ムッシュKの日々の便り

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男と女――第九部(7)

 平野村に移ってから書きはじめられた三千代の日記第五帖は、この年の大晦日から始まっている。
 「大晦日の夜だ。昼間の風も落ちて、外の静まりかへった冬景色が、雨戸を閉め切った部屋の中にゐても手にとるやうにはっきりと感じとられる。月光にきらきらした青白い雪の敷物の上に樹々が薄墨色の長い影をおとしてゐる。樹の間を透かした一ところに、凍りかけた湖の水が白金のやうな光沢で月光を弾き返してゐる。ほの明るい夜靄が湖面を対岸へかけて、それよりはるか裾野の傾斜の方へかけて夢のやうに気も遠くなりさうに立ちこめてゐる。(中略)
 ・・・この土地で最初の雪が降った。家をとりまいた落葉松の枯れた梢にはほこりのやうなこまかい雪の粒が走り過ぎた。そして、一株の芒の枯れ切った茎や葉におちかかってかすかな音を立てた。一日であたりの山や林や田畑の風景が変ってしまった。いよいよほんとうの意味の籠居だという気持を痛切に味った。」(「森三千代・日記」、雑誌「こがね蟲」第一巻」)
 平野村の寒さは想像以上だった。安普請の家はあくまで夏用なので板戸はなく、障子一枚で外気と接していた。そのため家のなかの寒さは尋常ではなく、手拭に掛けにかけた手拭は昆布のようにこ凍り、インク壺のインクも凍りつき、万年筆は息を吹きかけたくらいでは出てこない。書く前には万年筆を炬燵のなかに入れ、さらに軸をじっと握りしめて温めなくてはならなかった。
 雪に閉じこめられた平野村の住人たちは、冬眠さながらに家に閉じこもっていた。金子一家の四人も、六畳間に一つしかない炬燵に入って一日暮らした。それでも炬燵に入れる炭を、床下の保存場所から出さなければならず、玉蜀黍を粉にひいて団子に丸め、炬燵の灰に入れて蒸し焼きにする仕事もあった。団子は味噌汁に入れておじやにしても食べた。この玉蜀黍の団子が、平野村では数百年前からの常食だった。
 こうした玉蜀黍や炭にしても、平野荘の女主人から買わなくては手に入らなかった。三千代は執筆でためた貯金を現金にして持ってきたほか、モンココ本舗からも為替で月給を送ってきた。そのほかに着物や新品同様のシャツや股引なども運んできた。それらを代金に添えて食物や炭と交換しなくてはならなかった。
 平野屋は女主人のほかに、精神薄弱の三十代の長男とその妻、孫たち、嫁入り前の二人の娘、十代の次男の家族だった。女主人は率先して働き、大家族を養っていた。そのため玉蜀黍の粒一つかみ、馬鈴薯一つにしても、彼女の承諾がなければ手に入れるのは不可能だった。炭は平均一俵が四日ほどしかもたなかった。
 女主人は三日にあげず訪ねてきては、二時間も三時間も話し込んでいった。そんなとき三千代は辛抱強く相手になった。万一へそを曲げられたら、平野村での暮らしがたちまち行きづまってしまうのは明らかだった。食物はこの他に、村の猟師から獲物の山鳩を買ったり、山中湖で釣れる鮒などもときどき手に入った。
 金子は炬燵の上の台を机代わりにして、そこに薄いノートをひろげて詩や思いついたことを書いた。三千代は日記帳に日々の出来事や作品の草稿を書き、この機会に少しでもフランス語の勉強をしようと、ポール・モーランの紀行記『ニュー・ヨーク』と、アルフォンス・ドーデの小説『タルタラン・ド・タラスコン』の原書を、辞書を引き引き翻訳をはじめた。そして三千代のフランス語の実力では構文が分からない個所があると、乾に質問した。
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by monsieurk | 2017-05-24 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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