ムッシュKの日々の便り

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男と女――第九部(1)

山中湖畔の日々

編集者の逮捕

 一九四四年(昭和十九年)になると、戦局は明らかに不利になった。大本営は一月七日、インパール作戦を認可し、十八日の閣議で緊急国民勤労方策要綱を決定。二月になると、アメリカ軍はマーシャル群島のクエゼリンとルオットの二島に上陸し、激戦の末に両島の日本軍守備隊六八〇〇人が玉砕した。
 政府は二月十八日の閣議で緊急国民勤労方策要綱を決定し、言論への締めつけが一層厳しくなった。そのあらわれが、一月二十九日に起きた「横浜事件」だった。これは「東京を中心とする三十余名の言論知識人が横浜地方検事局思想検事の拘引状を携えた神奈川県の特高警察吏によって検挙投獄された事件の総称であり、被検挙者の所属は研究所員や評論家を含めた主として編集者よりなるジャーナリストであったところに特長があった。」(美作太郎「軍国主義とジャーナリズム」、『現代ジャーナリズム論』)である。
 このとき逮捕されたなかに、中央公論社の編集者、畑中繁雄も含まれていていた。畑中は一九四一年には雑誌「中央公論」の編集長に就任したが、四三年には軍部の圧力で辞任し、事件に巻き込まれたときは調査室員だった。
 畑中の逮捕理由は、マルクス主義者細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」(「改造」八・九月号)が共産主義の啓蒙を意図したもので、彼が主宰する共産党再建を話し合う会合に参加したというものだった。被疑者たちは警察で拷問され、虚偽の自白を強要された。
 畑中の逮捕は金子は衝撃をあたえた。弾圧が具体的な姿をとって身近に迫ってきた感じだった。
 二月中旬、東京都はビヤホール、百貨店、大きな喫茶店などを利用した雑炊食堂を開設した。さらに東京と名古屋には、防空法にはもとずく最初の疎開命令が出され、指定された区域内の建物を強制的に接収し、それを壊し防火のための空間をつくる作業がはじまった。
 横浜事件が起こった二月二九日には、東京の歌舞伎座や東京劇場、大阪の歌舞伎座、京都南座など全国十九の劇場に対して休場の命令が出され、三月五日から実施された。
 金子の身辺ではこんなことがあった。三千代が用事で丸の内に出かけたとき、東京の上空に米軍機が飛来した。これは爆撃のための試験飛行だったが、彼女が頭上を通過する米軍機を見上げていると、ハイヒールになにかがぶつかった。よろめいて傍らの並木の柵につかまり、辛うじて倒れるのを免れた。
 家に戻ってハイヒールを見ると、踵に小銃の弾が一つ食い込んでいた。米軍機は爆弾こそ落とさなかったが、機関銃の掃射の小手調べをしたらしかった。この日の米軍機飛来は動揺をおさえるために発表されなかったが、ハイヒールから取り出した弾は金子の家にずっと保存されていたという。
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by monsieurk | 2017-05-06 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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