フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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 アルルは観光の拠点で、ここからはローヌ川の河口にひろがる広大な湿地帯であるカマルグや、かつて法王庁が置かれ、現在は夏の演劇祭で有名なアヴィニョン、ローマの水道橋遺跡があるニームなどへバスが出ています。中世の城塞都市レ・ボー・ド・プロヴァンス(Les Beaux de Provence)もその一つで、アルルの東18キロに位置します。アルル滞在3日目は、バスでレ・ボー見物に出かけました。
 アルル駅前を出発したバスは途中、ドーデーの水車小屋のモデルがあるフォンヴィエイユの小邑を抜け、やがて坂道に差しかかると、アルピーユ山脈の岩だらけの景観が見えてきます。プロヴァンス語のbaouとは岩だらけという意味です。バスは30分で岩山の上にある街に到着します。
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 レ・ボー一帯は中世期に栄え、城主は近隣の80近い町や村を支配下におさめていました。その後レ・ボーの山城はプロテスタントの牙城となったために、1632年にルイ十四世の摂政だったリシュリューの手で破壊され、一度は滅ぼされます。そしてその10年後には、モナコの領主グリマルディ家に譲りわたされ、レ・ボー伯爵の名は現在もモナコ大公家に受け継がれています。
d0238372_19355723.jpg レ・ボーの街は岩山の上に築かれた城とそれを囲む城壁に守られた街とからなり、狭い道の両側には、教会、礼拝堂、そして家々が軒を連ねています。中世にはこの狭い空間に4000人もの人びとが住んでいましたが、現在の人口は500人です。ただ夏の観光シーズンには、その数百倍する観光客が押し寄せます。
 城壁の入口に近いイヴ・ブレイヤー展示場では、モナコの王妃だったグレース・ケリーの写真展が開かれていました。これはレ・ボーとモナコ大公家との特別の関係を示すものです。もう一つモナコとの関係でいえば、サン・トロフィーヌ教会の内部を照らすステンドグラスは、前モナコ国王レニエ三世が寄贈したものです。
d0238372_19355486.jpg 城跡の広場では、中世時代に用いられた巨大な石投げ機の模型の実演が行われ、あるいは罪人を晒し者にするために、首と両手を挟んで身動きできないようにする刑具の模型などがあり、子どもたちが自ら罪人になって大喜びしていました。
 私が2度目にパリで勤務していた1989年、NHKはここレ・ボーやカマルグのサント・マリード・ラ・メール、そしてマルセイユを舞台にした大型ドラマを制作し、私たち現地側もフランス人の俳優のオーディションを行うなど側面から支援しました。
 松本清張原作のドラマ『詩城の旅びと』で、ストーリーは一人の女性の投書から、ある新聞社が「プロヴァンス国際駅伝」を企画し、新聞社は陸上競技の国際的な権利をおさえる競技団体の会長と交渉をはじめます。しかしこの企画の裏には、投書の主の女性の隠された意図がひそんでいました・・・。
 投書の主、多島通子を富司純子さんが演じ、そのほかに緒方拳、中川安奈、根津甚八さんなどが現地にやって来て、大々的なロケーションが行われました。レ・ボーに来たのはその時以来で、懐かしい限りでした。
 アルル滞在はこうして順調に過ぎたのですが、最後の最後でフランスらしさを味わわされました。アルルの駅から帰りの特急列車に乗り込んだところ、予約した1等の席にはすでに人が座っています。私だけでなくアルルから乗った乗客全員の席がすでに塞がっています。車掌をつかまえて詰問すると、ダブル・ブッキングではなく、始発のニースで車両の都合がつかずに、本来3両あるはずの1等車を2両しか連結しなかったというのです。
 1等車両はすぐ満席となり、マルセイユ以降は予約があっても座れない状況になりました。車掌はやむなく、乗客を空いている席に次々に座らせる措置をとったために、予約は意味のないことになり、アルルで乗り込んだ私たちは立ちん坊で、席が空くのを待つはめになったというのが事の真相です。ようやく空席を見つけることができたのは、トゥールーズまで旅程の3分の1がすぎたモンペリエでした。こうして私たちの小旅行はフランス的といえばいかにもフランス的な事態のなかで幕を閉じました。

 昨年6月末のフランス報告からはじめたブログも、1年1カ月がすぎました。これから少々仕事が立て込む予定で、しばらく休載させていただきます。秋口に内容をあらためて再開いたします。
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by monsieurk | 2012-07-29 19:39 | フランス(旅行) | Trackback | Comments(3)

