男と女――第九部(8)
二度目の赤紙
雪は根雪になってバスも止まり、人の訪れも絶えた。そんななかを、三月十日の夕方、前触れもなく岡本潤が長女一子を連れて訪ねてきた。食糧探しを兼ねて来たといい、金子を喜ばせた。
掘り炬燵にあたりながら空襲つづきの東京の様子を聞いた。夕食は平野旅館でジャガイモの団子と豆腐の味噌汁を食べた。食後はまた金子の家に来て、手製の玉蜀黍の饅頭を馳走になりながら、乾がかけるレコードを聞いた。蓄音機は三千代が新宿時代に買った手巻きの古い携帯用で、それを持ってきていたのである。
レコードは「君恋し」や「センチメンタル・ブルース」、「パリ祭」などだった。この山中に銀座の街が出現したような感じだった。岡本親子は夜十一時ごろ旅館の方へ戻り、風呂に入って寝た。
翌十一日も金子の勧めで平野村に滞在した。珍しく手に入った鶏を、金子が安全カミソリの刃でさばいて、カレーライスをつくってくれた。炬燵に入りながら話しをし、金子が平野村へ来て書いたという詩を読んだ。二十世紀の隠者らしい気持が、独特の言葉で書かれていたが、岡本はこれらの詩が読まれるときがはたして来るのかどうかと危ぶんだ。
岡本たちが帰って間もなく、怖れていた乾に宛てた二度目の赤紙が届いた。金子はこのときの思いを、「富士」という詩にしてノートに書くつけた。
富士
重箱のやうに
狭つくるしい日本よ。
すみからすみまで
いぬの目の光つてゐるくによ。
あの無礼な招致を
拒絶するすべがない。
人別よ。焼けてしまへ。
誰も、ボコをおぼえてゐるな。
手のひらへもみこんでしまひたい。
帽子のうらへ消してしまひたい。
父やチヤコとが一晩ぢう
裾野の宿で、そのことを話した。
裾野の枯林をぬらして、
小枝をビシビシ折るやうな音で
夜どほし雨がふりつゞける。
づぶぬれになつたボコがどこかで
重たい銃を曳きづり、あへぎつつ
およそ情けない心で歩いてゐる
どこにゐるかわからぬボコを
父とチヤコがあてどなくさがしにでる。
そんな夢ばかりのいやな一夜が
ながい夜がやつとあけはなたれる
雨はやんでゐる。
ボコのゐないうつろな空に
なんだ。おもしろくもない
あらひ晒しの浴衣のやうな
富士。