ムッシュKの日々の便り

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男と女――第九部(13)

 戦争もいつかは終わるに違いない。だがそれはいつになるのか。金子光晴はさらにこう書いた。
 
 「希望」

戦争がすんだら、とボコはいふ。
パリーの図書館に引きこもりたい。
戦争がすんだら、と父はいふ。
どこでもいゝ国でない所へゆきたい。
戦争がすんだらとチャコはいふ。飛行機で世界戦跡をめぐるのだ。
戦争がすんだらと三人はいふ。
だが戦争で取上げられた十年は、どこへいつてもどうしてもとりかへされないのだ。

 三月十日夕方、雪のなかを、岡本潤が長女の一子を連れて訪ねてきた。思ってもみなかった再会だった。岡本は息抜きと食料探しを兼ねて来たといった。
 炬燵にあたりながら東京の様子を聞いた。二人は平野屋旅館へ戻って、ジャガイモの団子を焼いたものと豆腐の味噌汁の夕食を食べ、また金子の家に行って話し込んだ。途中で玉蜀黍の饅頭をご馳走になった。
 乾がレコードをかけ、山中に銀座の街が出現した思いだった。蓄音機は三千代が新宿時代に手に入れた携帯式のもので、疎開先にもそれを持ってきたのである。レコードは当時の流行歌、「君恋し」や「センチメンタル・ブルース」、「パリの宿」、「パリ祭」などで、三人はときどきこれを聴いて楽しんできた。なかには「星条旗よ永遠なれ」もあり、乾がこれをかけたときは、さすがに三千代は慌てた。だが金子は、「ドイツ音楽だといえばいい」と平然としていた。
 岡本親子は金子の勧めで翌十一日も滞在することにした。珍しく手に入った鶏を金子が安全カミソリで器用にさばいて、カレーライスをつくってくれた。
 岡本はこの日、金子が書き溜めた詩を読んだ。ザラ紙のノート三冊ほどに、日々の感慨とともに書かれた詩を、二十世紀の隠者らしい気持が独特の言葉で書かれていると思った。その上で、これらの詩篇が世に出る日が来るのかという感慨も抱いた。
 翌日の十二日の午前十一時に、岡本親子はジャガイモ二貫目と三千代がもたせたトウモロコシ饅頭の弁当をもって帰って行った。
 岡本が訪ねてきた前日の三月九日から十日未明にかけて、東京はB29による大空襲に見舞われていた。焼夷弾や高性能爆弾の爆撃で二十二万戸が焼失し、江東区は全滅した。この空襲での死傷者は十二万人にのぼった。
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by monsieurk | 2017-06-11 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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