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ムッシュKの日々の便り

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「ワレサ・連帯の男」

 詩游会の6月の映画鑑賞会では、同じくアンジェイ・ワイダ監督の「マレサ、連帯の男」(2013年公開、124分)を見た。
 前回の「灰とダイヤモンド」が扱っていた1950年代以後、ポーランドでは統一労働者党(共産主義)が政権を握った。冷戦下にあって、ポーランドは西側のNATO〔北大西洋条約機構〕に対抗する「ワルシャワ条約機構」の中心的存在であり、多くのソビエト軍が駐留していた。
 そして1970年代のポーランドは、共産主義体制のもとで、経済の停滞、言論の自由の剥奪など共産主義政権への不満が高まっていた。
 そんな中、1980年8月、グダニスクのレーニン造船所の労働者が政府の食肉値上げなどに抗議してストライキに突入。労働者代表のレフ・ワレサが政府と交渉して、統一労働者党の統制を受けない労働組合として「独立自主管理労組」を結成し、スト権、経済政策への発言権などを認めさせた。
 同年10月、全国の独立自主管理労組が結集して「連帯」(ソリダルノスチ)が結成され、ワレサが議長に就任した。政府側はこの大幅な譲歩の責任をとって、ギエレク第一書記が辞任した。
 その後を継いだヤルゼルスキー政権は、1981年以後、一定の経済改革を推し進めながら、その一方で「連帯」などの民主化運動は押さえつけた。
 しかし、沈黙を余儀なくされた反体制側は、1988年になると、消費者物価平均36%のアップと、賃金一律引揚げをセットとして、4月からは各地でストに突入した。ヤルゼルスキーは、与党であるポーランド統一労働者党(共産主義)の保守派を抑えて改革路線をとることにして、「連帯」との円卓会議を約束した。こうしたポーランド民主改革の動きは、当時、社会的停滞が目立っていたソ連にも影響をあたえずにはおかなかった。
翌1989年4月に、ヤルゼルスキー政権は「政治的複数主義」と「労働組合の複数主義」を認め、自主管理労組「連帯」を再度合法化した。「連帯」は1980年に結成されたが、81年のヤルゼルスキ政権の戒厳令施行によって弾圧されて事実上非公認とされ、活動家は地下に潜っていたからである。
 4月に開催された円卓会議での合意に基づいて、6月4日、複数政党による自由選挙が行われたが、これは東欧の社会主義圏では最初のことであり、特筆される出来事だった。
 選挙では政党としての「連帯」が圧勝し、政権をめぐる駆け引きがしばらく続いた後、改革を主導した統一労働者党のヤルゼルスキーが大統領となり、9月には、「連帯」に属するカトリック系知識人マゾビエツキが首相をつとめる連立政権が成立した。
 そして1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊し、東ヨーロッパの社会主義国の民主化が次々に起こった。
 ポーランドでも、12月30日には、憲法から「党の指導性」条項を削除し、国名をポーランド人民共和国からポーランド共和国に変更、国旗も戦前のものに戻した。
 ヤルゼルスキー大統領、マゾビエツキ首相という連立政権の成立によって出番を奪われた形となった「連帯」の指導者ワレサは、次第に政権への意欲を持つようになる。この背景には「連帯」内のワレサに近い労働者グループと、マゾビエツキに近い知識人グループの対立があった。連帯は二派に分裂し、1990年11月の大統領選挙では、ワレサ、マゾビエツキがともに立候補、他に第三の候補もあって票が分散して、いずれも過半数をとれず、決選投票でワレサがようやく大統領に選出された。
 映画「ワレサ 連帯の男」は、1980年代のはじめ、イタリアの女性ジャーナリストがレーニン造船所で働くワレサの家を訪れ、「連帯」の委員長として戦った彼を取材するところから始まる。ワレサは1970年12月に起きた食糧暴動の悲劇からはじまった自分の抵抗運動を語りだす。映画はワレサを主人公にして、ポーランドの現代史を描きだす。なお、レフ・ワレサは1943年9月29日生まれ。1967年にレーニン造船所で電気工として働き、1980年に「連帯」の初代委員長に就任。1983年にノーバル平和賞受賞。1990年にポーランド共和国初代大統領に就任。1995年まで任期をつとめた。
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 映画鑑賞会のあと、会員の一人、川瀬藤典氏から以下のような感想が寄せられた。氏の了解を得られたので、掲載させていただく。
  
先日は映画鑑賞会ワイダ監督作品「ワレサ 連帯の男」を見せていただきました。この映画に感動いたしました。そこで、いろいろと思いついた感想をメールさせていただきたくなりました。映画「ワレサ 連帯の男」は、ポーランドの労働者の抵抗による共産主義政治体制から民主化への道を描いた映画でした。それは奇跡的とも思える粘り強い運動による暴力のない方法です。それを表現する為、大筋はノンフィクションであっても、細かい場面はワイダ監督によるフィクションを含んだ手法により芸術的作品に仕上げられた映画と思いました。記憶に残った場面を順序が不正確ですが、いくつかあげて見ます。

