フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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2017年 06月 20日 ( 1 )

男と女――第九部(16)

 金子が戦後に出版される詩集『落下傘』に発表する絶唱「寂しさの歌」を書いたのは、五月五日、端午の節句の日である。

    一

どこからしみ出してくるんだ。この寂しさのやつは。
夕ぐれに咲き出したやうな、あの女の肌からか。
あのおもざしからか。うしろ影からか。

糸のやうにほそぼそしたこゝろからか。
そのこゝをいざなふ
いかにもはかなげな風物からか。
・・・・・・・・・

    二

寂しさに蔽はれたこの国土の、ふかい霧のなかから、
僕はうまれた。

山のいたゞき、峡間を消し、
湖のうへにとぶ霧が
五十年の僕のこしかたと、
ゆく末とをとざしてゐる。

あとから、あとから湧きあがり、閉す雲煙とともに、
この国では、
さびしさ丈がいつも新鮮だ。

この寂しさのなかから人生のほろ甘さをしがみとり、
それをよりどころにして僕らは詩を書いたものだ。
・・・・・・

うつくしいものは惜しむひまなくうつりゆくと、詠歎をこめて、
いまになほ、自然の寂しさを、詩に小説に書きつゞる人々。
ほんたうに君の言ふとほり、寂しさこそこの国土者の悲しい宿命で、寂しさより他になにものこさない無一物。

だが、寂しさの後は貧困。水田から、うかばれない百姓ぐらしのながい伝統から
無知とあきらめと、卑屈から寂しさはひろがるのだ。

あゝ、しかし、僕の寂しさは、
こんな国に僕がうまれあわせたことだ。
この国で育ち、友を作り、
朝は味噌汁にふきのたう、
夕食は、筍のさんせうあへの
はげた塗膳に坐ることだ。

そして、やがて老、先祖からうけたこの寂寥を、
子らにゆづり、
樒(しきみ)の葉のかげに、眠りにゆくこと。
そして僕が死んだあと、五年、十年、百年と、
永恒の末の末までも寂しさがつゞき、
地のそこ、海のまわり、列島のはてからはてにかけて、
十重に二十重に雲霧こめ、
たちまち、しぐれ、たちまち、はれ、
うつろひやすいときのまの雲の岐(わか)れに、
いつもみづみづしい山や水の傷心をおもふとき、
僕は、茫然とする。僕はなえしぼむ。
・・・・・・・

小学校では、おなじ字を教はつた。僕らは互ひに日本人だつたので、
日本人であるより幸はないと教へられた。
(それは結構なことだ、が、少々僕らは正直すぎる。)

僕らのうへには同じやうに、万世一系の天皇がいます。

あゝ、なにからなにまで、いやになるほどこまごまと、僕らは互いに似てゐることか。
膚のいろから、眼つきから、人情から、潔癖から、
僕らの命がお互ひに僕らのものでない空無からも、なんと大きな寂しさがふきあげ、天までふきなびいてゐることか。

     四

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもつてきたんだ。
君達のせゐぢやない。僕のせいでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。

寂しさが銃をかつがせ、寂しさが釣出しあつて、旗のなびく方へ、
母や妻をふりすててまで出発したのだ。
かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、
風にそよぐ民くさとなつて。

誰も彼も、区別はない。死ねばいゝと教へられたのだ。
ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まつくらになつて、腕白のやうによろこびさわいで出ていつた。

だが、銃後ではびくびくもので
あすの白羽の箭(や)を怖れ、
懐疑と不安をむりにおしのけ、
どうせ助からぬ、せめて今日一日を、
ふるまい酒で酔つてすごさうとする。
エゴイスムと、愛情の浅さ。
黙々として忍び、乞食のやうに、
つながつて配給をまつ女たち。
日に日にかなしげになつてゆく人人の表情から
国をかたむけた民族の運命の
これほどさしせまつた、ふかい寂しさを僕はまだ、生れてからみたことはなかつたのだ。
しかし、もうどうでもいゝ。僕にとつて、そんな寂しさなんか、今は何でもない。

僕、僕がいま、ほんたうに寂しがつてゐる寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
ひとりふみとゞまつて、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界おいつしよに歩いてゐるたつた一人の意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。

                    昭和二〇・五・五 端午の日

 金子はひと月に一度ほどの割合で上京した。体調のよくない義母須美が残っていたからである。雪がとけ、木炭バスが通るようになって、金子と乾は一度だけ名古屋まで旅行した。目的は次兄にあって、彼が社長をつとめる飛行機工場に、乾を名目だけの事務員に登録してもらうためだった。徴兵は免れたものの、いつ徴用されるかわからず、それを防ぐためだった。
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by monsieurk | 2017-06-20 20:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)