男と女――第九部(11)
(生きてゐて死に直面するやうなことがないと、どうして云えへませう。そんな時を
おもつて私は、この詩をつくりました。)
一枚のマントを羽織つて、雪の上をさまよふ。
まだ降りしきる
牡丹雪。
マントの下で私の乳は凍るおもひ。
こんな晩、私は、ヰ゛ヨンをまねて
私の愛したものたちにのこしてゆく
遺言を書かう。
私の貧しい形見わけを。
Hさんへ。黙つてゐるダイナマイトのやうな追想を
未来に仮想するこひびとへ。私の半分燃えた蝋燭を。
私のお母さんへ。まだ若い、私の髪の毛一握りを
私の妹ハコちやんへ。私の蛇の皮の靴と、銀の耳かざりとを。
私の最愛の坊やへ。
・・・多分、私のもつてゐるものは、なに一つ、おまへに用はないだらふ。
おまへは、おまへの時代の先頭に立つ一人の旗手であることを。
このときでも、土方定一との激しかった恋の思い出は、三千代の胸の奥でくすぶり続けていた。そして「ボコ」こと息子、乾の詩――
三人の仲間こんなに一致した他の何ものもない。今ではもう、誰が先に生まれたのか恐らくは分裂したアミーバのやうに一緒にこの世に生れ出た吾等親子三人が細かい神経でそれぞれ他の二人をきづかひ離れまいと一生懸命でこの寒い夜を抱きあふけんけんがくがくの争ひ、この世かぎりの乱闘だが、次の瞬間には眼を見合せての微笑。“もう喧嘩はしまいね。”だが、したつていゝのだ。小鳥が互いに背をすりあつて羽虫をとりあうやうに三人の仲間にとつてそれは憂ひ、やるせない今を忘れるこのたまらない外界の大きな圧迫の唯一のはけぐちをみいだしあふすべだもの。
乾は父と母のことを次のように思いっていた。
○
ボコ作
かいちいやうなこはいやうな
気短かなやうな気永なやうな
丈夫なやうな弱いやうな
ぜいたくなやうなけちなやうな
なまけもののやうな勉強家のやうな
おしやべりなやうなむつつしやのやうな
かしこいやうな、ぬけたやうな
神経質のやうな、のんき坊主のやうな
活溌のやうな無精もののやうな
それはチヤコ
そして、それは、
父にもあてはまる。