フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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2017年 04月 09日 ( 1 )

男と女――第七部(31)

 三千代は帰国後、『晴れ渡る仏印』や詩集『インドシナ詩集』のほかに、安南の伝説を十六篇蒐集した『金色の伝説』を協力出版社から出版した。初版は五千部で、日本での仏印ブームを象徴する出来事だった。
 三千代が安南の伝説に魅せられたのは、ハノイ滞在中に作家の小牧近江(本名は近江谷駉)と出会って話を聞いたのがきっかけだった。小牧はこのときハノイにある国策会社「台湾殖産」の子会社である「印度支那産業」の調査課長・副参事だった。
 小牧は一八九四年五月に秋田県の土地崎港に生まれた。小学校を卒業後、父の意向で東京の暁星中学校に進学し、二年生のとき父に連れられてフランスへ行った。父の栄治は秋田港の築港や火力発電などの事業を手がけた土地の名士で、やがて衆議院議員になった。このときの渡欧は第一回の万国議員会議に出席するためだった。
 小牧は一九一〇年十月にパリの名門アンリ四世校に編入し、年下の小学生に交って勉学を続けた。だが二年後に父が事業に失敗して送金が途絶え、学校を放校されてしまった。その後は、フランスの会社で働きながら、苦学してパリ大学法学部を卒業した。
 第二次大戦をパリで体験した小牧は、戦後世界の平和を説く作家アンリ・バルビュスの「クラルテ運動」に共鳴し、その一員となって帰国した。一九二一年二月、二十六歳のとき、故郷土崎港の小学校で同級だった、金子洋文、今野賢三たちと、一九二一年に雑誌「種蒔く人」を創刊し、日本のプロレタリア運動のさきがけとなった。
 その後も精力的に左翼運動を進めたが、日本が中国大陸へ進出すると同時に、特高につけまわされる生活を余儀なくされ、トルコ大使館勤務をへて、一九三九年八月、フランス時代の外務省の伝手を頼って仏印へ渡ったのである。
 「印度支那産業」は、仏印の鉱産物、米、綿花、南京袋つくるジュート(綱麻)を現地の農民に栽培させて、それを日本に輸入する仕事をしていた。社員は支店長以下四十四人いたが、フランス生活の長い小牧は抜群の語学力と知識でフランス人や安南の人にも信頼が厚かった。
 そんな小牧近江が三千代に教えてくれたのは、民衆のあいだに伝えられてきた安陽王をめぐる物語だった。
 安陽王は長年覇権を競う雄王朝を倒して蜀を建国し、ハノイの北方の地古螺社(コーロア)に城を築いた。しかし何度やっても城は途中で崩れてしまう。そんなある日、金色の亀があらわれて、城には雄王朝の呪いがかけられていると告げる。王は亀の助けを借りて悪霊を退治し、城はようやく完成した。三年後、亀は南へ帰って行くが、城の守りとして自らの爪を一つ残してくれた。王はそれを引金にした弩(いしゆみ)をつくり、これがある限り城は安泰だった。
 だがこれを知った雄国の王は、息子の仲始(トンチュイ)をコーロアの城へ行かせ、安陽王の一人娘媚珠(ミイチョウ)と結婚させる。二人は幸せに暮らしたが、父の言いつけに背くことが出来ない仲始は、妻をだまして弩を受け取ると、帰国して父王に渡してしまう。さしもの安陽王も落城を覚悟し、娘の媚珠を馬に乗せて、二人で海まで落ちのびるが、そこに金の亀があらわれて、事の顛末を語って聞かせる。
 娘に裏切られたと思った父は、彼女の首を刎ようとする。媚珠の「私は何も知りません。もし私が罪人なら死んだあと塵となり、潔白ならその証に真珠となるでしょう」との言葉が終わらぬうちに、王は刀を一閃しては首を刎ねてしまう。海に流れた彼女の血を吸った牡蠣は見事な真珠を宿した。
 誤ちを悟った王は亀に導かれて海に入り、二度と地上へは戻らなかった。のちに悲劇を知った仲始は後悔と悲歎のあまり、井戸に身を投げて死んだ。
 史実をもとにしたこの伝説に興味をもった三千代は、関係する本を集め、悲劇の地コーロアを二度も訪ねて、帰国後これを作品にした。
 折からの南方ブームもあって、この物語は宝塚歌劇団の手で舞台化されることになった。歌劇は十月二十七日から十一月二十四まで、有楽町の宝塚劇場で上演され、看板には、「森三千代作、〈大東亜共栄圏 仏印の巻〉安南伝説・歌劇(雪組)「コーロア物語」(全十八景)」とあった。宇津秀男構成、内海重典演出で、出演は雪組の看板スター、春日野八千代、月丘夢路、千村克子そのほかだった。
 宝塚に肩入れしていたモンココ本舗は、金子が劇場ロビーの飾りつけやデザインを担当し、一日全館を借り切って社員全員に観劇させた。舞台は好評で、翌月一月元旦から二十七日まで続演となった。
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by monsieurk | 2017-04-09 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)