ムッシュKの日々の便り

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2017年 04月 12日 ( 1 )

男と女――第八部(1)

 文学報国会

 三千代が帰国した一カ月後の一九四二年五月、日本文芸家協会を解散して、文学者の戦争協力を目的とする「日本文学報国会」が結成された。岸田國士が部長をつとめる大政翼賛会文化部が斡旋して二月初めに作家たちが準備会をつくり、名称などを検討したものであった。その後、時流を考慮して「日本文学報国会」とすることを決め、五月二十六日に設立総会を開いた。
 会長は徳富蘇峰、常務理事、久米正雄と中村武羅夫という体制で、六月十八日には、東条英機首相、谷正之情報局総裁を招いて発会式を行った。日本文学報国会のなかには詩部会も設けられ、部会長に高村光太郎、理事には川路柳虹と佐藤春夫がなり、会員は三百三十九名でを数えた。この国のほとんどの詩人が所属し、金子も会員になった。こうして文学者を国家に協力させる体制が確立された。
 六月には中山省三郎編集のアンソロジー『国民詩』第一輯(第一書房)が刊行された。河井酔茗の「赤道祭」のほか、川路柳虹、百田宗治、田中冬二などの五十九篇が掲載された。開戦直後の勝利で、戦争の前途に疑問をもたない民衆の高揚感を代弁する作品がほとんどだった。
 七月二十一日、文学報国会から金子の許に、南方の事情を知っているという理由で、「大東亜文学者大会の準備委員会」に出席しろという手紙が届いた。大会の目的は、「大東亜戦争のもと、文化の建設という共通の任務を負う共栄圏各地の文学者が一堂に会し共にその抱負を分かち互いに胸襟を開いて語ろう」というものだった。準備委員は、三浦逸雄、春山行夫、川端康成、奥野信太郎、河盛好蔵、林房雄、飯島正、一戸務、吉屋信子、細田民樹、中山省三郎、木村毅、草野心平、高橋広江、張赫宙、それに金子光晴の十六人だった。
 金子はこの準備会の様子を克明に覚えていて、戦後に書いた『絶望の精神史』のなかで次のように述べている。
 「もともと僕は、いつ文学報国会というものができたかも知らなかった。まして、それがどんなものか、内容を知るはずはなかった。その報国会から出席しろという手紙が来たので、とにかく出かけてみた。行ってみると、十人ぐらいの人が集まっていた。つきあいのわるい僕には、どれも新顔で、わずかに細田民樹の顔だけがわかっていたので、挨拶した。十年以上まえに、借金にいったことがあったのだ。塩田良平という人の顔もあったようだ。
 その日の会議は、中国、タイ、安南、インドネシアなどのいわゆる大東亜共栄圏の文化人を日本に呼んで、文学者大会をやることについて、そのスケジュールを相談することであった。内実は、日本の軍の威力を誇示しようという、当局の意図らしかった。まわりの人の空気で、僕は、自分の来る場所ではなかった、とおもった。文学報国会の会長である久米正雄(実際は常務)は、軍の報道部のなんとか大佐のところへ呼ばれて、遅れて来るというのだった。
 やがて会長が顔をあらわすと、会議が進行しはじめ、各国の文化人を引きつれて、日光とか、京都とかのほかに、戸山学校だとか、霞ヶ浦だとか、軍の威容を見聞させようというプランが立てられた。それは、報道部の大佐から久米会長が、いましがた注ぎこまれてきたもので、軍としては、その軍の威容を誇ることのほうが主眼らしかった。
 僕には、いずれも、どうでもよいことばかりだったが、アジア諸国の文化人が到着すると、まず最初に、宮城前に連れていって遥拝させ、同時にすりものにして八紘一宇の精神の説明書を朗読させ、日本精神を徹底してたたきこむというところにきて、僕は当惑した。
「その精神は、日本人には、かえがたいものかもしれないが、他国の文化人には、なんのかかわりもないもので、おそらく理解できないであろう。その部分は削除すべきではないか。」
と、ひと言口にすると、騒然として、なかでも、そこで初対面の中山省三郎という男が隣席からむき直り、けわしい目つきで僕をとがめ、「他国の文化人ではない。天皇の御稜威(みいつ)のもとに集まる、共栄圏の人たちだ。」
と、食ってかかるのであった。
 名は知らないが、中国研究家という一人の男が、
「それは、このかたの言うとおりで、中国人にも通じないことです。やめたほうがいいですね。」と、ひとりだけ僕に賛成してくれた。
 中山という男は、僕がヨーロッパを放浪しているあいだの日本で売り出した、文士の一人らしく、どんな人間で、どういう仕事をしている人間かすこしも知らなかった。その態度は傲慢で、おもいあがりで、まことに肚に据えかねるものがあったが、もともと気の弱い僕のことであるから、それ以上逆らわず、退散した。帰り道、細田さんといっしょだった。
 細田さんは、「僕なんか、もう老朽で、なにも口出しできませんよ。」と言った。おそらく、ばかなことに盾ついて、ばかな目をみないようにと、年長者の親切で、忠告をしてくれたつもりらしかった。僕もそれに感謝した。」(『絶望の精神史』)



 
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by monsieurk | 2017-04-12 22:30 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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