①イタリア人女性記者がタクシーでインタビュー会場に行く場面当局らしき人達の尾行と盗聴、盗撮が行われていました。
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この導入部で推理映画を見るような緊張感とわくわく感を与えられ、まず映画に引きこまれました。

②ワレサがインタビューを受ける前に家庭で準備する場面。奥さんがよそ行きの白いシャツを準備したのにそれを着ずネクタイをしてあげようとすると、最初は受け入れても最後はノーネクタイで出かけた。
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なぜそうしたのだろうか?と思いました。これはワレサの世間的な型に嵌まる事を嫌う人柄を表し、また夫婦の機微を感じました。監督はここでワレサの人柄の一面を表すとともに、家庭とのあり様を示しているのかと思いました。

③映画は80年初頭、ワレサの自宅で、イタリアの女流ジャーナリスト、オリアナ・ファラチがインタビューを行う形で始まります。そこに、ただの電気工が労働者のトップになるまでの経緯がカット・バックで挿入される手法が用いられています。インタビューの最初では、ワレサは警戒して話したがらない様子です。タバコをふかし、足を組んでふんぞり返り、まるで記者の値踏みをしているように見えました。
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監督はなぜこういうふうに描いたのか?映画を見終わってから、よくわかりました。それはまとめの部分に書きました。

④回想場面で妊娠した奥さんの足を洗う場面
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ワレサの奥さんに対する深い愛を表現していると思いました。この場面の構図からなぜか、ふと受胎告知の絵画を連想いたしました。この事を友人に話すとマグダナのマリアがイエスの足を洗うというエピソードが聖書にあると教えてくれました。調べると、その他にも、最後の晩餐の後にイエスが弟子の足を洗うエピソードなど、足を洗うという事がキリスト教に深く関連付けされていると理解できました。そう考えると、まさに聖母マリアのイメージです。

⑤家庭から当局との暴動衝突、ストライキ突入・団体交渉や当局に出頭にあたって腕時計と指輪を奥さんに託す場面(何回も出て来きます)
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特に腕時計と指輪を置いた時の音が、ワレサの心の区切りをつける意味を感じさせられました。と同時にそれがお金に変えられる腕時計と指輪から労働者の暮らしぶりを思いました。

⑥ワレサとその仲間が体制側の集会で体制の提案に賛成し体制の犬となった労働者をその家庭に訪ねた場面で労働者のおかれた貧しく厳しい現実を表現し、そして体制の犬となった弱い労働者を赦す場面。
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ワレサの労働者をまとめていく方法を見たような気がしました。リンチされるかと怯える弱い労働者に対して、制裁を加えて怒るのではなく、まずは話を聞いて、自分のできること「電気の事なら俺にまかせろ」と言い困っていることを解決=労働者にとっては一種の奇跡を起こす力を示したのでした。弱い労働者の味方である事を示し、解決する力を示し信頼を得る方法でした。

⑦インタビューで当局に投獄された時の事を聞かれて、投獄への不満や抗議はせず、意外にも静かで周りの騒ぎに邪魔されず深く考えられると返答する場面。
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強がりかも知れないが、どんな窮状に陥ってもプラス思考で考えている強さを知りました。窮状こそが信念を強くしていくようにも思えました。

⑧当局が家宅捜査にやって来て奥さんが慌てて証拠を隠そうとしている場面でキリスト教ミサのテレビ放送が始まると奥さんが全てを投げ出してテレビにかじりつく場面。当局の助手までもがミサのテレビ放送に心を奪われ膝をついて祈ろうとした。
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ポーランド人にどれだけ深くキリスト教が沁み込んでいるかを象徴している画面ではないかと感じました。

⑨ストライキが長期となり膠着状態で労働者達が分散してしまいそうになった時、ミサを企画しストライキを維持した場面。
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ポーランド人にとってキリスト教が深く生活に根ざしていることを、ワレサは良く理解し、賢くキリスト教を利用して労働者の分散を防ぎ人々をまとめたと思いました。

⑩インタビューでリーダー論を述べている場面。ワレサは自分の事を「5ページも本を読んではいられないが、しかし5秒で決断できる能力がある」と述べる。
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ワレサは知識人ではないと宣言し、しかし現実に対処できる自信を示しています。⑪若い学生達が自分達は青二才と見られているのじゃないかと悩み、ワレサに協力を求める場面。
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知識人の実践へのかかわりへの限界性と自信の無さを表していると思いました。

