ムッシュKの日々の便り

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男と女――第九部(4)

 金子がモココ本舗へ月給を受け取りに行くと、妹の捨子は留守で、亭主の河野密がいた。河野はその後衆議院議員となり、国会が開会中のこの日は在宅していたのだった。河野は、「サイパン陥落はひどいショックで、東条首相の顔色は蒼白だった。日本はもうだめだ」と深刻な口調で打ち明けた。近衛内閣の大政翼賛会ができると、彼は軍部に受けのいい翼賛推進議員の一人として、「新体制」に意義を見出そうとした。しかしアメリカ軍の大平洋作戦が進むにつれて、戦争には批判的になっていた。
 七月十八日、ついに東条内閣が総辞職した。戦局は不利になる一方だった。七月二十一日、アメリカ軍はグアム島に上陸、守備隊一万八千人玉砕。二十四日、テニアンに上陸。守備隊八千人が玉砕した。
 八月になって、牛込に住んでいた山之口貘が、妻と乳飲み子の泉をつれて金子の家に引っ越してきた。山之口夫妻は二年前の七月、生後一カ月の長男の重也を亡くしていた。牛込よりも郊外の吉祥寺の方が安全だと考えてのことだった。
 だが十一月二十四日、最初の東京空襲で目標となったのは、東京の中島製作所と名古屋の三菱重工だった。中島製作所は航空機をつくっていて、吉祥寺からは五駅ほどの立川にあった。この空襲では金子の家は地震のように揺れ、轟音が鳴り響いた。皆は防空壕に飛び込んだが、山之口の妻は幼い泉を抱いて、壕に入らなかった。そのうちに爆撃もおさまったが、あと聞くと、彼女は恐怖で動くことができなかったのだと言った。東京空襲が吉祥寺の近くから始まるとは思ってもみないことだった。
 山之口一家は、やがて妻静江の実家がある茨城県結城郡石毛へ疎開していった。はたして生きて再会できるかどうか、心もとない思いだった。
 それから間もなくして、妹の捨子が疎開話をもってきた。富士山麓の山中湖畔に平野村という村があり、そこの平野屋旅館が所有している別荘二棟が借りられるという。自分たちはそのうちの一つを借りるが、金子たちも別棟に疎開してはどうかというのである。
 河野の同僚の社会党の代議士、佐藤がこの地方を地盤にしており、その手蔓だった。知り合いもなく、東京に居残るつもりだった金子一家にとっては渡りに船の話だった。
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by monsieurk | 2017-05-15 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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