アルベール・カミュ「砂漠」Ⅷ
だが私は、この教訓をイタリアに負っているか。それとも自分の心から引き出したのか。それが私の前に現れたのは、疑いもなくあそこでだった。イタリアは他の特権的な場所と同様に美の光景を提供してくれるが、そこでも人間はいずれ死ぬ。ここでも真実は朽ちていかねばならない。そしてこのことほど刺激的なことがあるだろうか。たとい私が望んだところで、朽ちなくてはならない真実から、私に一体なにが出来るというのか。そうした真実は私の力をこえている。そんな真実を愛するのは見せかけにすぎないだろう。一人の人間が、彼の生をつくってきたものを捨て去るのは、決して絶望からではないことを理解する人は稀だ。軽率な行動や絶望は別の生に導くだけで、大地の教えを前に、震えるような執着を示すばかりだ。だが明晰さがある段階に達すると、人間は心が閉ざされたように感じ、反抗も権利の要求もなくなり、これまで自分の生だと思ってきたものに背をむける。私はこうした人の動揺のことを言いたいのだ。たといランボーが、アビシニアでただの一行も書かずに生を終えたとしても、それは冒険が好きだったからでも、作家であることを断念したからでもない。それは《そんなものだから》であり、意識の先端では、私たちはみな天性から理解しないように努めていることを、最後には認めるのだ。明らかにここでは、ある砂漠の地理学の企てが関わっている。だがこの奇妙な砂漠は、決して自分の渇きをごまかさずに、そこで生きることの出来る人びとにしか感じることができない。そしてそのとき、そのときだけ、人びとは幸福の泉で癒されるのだ。
ボボリの庭で、私の手が届くところに、黄金色をした大きな柿がなっていて、そのはじけた果肉は濃厚な果汁をしたたらせていた。あのうっすらと見える丘から果汁の豊かなこの果物へ、そして私を世界と一つにする密かな友愛から、手の上にあるオレンジの果肉へと私を追い立てる空腹へと揺れ動く均衡に、私は捉えられていた。この均衡がある種の人間を、禁欲から享楽へ、一切の放棄から官能の乱費へと導く。人間を世界に結びつけるこの絆を、私の心が加わることで幸福の明確な限界を指示するこの二重の反映を、私は讃美したし、いまも讃美している。世界はこの限界で、幸福を完成するかもしれず、あるいは破壊してしまうかもしれない。私の反抗する心に、ある同意が眠っているのを理解したヨーロッパのわずかな場所のひとつ、フィレンツェ! 涙と太陽が混じったその空のなかで、私は大地に同意し、その祝祭の暗い焔のなかで身を焦がす術を知ったのだった。私は悟った・・・・だがどんな言葉を? どんな常軌を逸した態度を? 一体どうやって、愛と反抗の一致を確立するのか? 大地! 神々に捨てられたこの大いなる神殿のなかで、私のあらゆる偶像はみな同じ土の足をしている。(完)