⑫家庭に多くの闘争の同志が入り込み、奥さんが怒りを爆発させた時「チフス発生の札」を扉にかけて和解する場面、またチフス発生の札は映画の最後のハッピーエンドの場面でも登場します。
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シリアスな場面をユーモアあるいは皮肉で切り抜けるワレサの聡明さを感じ取れます。それを描く事により映画全体の薬味としている、ワイダ監督の凄さを感じました。何故「ペスト」でなく「チフス」なのだと考えると、「チフス菌」という言葉に何か伏線がありそうな気がしました。調べると関係があるかどうか分かりませんが、同じポーランドのアンジェイ・ズラウスキ 監督「夜の第三部分」というチフス菌実験 の恐ろしい映画がありました。その他にもこんなエピソードがみつかりました。(映画と直接関係ないかもしれませんが知って良かったと思えた話なので書きます)ワイダ監督は大の日本好きで有名です。1920年に、孤児を助けた体験が、ポーランド人の間で語り継がれているそうです。ロシア革命の内戦中に多くのポーランド人がシベリアに抑留されて命を落とし、孤児が増えました。子どもたちを助けてもらうため、ポーランドはアメリカやイギリスに救命嘆願書を送りました。返事がきたのは唯一日本だけだったそうです。1920年から22年にかけて、計5回765人の孤児が日本で想像もつかない温かいもてなしを受けたそうです。たとえばそのひとつがチフスです。到着直後の子どもたちはチフスにかかり最悪の健康状態でしたが、日本赤十字の看護師たちや医師たち、さらに全国の日本人から寄付も集まり、子どもたちは2年後に全員が元気でポーランドの戻れました。その子たちは生涯にわたり「日本はとても良い国、日本人の精神がすばらしい」と伝え、いまもそれは語り継がれているそうです。
ワレサは、1981年に「ポーランドを第二の日本にしたい」と語っています。これはポーランドでは誰もが知っている名言となっているそうです。

⑬ワレサが当局のお偉方二人に連行される場面で、覚悟を決めたワレサが家族全員小さな子供達も連行の現場に立ち会わせた。
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親は子供に何を伝えるべきか、現実をしっかりと見ることなど深く教えてくれる場面ではないかと思いました。

⑭政治犯収容所での食事の場面で向かいの人の皿と交換して毒を盛られていないか警戒する場面。
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ワレサのあらゆる事に油断せず警戒を怠らない性格を表しているのかと思いました。

⑮政治犯収容所で情報統制の中でラジオを改造して世界の情報を獲得している場面。
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ワレサの電気工学への実践的な知識が実際に役に立っているとわかりました。

  「まとめ」
モノクロの記録映像とワイダ監督が創作したワレサの数々のエピソードがカラーの場面で散りばめられた映画でした。この手法をとることでこの映画においてワイダ監督は、ワレサという人物を英雄的存在ではなく、実際に存在した生き生きとした人物として描きました。⑩の場面ではインテリを痛烈に批判する人間であり、また③の場面での態度から傲慢不遜な性格、⑤や⑬の場面から妻を大事にする子煩悩な(現実に6人の子沢山)よき家庭人で、ここでは饒舌な自信家でもあるというように、さまざまな場面から、矛盾をかかえたワレサという人物像(人間そのもの)が浮かび上がってきます。ワイダ監督は「連帯」から立候補し上院議員も務めました。実際にワレサに会い、ワレサと行動を共にしていたのです。当時のポーランドは経済は破綻状態で政治的にも共産党体制は行き詰まっていました。ポーランドを救ったワレサはまさに救世主でした。これは言い過ぎかもしれませんが、①の聖母マリアのイメージがワレサ=救世主に繋がります。⑥の場面で示される体制側の犬となった労働者に赦しを与え、「俺にまかせろ」と奇跡の言葉を発する場面など救世主イエスキリストと重なります。英雄でない、特別な人でないワレサが救世主になり得た事、そしてこのようにワレサを表現する事でワレサが見る人にとって身近なものとなる事で、この映画が芸術作品として我々に感動を与えてくれる理由に思えました。2013年のワイダ監督87歳の晩年作品は、ポーランドの英雄を、あえて英雄化せずに人間としてのワレサを描き、混迷する現代に於いて「次なるワレサ」の出現を期待し願い、そして更に、特別な人でない普通の人が「次なるワレサ」になれるとも言っているようにも思えます。
充分にまとめきれてはいませんが、映画「ワレサ 連帯の男」を見て、沢山の事を感じさせていただけた事は、お伝えできたかと思っています。(川瀬藤典)

 一つ書き添えれば、ポーランドの民主化の動きを陰で支えたのは、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ二世(在位1978年10月~2006年4月)だった。教皇は就任すると8カ月後には、祖国ポーランドを訪問して、首都ワルシャワの中心にある広場に集まった群衆に向って、「恐れるな」と訴えた。この4カ月後、「連帯」が主導するストライキが起り、民主化へ大きく動きだした。ポーランドは国民の98%がカトリック教徒といわれる国である。
by monsieurk | 2017-07-17 22:30 | 映画
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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