ムッシュKの日々の便り

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男と女――第九部(10)

 診断書は今度も役所で受理された。この日の夜は河野の家で厄介になり、翌日平野村へ帰ることにした。雪のなかを歩いてきた二人の靴は、靴底がはがれて履くことができなかった。金子は捨子にフエルト製の草履を借り、それを履いて支線の駅から雪のなかをまた歩いた。
 だが十分も歩かないうちに、ひと足ごとに雪に埋まる草履は鼻緒が切れた。しかたなくリュックの紐と股引の紐で足にくくりつけた。尻から下のズボンはずぶぬれで、脚の感覚がなくなっていた。二人はたまたまリュックに入れたあったハップの壜をとりだして、それを下半身と足に塗った。
 ハップはモンココ本舗が、金子の友人の医師林躁(のちの推理作家木々高太郎)に頼んでつくった塗布薬で、保温効果があり、華北や満蒙の兵隊の凍傷避けに用いられていた。家を出る際に三千代が思いついてリュックに入れたものだった。それを塗りつけて雪のなかを歩き、ほうほうの態で平野村に帰り着いた。ハップの効があったのか、凍傷にもならなかった。

 詩集「三人」

 二〇〇七年一月二十日に放送されたNHK・ETV特集「父とチャコとボコ~金子光晴・家族の戦中詩」は、金子の未刊詩集を扱ったものであった。この詩集は、金子の研究家原満三寿が古書市で発見したもので、外箱の背と表に「詩集三人」と書かれ、B6大の厚さ二センチほどのノートに、金子作の二十四篇の他に、三千代と息子乾の作も含めた三十八篇の詩が、黒インクを用いた金子の自筆で丁寧に清書されていた。見つかった手作りの詩集は、疎開先の平野屋の貸家でつくられたものであった。 金子はこれに清書した二十四篇のうち八篇を、戦後になって改作して発表したが、残りの十六篇は全集にも未収録で、これが『詩集「三人」』として、講談社から刊行されたのは二〇〇八年のことである。詩篇には、親子三人が肩を寄せて過ごした疎開当時の様子を取りあげたものが多い。
 そのなかに一篇、金子の詩「雪」――

鼠色の雪が
匍ふ。
空間を攀ぢのぼつて。
雪はそらを埋める。

きえてゆくやうな雪。
こまかい雪が、
そのふかさに
落込んだやうな静さで、
東西南北をとざす。

雪よ。
ふりこめよ。もつと。
父とチヤコとボコの三人は、
雪でつぶされさうな小屋の
薪火をかこんでぢつとしてゐる。
隣家からもへだてる
この大きな安堵のために
雪よ。もつともつとつもれ。

雪よ。虱のやうに
世界にはびこれ。
そして音信不通にせよ。

父は、戦争の報導と、
国粋党達から
母は、虫のよい
無思慮な文人達から
そして、ボコは、あの陰惨な
非人間な国の義務から。

 同じ思いは「青の唄」でもうたわれている。

レンズの青さが
湖をふちどる。

青ぞらのなかの
青い富士。
希臘の神々のならぶ
富士。

その清澄のなかに
僕ら三人はくらす。

つみあげた本の高さが
ボコをみおろす。

こゝろの奈落をのぞいては
父は、むなしい詩をつくる。

チャコはひとりで、
ペネロペの糸をつむぐ。
・・・・・

僕ら三人は肉体を
明るい精神に着換へる。
光で織つた糸の
玉虫いろの衣。

僕ら三人は、この世紀の
惨酷な喜劇を傍観する。

僕らはもう新聞もいらない。
それは、遠くを霞ませる
青一いろ。――おゝ、国よ。
この三人を放してくれ。

国籍から。
法律の保護から
国土から。
僕ら三人を逐つてくれ。
あの青のなかに
永遠にとけてゆくため。

もしくは三輪の小さな
をだ巻の花となるため。
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by monsieurk | 2017-06-02 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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