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ムッシュKの日々の便り

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浜口陽三作《虹とエッフェル塔》(シルクスクリーン)

 日本橋蛎殻町にある「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」の学芸員、神林菜穂子さんから、昨日(20200122)、「いまから47年前の19727月に岡山の百貨店「天満屋」で開かれた絵画の展示即売会のポスターが見つかり、入手した」という知らせがあった。これだけではナゾナゾのような話だが、このポスター発見がどれほど価値のあるものかは、以下の文章を読んでいただければお分かりいただけると思う。

 以下は20161016日に、筆者が同ミュゼで行った講演を、ミュゼ側でまとめて、「美術館通信vol.41」に掲載してくれたものである。――

 『日々ぐるぐる 静物と30の「ことば」』と題された今回の展覧会は、浜口さんの70点余りの作品と、思ってもみない詩や文章の一節の組み合わせが素敵な空間をつくりだしています。こんな素敵な会場で、少しお話をさせていただきます。

 この度、神田神保町にある版画の専門店で、浜口陽三作「《虹とエッフェル塔》の試し刷り」というシルクスクリーンの作品を見つけ購入しました。今日はそれを展示していただきましたが、いったいこれが如何なるものか、ミュゼの協力を得て少し調べてみました。

 浜口さんの「カタログ・レゾネ」の年譜の19727月の項に、「岡山の天満屋に依頼され「世界の絵画秀作展」(9月開催)のためのポスター原画を制作〔書類〕」と書かれています。これを手掛かりにして調べる過程で、1972年当時、天満屋の美術部がパリの浜口さん宛てに送った発注関係の書類を幾つか目にすることができました。それによると、天満屋の方が現地で浜口さんに会って、秋に開く予定の秀作展の概要を話し、ポスター制作を依頼したと推察できます。浜口さんが住んでいたパリの建物には、1970年まで、天満屋の縁戚の大倉道昌さん(1925大正14年~)が住んでおられ、その後お二人は別々のアパルトマンに移ったのですがお近くでした。このことから、大倉さんの紹介だったと思われます。大倉さんは芸大時代に安井曽太郎に師事した秀才で、1964年に渡仏。パリで多くの絵を描き天満屋で展覧会をよく開きました。

 こうした経緯で、1972(昭和47年)7月に、ポスターの原画が描かれ、この原画に基づいて、神奈川の刷り工房に、ポスターをシルクスクリーンで印刷することが依頼され、デザイナーと相談の上で、下地の色、文字などを決めることになったことが分かります。

 この工房は1964年に、秦野市に版画印刷工房を開いた岡部徳三氏の岡野版画工房と考えられます。学芸員の神林さんが工房ゆかりの刷り師さんなど版画関係者数人にお話しを聞き、さらに現在足柄へ移っている工房の責任者にも問い合わせたのですが、資料は残っていないとのことでした。

 重要なのは関係書類のなかにある、ポスター全体の構図を示した手書きの図(これはデザイナーの手になると考えられます)で、この図から、今回のシルクスクリーンの絵は、浜口さんが描いた原画をもとにしたものであることは確かなように思われます。その後、浜口さんから注文が幾つか寄せられ、これを受けて、ポスターの大きさ、文字の書体と色、下地の色、そして何よりポスターをシルクスクリーンで制作することが報告されました。

 でははたして、シルクスクリーンによるポスターはつくられたのか? 展覧会は予定通り9月に開催されたのでしょうか?

 開催されたとすれば、地元岡山に本社のある「山陽新聞」に広告が出たのではないかと推測して、神奈川にある新聞博物館で、マイクロフィルムになっているこの時期の山陽新聞に当たってみました。すると確かに928日付け朝刊の14面に、7段抜きの広告が載っておりました。これが現物で紙面全体は15段、広告は頁のおよそ半分の大きさで、929日から104日まで、世界の絵画秀作展(WORLD ART GRAND FESTIVAL)、巨匠から新鋭まで1000点」とあります。しかし広告に用いられているのは、浜口作品ではなくギャマン(Paul GUIRAMAND1926‐2007)の《虹》という作品で、窓越しのエッフェル塔が同じように描かれています。

この段階で、岡山の天満屋の美術部に問い合わせをいたしました。すると、美術部に図録が一冊だけ保存されているとのことで、その図録の表紙と、浜口陽三の作品、さらにポスターも探し出して、3点のコピーを郵送してくださいました。これがその3点です。

これらと比較しますと、浜口さんが描いた原画と、今回見つかった試作刷りは、色味、虹の長さ、カーブ、さらにエッフェル塔の位置などに微妙な違いがありますが、今回見つかった作品は、天満屋の依頼をうけて、刷り工房で原画をもとにシルクスクリーンでつくられたもの(少なくともその一つ)であると考えてよさそうです。

重要なことは、1972年という時期に、浜口さんがシルクスクリーンで、ポスターを制作することを考えた事実(意欲的であったかどうかは別として)で、これは浜口さんの作品制作の歴史の上で大きな意味を持ちます。

浜口さんは初期に油彩を描き、アメリカに移った晩年は、色鮮やかなリトグラフの作品をつくった以外は、ずっと銅版画を表現手段としてきました。この時期に、自作がシルクスクリーンという技法でつくられることを認めたのは意外であり、カタログ・レゾネの記述が裏づけられたことは大きいと思います。

浜口作品としては、おそらく唯一のシルクスクリーンによる制作である《虹とエッフェル塔》をめぐる探索はこれからも続けられます。


by monsieurk | 2020-01-23 09:06 | 美術
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