ムッシュKの日々の便り

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画家ヴュイヤール VI 「室内画」

 ヴュイヤールが1890年代に数多く手がけた室内画のなかでも、《部屋を掃く婦人》は、18世紀の偉大な室内画家ジャン=シメオン・シャルダンとの血脈を強く感じさせるものである。マルセル・プルーストは、シャルダンをこう評したことがある。
 「あなた〔観客〕が彼の絵から受ける歓びとは、一人の婦人が座って縫い物をしている部屋の情景からくる歓び――その羽ばたきを捉え、束の間の刻を取り戻し、確かめ、熟考し、不朽のものとした――歓びです。あなたはそれをすでに、心の中では経験しているのだが、こうした日々の情景や生命を持たないものから受けとるほのかな歓びは、もしかすると、シャルダンが、彼の通りのよい、明快な口調で語ってくれていなかったなら、あなたの心のうちに起らなかったかも知れないのです。」(「シャルダンとレンブラント」)
 プルーストが指摘する、日常的な事柄に豊かな詩的表現をあたえるのは、神経を過剰に興奮させ、詩人ランボーのいう「見者(voyant)」になるのではなく、あくまで対象を注意深く観察し、その上で対象の固有性を捨象することで、現実から不朽の美を抽出する方法によってだった。この方法こそ、ヴュイヤールがマラルメから学び取ったものにほかならなかった。
 マラルメは想像力に過度の期待をかけることのない詩人だった。想像の翼をひろげるよりは、感性を研ぎすますことに、より多くを期待する型の芸術家であった。彼はかねがね「現代とは想像〔上のもの〕を軽蔑する時代である」という信念を抱いていた。
 古典派からバロックを経て、ユゴーやドラクロアにいたる2世紀は、詩も絵画も想像上のものを主題にし続けてきた。これに対してマラルメは、あえて世俗的なもの、身近なものを取り上げ、そのなかに潜む美をうたおうとした。
 たしかにマラルメも「半獣神」や「エロディヤード」といった神話の主人公を主題に詩をつくってはいるが、それはあくまでも創作上のきっかけにすぎなかった。
d0238372_28377.jpg イギリスの美学者でマラルメの詩を翻訳したロジャー・フライは、マラルメの詩の特徴を次のように指摘している。
 「これほどまで、その作品の多くを、絵画でいえば、静物画の範疇に分類されるテーマにささげた詩人はまれである。日常的な事物を指し示す言葉――窓(fenêtre)、窓ガラス(vitre)、卓子(console)、ランプ(lampe)、天井(plafond)――にあれほど豊かな詩的震えをあたえ得た人は皆無であった。しかも、彼は人を驚かすような諧調を強制したり、言葉を技巧過剰にねじ曲げて使ったりするのではなく、観察と言葉同士が調和する能力を正確に計量することで、それを達成したのである。」
 ロジャー・フライが「静物画」と呼ぶものは、むしろ「室内画」と名づけたほうがよいかも知れない。まさしくマラルメの詩篇の多くは、部屋やサロンの片隅をあつかっている。その一例が、「純らかな爪は高々とその縞瑪瑙をかかげ」ではじまるソネである。
 この詩篇は1887年に刊行された『「ステファヌ・マラルメ詩集」、著者自筆写真石版刷』(Les Poésies de Stephane Mallarmé, édition photolithographiée, la Revue indépendante)で初めて公表された。以下にマラルメの自筆の写真石版刷と活字に起こしたものを掲げる。

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  Ses purs ongles très haut dédiant leur onyx,
  L’Angoisse ce minuit, soutient, lampadophore
  Maint rêve vespéral brûlé par Phénix
  Que ne recueille pas de cinéraire amphore

  Sur les crédences, au salon vide : nul ptyx,
  Aboli bibelot d’inanité sonore,
  (Car le Maître est allé puiser des pleurs au Styx
  Avec ce seul objet don’t le Néant s’honore.)

  Mais proche la croisée au nord vacante, un or
  Agonise selon peut-être le décor
  Des licornes ruant du feu contre une nixe,

  Elle, défunt nue en le miroir encore
  Que, dans l’oubli fermé par le cadre se fixe
  De scintillations sitôt le septuor.