アルルII 展覧会

 アルルに来た目的の一つは、この街で毎年夏に催される写真展を観ることでした。アルルには写真を専門に学ぶ国立高等専門学校があり、今年は創設30周年にあたります。そのため今回の展覧会はこれまでになく大規模で、街の主な公共施設を会場に、30カ所で過去の名作からいま活躍中の若手実力派まで、世界中から集められた作品を観ることができます。ほとんどが有料ですが、27ユーロ(3000円)の切符を買えば、すべての会場で作品を鑑賞することが出来ます。
 私にとってとくに興味を引いたのが、《カルティエ=ブレッソンの世紀》と題したドキュメンタリーでした。これは作家で、ラジオのリポーターでもあるピエール・アスリーヌが編纂したもので、「決定的瞬間」を撮ったことで有名なアンリ・カルティエ=ブレッソンの作品をモンタージュしつつ、彼の生涯と作品を紹介したものです。
 かつて私もカルティエ=ブレッソンとのインタビューをまじえて同様のドキュメンタリーを制作したことがあり、興味はつきませんでした。どちらの出来栄えが良いかは語らないことにします。
d0238372_12355739.jpg もう一つの展覧会は、アルルで一番大きな「レアュチュ美術館」で催されているピカソとファッション・デザイナー、クリスチャン・ラクロワの協演の形をとった展覧会です。展示されていたのはピカソが1971年1月から2月にかけて一気に制作したさまざまな人物の顔と、それをもとにラクロアが舞台衣装用に制作したコスチュームでした。ピカソの独特の線の威力が存分に発揮された顔、顔、顔は圧巻でした。
 その他に眼をひいたのは、ごく初期に水彩で描かれた母親の半身像で、これを観てもピカソがごく若い時からじつに達者な筆遣いをしていたかが分かります。もう一点は、1954年の《ヴァイラリスの闘牛》で、これはピカソには珍しい木版で刷られています。
 アルルの街は曲がりくねった道の両側に建物がつづき、車一台がやっと通れるほどの道幅ですから、歩いてまわるのが一番です。夕方6時をすぎると、そうした道も通行止めになるところが多く、そこにテーブルと椅子が置かれて、レスストランのテラスに早変わりします。
 写真は「アレーヌ通り(rue des Arènes)」という、アレーヌ(円形闘技場)とフォーラム広場をむすぶ坂道で、ここには「狼の口(Gueule de Loup)」と「ケリダ(Querida)」という美味しい店が並んでいて、夕食(とはいえ8時過ぎからです)を食べたのですが、坂道におかれた椅子から転げ落ちないように気をつかいました。片やこの地方の郷土料理、もう一方は、タパスなどのスペイン料理の専門店で、二晩とも坂道を吹き下ろす風をうけながらの食事は最高でした。
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by monsieurk | 2012-07-26 12:40 | フランス(旅行) | Trackback | Comments(0)

