」という座談会に出席して、仏印旅行の体験に基づいて、文化交流の面で作家が積極的に役割をは果たすべきだとの持論を展開した。この座談会の内容は「文化映画」に掲載された。
 彼女の創作意欲は旺盛で、「早春」を雑誌「オール読物」三月号に、五月には「婦人画報」に「嘘みたいだ」を掲載した。そしてこの間、前年から取りかかった和泉式部を主人公にした中編小説の執筆を続けた。
 女高師在学中から和泉式部の歌に惹かれていた三千代は、前年には、製薬会社「ミノファーゲン」の責任者として大阪にいる義弟の菊地克己が調べてくれた和泉式部の遺跡を訪ねて歩いた。
 小説は京都の盛り場、新京極にある華岳山誠心院(通称式部寺)を訪ねるところから始まり、彼女自身の行動と心の動きを通して、中年をすぎた式部の生き方を甦らせる。そこには彼女自身の波乱の半生が色濃く投影されている。
 「私が和泉式部の遺跡をたずねたのは、かりそめの好奇心や、単なる好学の気持からではなかった。それはただ、このなま身の肉体をもって、じかに式部のゆかりある地、ゆかりあるものに触れてみたいという切ない願望にほかならないのであった。それというのも、さきにも言った通り、私がいつのまにか心のなかに、式部の肉身をわがものとしてかい抱いでいたためであった」、「日本の女達の誰の乳房の下にも和泉式部が持ったような、純粋にあこがれ、夢を夢見る心が、脈々とほとばしり、鼓動をうっているのを感じる。」と執筆の動機を語っている。
 構想が芽生えたの一九四二年の秋のことである。前年の秋は仏印行の準備でゆっくりと武蔵野の秋を愛でる余裕がなく、この年の関西行でも秋の情緒を味わえないまま、和泉式関連の資料を少しずつ読みはじめた。
 そんなある日、「書物から目をはなして庭を眺めているうちに私は、歓楽や愛執の季節も過ぎ落葉するものはことごとく落葉しつくして、静謐にかえった境地を、しみじみと味わった。
 和泉式部の生涯のうちのこの季節を書いてみたらと、私は考えついた。式部の奔放な情熱時代を書くよりも、その方がいまの私には、ずっと自然にはいりこむことができそうであった。
 その時期の式部といえば、書物によって四五年のひらきはあるが、天延二年に式部が生まれたものとして、寛弘八年宮仕えを止めた彼女が、藤原保昌と結婚して、相携えて丹後に下った三十六歳の頃からはじまるのではないかと思う。保昌と結婚して、摂津に下り、後、丹後に下るという説もある。万延二年愛娘の小式部内侍に先立たれた時、式部の年は五十三歳を数える。落葉するものが落葉しつくして、見る限りまったく冬景色にかえったのは、その年であろう。」
 こうして狙いをさだめた三千代は、執筆を後押ししてくれる書店主の紹介で、歴史ものを得意とする作家と、平安文学に造詣の深い作家の二人に、赤坂の料亭で話を聞くこと機会をえる。その際に聞きだした事項をメモにするが、それは丹後路での式部の事績、保昌と一緒に住んだ場所、二人が別れた理由、保昌の性格などであった。二人には、「やあ、これをみんなわかったら博士になれますよ」と言われるが、それでも彼らは読むべきものを教えてくれ、所蔵している本を借してくれて、三千代の下調べは進んでいった。
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by monsieurk | 2017-04-21 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)