  純らかな爪は高々とその縞瑪瑙(オニックス)をかかげ、
  苦悩は、この深夜、神灯捧持者さながら
  不死鳥(フェニックス)に焼かれたあまたの宵の夢を支えている
  だがその灰を納めるための骨壷

  プティツクス、客間の食器棚の上には、
  殷殷と鳴る空の器ひとつない
  (なぜなら部屋の主は、無が誇る
  この唯一の品を携えて、黄泉の河(スティックス)へ、涙を汲みに行っているから。)

  だが、北に向って開け放たれた窓枠近くには金色の輝きがあり、
  苦悶の最後の光を放つ、恐らくそれは
  水の精(ニックス)に火を吐きかける一角獣が彫られた縁飾りで、

  水の精が、忘却が閉じ籠められた鏡の面で、
  力なく、裸形の姿を横たえたと見るうちに
  確然と、大熊座の七重奏が現れ出でる。

 〈ix〉という、きわめてまれな脚韻を踏むこのソネのモチーフは、詩人が詩作に没頭している部屋の情景である。何もないがらんとしたサロン。「北に向って開け放たれた」窓、食器棚、壁につるされた鏡。鏡面は一角獣の飾りのある枠にはめこまれていて、そこに部屋の内部が映っている。
 夕闇が迫るにつれて、部屋には夜気がたちこめ、暖炉で燃えている燠〔おき〕が明るさを増す。ちらちら燃える炎が鏡に映り、金色に塗られた鏡の縁飾りをきらめかす。そしてさらに闇が濃さを増すと、いつのまにか北の夜空には大熊座がのぼり、それが開け放たれた窓を通して鏡に映しだされる。こうして部屋の内部と夜空は鏡のなかで重なり合い、結ばれるのだ。
 詩の決定稿が発表されたのは1887年だが、マラルメがこの詩の初稿を書いたのは、これよりも20年近く前の1868年のことであった。
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by monsieurk | 2012-06-04 02:09 | 美術