アルルI ゴッホの遺産

 南仏のアルル(Arles)と近郊のボー・ド・プロヴァンス(Les Baux de Provence)へ3泊の小旅行に行ってきました。連日、雲一つない快晴で、ゴッホが求めた光に満ち溢れていたのですが、強烈過ぎていささか眼を痛めました。この文章もサングラスをかけて書いています。
d0238372_1226343.jpg アルルは紀元前6世紀に、ローヌ川沿いにギリシャ人が建設したという歴史を誇る街です。その後ローマ帝国の属州の重要な都市となり、水運の便がよいことから大いに栄えました。街自体はさして大きくありませんが、ローマ時代の遺跡である円形闘技場、古代の野外劇場、浴場跡、街をめぐる城壁、12世紀に建てられたサン=トフィーム教会と附属する回廊など、歴史的建造物に事欠きません。
 ただ19世紀になって鉄道が開通すると、ローヌ川を利用する輸送が激減し、アルルは経済的には衰退してしまいました。そのアルルを救ったのがファン・ゴッホでした。
 ブログ「ゴッホと浮世絵Ⅱ」(2012.6.27)で紹介したように、ゴッホは1888年2月21日に、私たちが下りたのと同じ駅に降りたち、この街へやってきました。
d0238372_12262040.jpg 彼が住んだ「黄色い家」は取り壊されて現存していませんが、有名な《夜のカフェ》の対象となったカフェは、「カフェ・ファン・ゴッホ」と名前を変えて店を開いています。街の中心の「フォーラム広場(Place du Forum)」に面していて、レストランやホテルが広場を囲んでいます。広場は朝から夜遅くまで観光客で一杯ですが、地元の人たちに聞くと「カフェ・ファン・ゴッホ」の評判はもう一つで、観光案内所でも、「あそこは高いし、店員の態度も横柄だ」とあまり勧めないとのことです。
d0238372_12261223.jpg ゴッホにちなんだ場所としては、ブルターニュにいたゴーギャンを呼んで、しばらく共同生活をしたあと、耳切り事件を起こして入院した市立病院(Hôtel Dieu)があります。ここはいま、「ゴッホの空間(Espace Van Gogh)」という名前の展示場になっていますが、建物やゴッホが描いた庭はそのままで、さまざまな色の花が咲き乱れていました。
 ゴーギャンと激論を交わしたあと、ゴッホが自分の耳たぶを切り落としたのは、1888年12月23 日の夜のことで、医師の手当てをうけたあと、この市立病院にしばらく入院しました。翌年になると、彼を知る人たちが精神病院に入れるよう陳情するようになり、そのせいもあって、ゴッホはアルルを去って、近くのサン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院へ入ったのでした。そのゴッホの事績を訪ねていま大勢の観光客がやってきて、それで街は潤っています。
 街を歩いていると、さまざまな言葉が耳に入ってきます。そして目立つのは中国人観光客の多さです。しかも彼らのほとんどが、夫婦に子ども一人、あるいは若い女性の2人連れといった個人旅行です。
 言葉を交わしたアルルの人たちはみな親切で、嫌な思いをさせられたことは一切ありませんでした。レストランの女性、バスの運転手さん、お店の人たち、古本屋の親爺さん・・・彼らの歌うような南のアクセントと笑顔はなんとも魅力的です。
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by monsieurk | 2012-07-26 12:29 | フランス(旅行) | Trackback | Comments(0)

熱狂ぶり

 毎年の夏恒例のトゥール・ド・フランス、フランス一週の自転車レースについては、2011年7月16日のブログで紹介いたしましたが、今年はレースの模様を直接見物してきました。
 トゥール・ド・フランスは1903年にはじまり、スポーツ競技としてはオリンピックに次いで長い伝統があります。今年はベルギーのリエージュを6月30日に出発して7月22日にパリのシャンゼリゼ大通りへゴールするまで、途中休みの日を入れながら、21日間フランス各地の街と街を結ぶコースを走り続けます。全行程は3479キロ、トータルで一番早かった選手は、マイヨ・ジョーヌ(黄色いシャツ)を着る栄誉に浴します。一等賞金は45万ユーロで、そのほかにも毎回の走行で、さまざまな賞金が用意されています。
 7月15日、革命記念日翌日の日曜日は、リムー(Rimoux)をスタートして、私たちが滞在しているピレネー山中の村マサット(Massat)を通り、二つの峠をこえてフォワ(Foix)をゴールとする山間部の難コースです。今年のトゥール・ド・フランスには沖縄出身のユキヤ・アラシロ(新城幸也)選手がユーロップカー・チームの一員として走っています。彼を応援するためにも出かけたのですが、これがなかなか大変でした。
 マサットは谷底にあるため、坂道を走り下りてくる自転車は一瞬で通り過ぎてしまいます。そこでコース最大の難所である標高1375メートルの「ペゲールの壁」といわれる地点まで出かけて行きました。
d0238372_12395398.jpg この地点の通過は午後4時半ころと予想されますが、家を車で出発したのが午前9時半です。途中道の両側はキャンピング・カーで埋め尽くされています。多くがトゥール・ド・フランスの「追いかけファン」とのことです。私たちが車をとめることができたのは、目指す峠の2キロ手前。そこに駐車して、あとはピクニック用の敷物と食糧をもって歩きました。途中にはキャフェ、パエリャの店、太った豚を串刺しにして丸焼きをつくっている店など、大きなテント張りの店がいくつも出来ています。幸い、峠にさしかかる手前のカーブのところに場所を見つけることができました。ここは傾斜度13度以上という急坂で選手たちもゆっくりと登ってくるはずです。
d0238372_12394719.jpg 通過までにはまだ6時間はあり、それを予想して本を持参したのですが、周囲は人人人で埋まり、本を読むどころではありません。地元フランスはもとより、イギリス、オランダ、イタリア、南アフリカ、オーストラリア・・・の旗を持って、出身国の選手を応援する人たちはすでに大盛り上がりです。私たちも道路脇に敷物を敷いて、ピクニックを楽しむことにしました。
 選手到着の1時間ほど前から「キャラバン」と呼ぶ、さまざまな企業の宣伝カーが、帽子、Tシャツ、お菓子、キーホルダーなどなどをばら撒いて通り過ぎます。これを受け取るのも楽しみの一つです。その後ラジオ局からインタビューされ、「日本からトゥール・ド・フランスを観にやってきたのだ」とリップ・サービスをしますと、アナウンサーは満足げでした。
 やがて頭上のヘリコプターの音が聞こえてきました。空からテレビの中継をするためです。急坂を登って最初に姿を見せたのはサンディー・カザル(フランス)で、地元選手の登場に沿道は大興奮です。次いでイザギール(スペイン)、少し遅れて3位のサガン(スロヴァキア)。そのあとしばらく間があって、20人ほどの一団が懸命に坂を上って姿を現しました。そのなかにユーロップカーの緑のユニホームを着た新城幸也選手も入っています。孫娘たちが日本語で、「ガンバレー」と声をかけると、気づいた彼はにっこりウインクをしてくれたそうです。
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 待つこと6時間、最後の選手が通過したのが先頭から15分ほどあと。かくして一日の見物が終わりました。選手たちの頑張りは感動的で、追いかけファンの気持がよく分かりました。ちなみに、豚の丸焼きは3匹がすべて食べ尽くされたとのこと、またテントのカフェは翌日午前2時まで店開きをしていたとのことです。
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by monsieurk | 2012-07-18 13:01 | フランス(旅行) | Trackback | Comments(0)

