ムッシュKの日々の便り

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男と女――第八部(8)

 作品発表の場を奪われたにもかかわらず、経済的には比較的安定していた。売れっ子となった三千代の稿料を当てにしなくても、モンココの給与に加え、菊地克己の口利きで宣伝部の嘱託となったミノファーゲン製薬本舗からの収入があった。ミノハーゲンは宇都宮徳馬が一九三八年に設立した会社で、宇都宮は旧制水戸高校時代にマルクス主義に傾倒し、京都大学経済学部では河上肇に師事して社会科学研究会に所属した。一九二九年に治安維持法違反で逮捕され、獄中で転向を表明したが、出獄後は軍需企業の株で大金を握ると、これを元手に製薬会社を設立した。事業に成功した宇都宮は、閉塞を余儀なくされている文化人の支援を惜しまなかった。金子も支援を受けた一人で、それらの金を岡本潤など困窮している詩人にまわした。

 「マライの健ちゃん」

 十二月になって、大阪から上京した小野十三郎とともに、同じく作品発表の機会を奪われた、秋山清、岡本潤、壺井繁治、植村諦が吉祥寺の家を訪ねてきた。
 植村は本名を植村諦聞(たいもん)といい、仏教専門学校の出身で水平社運動や朝鮮独立運動に加わった経験があった。秋山や小野と「弾道」や「詩行動」で活動したが、一九三五年に逮捕されて以降以来十年間も獄中にあった。皆が顔を合せるのは久しぶりで、中野重治にも電報をうったが、中野が来たのは彼らが帰った後だった。
 金子は暮れになって、少年向けの絵物語『マライの健ちゃん』を中村書店から出版した。初版の三万部でよく売れた。戦後、抵抗詩人として金子の評価が高まるなかで、この絵本や、先に触れた翻訳、『馬来』や『エムデン最後の日』をもとに、日本の東南アジア侵攻に反対した金子が、この時期に変節したとの批判がなされた。
 『マライの健ちゃん』は、医師としてジョホールのゴム園から招へいされた父についてマライ〔マレー〕に行った健ちゃんが、現地の少年と親しくなる様子を、その自然や風土を背景に描いたものである。
 櫻本富雄は、「ゴムはみんな大東亜共栄圏でとれるんですね」という健ちゃんの発言を取り上げて、大東亜共栄圏を肯定するものと批判し、鶴岡善久は、日本人学校で学びたがったり、日本語を学ぼうとするマライの子どもを、勤勉な少年だと評価するのは、占領地での日本語の強制を肯定するものだと論じた。
 『マライの健ちゃん』はA5判五十ページの本で、金子の文章とともに七十八点の挿画がついている。最初は挿画も最初は金子が描いたが、出版社の意向とあわず、神保俊子が描きなおしたものである。たとえば冒頭に近い十二頁の、健ちゃんが船着き場に着いた場面では、本文は「船つきばには、ゴム園のをぢさん達や、荷物をもつマライ人の下男たちがむかへにきてをりました。 / お父さんやお母さんは、そのをじさん達と、ごあいさつをしてゐました。
 「よく来たね。これからはをじさんとお友達になるんだよ。」
と、頭をなでてくださるをじさんもあります。」とあり、これに二枚の挿画が添えられている。大きな一枚は、挨拶をかわす父母と出迎えの日本人に交って荷物を下げて、日の丸の旗を持つ現地人が描かれ、もう一枚では、日の丸を持った健ちゃんが出迎えたおじさんと言葉を交わしている。こども向けの絵本では文章以上に、神保俊子の絵が強いインパクトを持っている。
 金子は絵本をつくるにあたって、なぜマレーを選んだのか。彼にはベルギーやパリで感じた疎外感から、西欧列強に収奪されるアジアの人たちへの共闘意識があり、ある種のアジア主義を抱いていたことは前にも述べた通りである。「大東亜共栄圏」が日本の軍国主義が唱える建前であるのを承知のうえで、東南アジアの解放を夢見たのだった。金子は戦後になって、「詩人の僕は、今日でも東南アジア民族の解放と、人種問題と、日本人の封建性の指摘と、戦争反対の四つの課題に創作目的の重点をおくことにしている」(『日本の芸術について』)と述べている。
 金子のなかでは、東南アジア民族の解放は戦前戦後を通して一貫したテーマであった。ただマレーを舞台にした健ちゃんの物語が、挿画とともに子どもたちにどんな影響をあたえるか。戦争に反対する詩の発表を自ら封印した金子が、『マライの健ちゃん』では、時勢に妥協したという指摘には理由があった。
 一九四三年九月以降、すべての出版書籍が日本出版会の審査を通る必要があり、不承認件数が三十パーセントを越えていた。『マライの健ちゃん』と同じ月に出版された『大東亜戦争絵巻 マライの戦ひ』(岡本ノート株式会社出版部)の巻末には、陸軍報道部の山内大尉なる人物が書いた「監修にあたりて」が載っているが、そこでは、「未曽有の決戦下に於いての幼児や児童に対する教育は慎重に考へなければならぬ。特に国家観念の正しい認識は将来帝国の盛衰を左右する重要事項であつて日常の無邪気な生活の内にこれを正純に植付ける事が必要である」と述べられている。『マライの健ちゃん』はこうした時勢のなかで発行された。金子の絵本も結果として、この当局の指針に沿った形で世には出されたのだった。
 金子は「戦争に就いて」(「コスモス」一九五〇年二月号)で、「戦争に協力しなかったということを僕の名誉のように押しつけるのは少々困りものだ。それが僕の不名誉だった日々の長さの無限をしか考えられなかったことを誰もが忘れているわけではないと思うと、白々しさしか感じられない。僕らのうえに英雄のいることも、僕らが英雄になることも望むことではない。僕が、反戦詩を街頭に立って読みあげなかったことで、僕は戦争に協力していたと同じだったのだ。戦争に加担しなければ生きていられなかったのだ」と書くことになる。
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by monsieurk | 2017-05-03 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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