画家ヴュイヤール V 「ゴーギャンの教え」

d0238372_2581211.jpg ナビ派の誕生は、「ゴーギャンを父として、セリュジェを助産婦に、文学上の象徴主義から生まれた」と称されることがある。ポール・ゴーギャンの作品は、印象主義に不満をいだく「ナビ派」の若い画家たちに強い衝撃をあたえた。
 ゴーギャンは印象派のあまりに直截的な自然再現を批判した。彼によれば、絵画は「自然の再現ではなく、芸術家の心情を映す鏡」でなくてはならなかった。
 1888年のパリ万国博覧会に際して、カフェ・ポルピーニで催された「印象主義および総合主義画家のグループ展」で、初めてゴーギャンの作品に触れたヴュイヤールやその仲間たちは、「支配的な要素から抽出された形と色の総合」とゴーギャン自身が呼ぶ、大胆な画面構成に圧倒された。こうした自然の恣意的なとらえ方と、画面にただよう詩情こそ、彼らが追い求めていたものにちがいなかった。
 仲間の一人、ポール・セリュジェはさっそく北フランス、ブルターニュの港町ポン・タヴェンに住むゴーギャンのもとを訪れ、そこに滞在して教えをうけた。こうしてゴーギャンの考えは、セリュジェを通してナビ派の仲間たちに伝えられることになったのである。モーリス・ドニは、『ポール・ゴーギャンの影響』のなかで、セリュジェのはたした役割について、こう語っている。
 「セリュジェがポン・タヴェンから帰り、彼によってゴーギャンの名前が私たちに示されたのは、1888年末のことであった。彼はいかにも神秘的なものといわんばかりに、タバコの包み紙を見せた。そこには紫、赤、緑、その他ほとんど白の混じっていない、まるでチューブからしぼり出したばかりのような純粋な色彩によって描かれた風景画とおぼしきものが描かれていた。これを見せながら、セリュジェはゴーギャンをめぐる一つのエピソードを語って聞かせた。
 「君、あの木はどう見えるかね」とゴーギャンは言った。「緑だね? それなら緑色を塗りたまえ、君のパレットで一番冴えた緑色を。あの影はどうだ、青っぽいだろう? それならできるだけ青くしてしまってはどうだ。そしてあの赤い葉には朱色を。」
 こうして私たちは美術のなすべきこととは、目に見えている事実を転換することであり、いわば強調された表現、一体化された視覚印象の感動的な等価物であると理解するようになった・・・。この方法は、単純な模写を行うときに画家としての私たちの本能に何かひっかかっていた障害物をきれいに払拭してくれた・・・もしも赤味がかった褐色の木を鮮やかなスカーレット(紅色)で描くことが許されるならば、詩人が暗喩によって実在化させているようなさまざまな印象を、画家たちは、背景の曲線を変形させ、真珠のようなカーネーションの白を誇張し、木の枝ぶりを一層シンメトリックにこわばらせるなどをしながら、形の上で強調していけないことはない。こうした手順を知ると・・・純粋色が輝くように並置され、もはや自然との偶然の一致ではあり得ない例の小さな絵は、まさしく一つの天啓――預言者(ナビ)のダマスカスへの道――であった。いみじくも彼らの一人が言ったのだが、それは「奔流が押し寄せたごとく」に画家たちの感覚を扇動したのである。」
 こうしてゴーギャンから得た単純化と象徴化の方法、そしてそこから詩的な連想を誘う方法から、数々の作品が生み出されることになった。ポール・セリュジェが、ポン・タヴェンで、ゴーギャンの直接指導のもとに制作した《愛の森風景、護符(Le Bois d’amour, talisman)》はその最初の成果であった。この記念碑的作品はいまオルセー美術館で展示されている。
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 初期のヴュイヤールも、ゴーギャンから強く影響された一人だった。そうした影響の下で、《リュニエ=ポーの肖像》(1891年)、《三等客》(同)、《寝台の中》(同)、《ライラック》(1892年)、そして有名な《自画像》(同、ヴューヤールⅠで紹介した黄色い髪のもの)が制作された。
d0238372_258191.jpg 高等中学校時代の級友で、パリの芝居小屋「作品座」の俳優兼舞台監督であったリュニエ=ポーの肖像は、褐色を含んだ灰色を基調に、机の角で何かものを書いている姿が明確な輪郭をもって描かれている。奥行きが感じられない平面的な構図、装飾的ともいえる形態の大胆な省略。ヴュイヤールはこの作品では仕事には熱中する友人を描写するというより、彩色された目を組み合わせて、機知に富む一人の若者の活力を象徴する画面をつくりだすことに成功している。
 三等客車の木製のベンチに座った夫婦と子どもを、白とこげ茶、黄土色の三色で描きだした《三等客》。まるで切り紙細工のようなデフォルメをほどこした《ライラック》。こうした作品は、絵画とは事物を見えるがままに再現するのではなく、画家の意志で随意に選ばれ、彩色された平面を組み合わせることで、一つの心理状態を、観る者のうちにつくりだすもの、「絵画とは何よりもまず、一定の秩序のもとに集められた色彩でおおわれた平坦な表面である」(モーリス・ドニ)とするナビ派の理論のみごとな結実であった。
d0238372_2582175.jpg しかしヴュイヤールの気質は、どうやらこうした原理とは別のものであったようである。彼がゴーギャン流の描き方に固執していた時期はそれほど長くは続かなかった。ヴュイヤールは、間もなく身近にあるこまごました事物、日常を彩る親密な(アンティーム)ものに強く惹かれるようになる。初期に学んだ、省略と少ない色彩の調和から独特の雰囲気をかもし出す技法を用いつつ、家庭内の静謐で平和な情景から、不滅の美を抽出しよとするようになった。 1892年に描かれたと推定される《部屋を掃く婦人》は、そうした傾向の最初のあらわれである。いましも部屋着姿の女性が箒を手に、床を掃いている。画面左手では部屋の空気を入れ替えるべく、扉は半開きになっており、中央には艶のある木のタンスが置かれている。タンスの上に置かれた赤い木鉢。左下には黒と薄茶の模様のテーブルクロスにおおわれた丸テーブルの表面が見える。このテーブルクロスと壁紙、それに女性の部屋着の模様が微妙な調和をつくりだす。だが、観る者の心をうつのは、なによりも床を見つめる女性のやさしい眼差しである。
 絵は現実の情景から出発しながら、現実を浄化し、理想化して、詩の世界へと変貌している。日常の家庭生活のなかで、いつでも見かける静かで平穏な一情景。しかし、凡庸な輪たちたちは一瞬心にとどめても、すぐに忘れてしまうこうした情景を、画家は不滅のものに変える術を知っているのだ。
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by monsieurk | 2012-06-01 03:13 | 美術
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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