フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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2017年 05月 09日 ( 1 )

男と女――第九部(2)

 この出来事は、近い将来の空襲が必至という思いを抱かせた。さっそくデパートなどで、空襲の被害を知らせる展示が行われ、地方に縁者がいる人たちは、家を閉めたり他人に貸したりして疎開する者が急に増えた。
 「僕たち一家も、どこかへ疎開して、当面の危険から身を外そうか、どういうことになるか、このなりゆきを逐一見聞するために、このままうごかずに吉祥寺の家に頑張っていようかということで、毎日相談したものであったが、結局、居すわることに一応こころを決めた。一家三人の他に女中さんが一人、食糧難と、その他日用物資の欠乏がじりじりと、身に食込んでくるなかで、貧乏人のことだから闇物資を買うといっても多寡がしれたものであったが、こちらから求めないのに二、三、そんなルートができて、ときたま「ブウチャンキタ」などと、電報がきて、銀座まででかけて、豚肉五百匁ぐらいを手に入れ、親しい連中を招んで小さな饗宴をひらいた。「こんなインチキな戦争のために死んじゃ駄目だぞ」と、恫喝できたあの頃の僕らはまだ若かった。」(「疎開のあと先」、『鳥は巣に』)
 
 乾

 息子の乾は暁星中学四年終了で中退し、家でぶらぶらしていた。乾は血液型も金子と同じで、喘息が起きやすいアレルギー体質も遺伝しており運動はまったく不得意だった。
 フランス語教育が伝統の暁星でも、語学の時間は軍事教練に割かれ、ゲートルをうまく捲けない彼は配属将校の標的になった。訓練をサボるために、乾が「見学証明書」を書いてくれるように頼むと、金子は同じものを何枚も書いて印を押した。そして、「これ、硯箱の下に置いておくから、必要な時にぼくに言うんだよ。月日を書き入れてやるから。ぼくの字でないとまずいだろうからと言った。」(森乾「金凰鳥」、『父・金子光晴伝』)
 ある日、乾が校庭で行進の演習をやっていると配属将校が近づいてきて、いきなり拍車の金具のついた長靴で脛をけとばした。銃の担ぎ方が教えられた通りでないとか、歩き方がだらしないという理由だった。
 同級生の前での仕打ちに、乾は恐怖や憤怒、さらには屈辱を感じて身体がひとりでにふるえた。彼は二度と教練に出ない決心をして登校をやめた。身体が悪いと嘘を言って自室にこもり、それから半年ほどは万年床にもぐって本ばかり読んでいた。
 そんな一人息子を三千代は叱責した。彼女はそもそもこの戦争の善悪について、態度を決めかねていた。日本が仏印進駐をはじめると、アメリカ、イギリスはA・B・Cラインと呼ばれる石油禁輸の包囲網を敷いて、日本の自滅をはかった。百年前からアジアの国々を植民地化し、搾取している白人の大国に、同じアジア人として日本が挑戦するのは無理からぬことで、彼女が眼にしてきたイギリス領マラヤやオランダ領インドネシアから、白人たちを追放したことは痛快なことに思われた。これは当時の作家の多くが抱いた率直な感想だった。
 そう考えると、昼と夜をとり違えたような生活を送っている息子を見るに不安になり、息子を平気で放っておく金子のやり方に我慢がならなかった。
 「「もともと父ちゃんが悪かったのよ。何でも裕(乾)の言うままに放っておくから、こんな仕様もない子に育ってしまったのよ」
 「いや、あんたがいかん。そういうスパルタ教育はぼくは大きらいだ。こういういやな時代だ。ぼくが若者だったら、やっぱり裕のようにするね」
 と晴久(光晴)は眉間に青筋を立てて、裕をかばった。」(森乾「金凰鳥」、『父・金子光晴伝』)やがて乾は学校へ行かなくなり、卒業まで一年を残した四年修了時終了時で退学して、家で本ばかり読んでいた。
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by monsieurk | 2017-05-09 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)