カラヴァジスム

d0238372_1173886.jpg トゥール-ズには幾つも美術館がありますが、かつて市営の家畜屠殺場だったところを改装した「アバトワール美術館」については、去年7月10日のブログで紹介しました。ここに収蔵されているパブロ・ピカソが制作した舞台用の巨大な緞帳、《アルルカンの服装をしたミノトールの遺体》を今回も観てきました。そして翌日には、街の中心にある「オーギュスタン美術館」で開催中の、「肉体と影、ヨーロッパのカラヴァジスム(Corps et Ombres , Le caravagisme européen)」に足を運びました。
 「オーギュスタン美術館」は修道院だった建物を、1793年に改修して美術館としたもので、これはルーヴル美術館の開館に遅れること数年のことです。トゥールーズの帝国アカデミーが所蔵していた作品を基礎にスタートしましたが、時代とともに収蔵作品は増え、現在では4000点に上ります。絵画としてはリューベンス、ドラクロアから、マネやトゥールーズ=ロートレックなど、17世紀から20世紀にかけての作品が巨大な部屋の壁に所せましと飾られています。
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 美術館の最大の見どころは12世紀ローマの彫刻群で、この分野のコレクションとしては世界有数のものです。
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 現在開催中の「肉体と影、ヨーロッパのカラヴァジスム」は、イタリアバロック期の画家ミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジオの絵が、ヨーロッパ各地の画家たちにどのような影響をあたえたかを探るものです。カラヴァッジオ(1571-1610)は、人間本来の姿を写実的に描き、光と影のコントラストを際立せる印象的な手法で、バロック絵画の形成に決定的な役割をはたしました。《トカゲに噛まれた少年》(1593-94、ロンドン・ナショナルギャラリー)、《女占い師》(1595頃、ルーヴル美術館)、《洗礼者ヨハネの首を持つサロメ》(1609頃、マドリード王宮美術館)などが代表的な作品で、世界各地の美術館に所蔵されています。美術史家のバーナード・ベレンソンは、「ミケランジェロを除けば、カラヴァッジオほど世界の画家たちに大きな影響をおよぼしたイタリア人画家はいない」と述べています。事実、当時のヨーロッパの画家の多くがイタリア詣でを行いましたが、その目的はカラヴァッジオの絵に接することだったといわれています。
 今回トゥールーズの「オーギュスタン美術館」では、フランドルとオランダ絵画が集められており、ホントルスト、レンブラント、テル・ブリュゲンなどの作品を観ることが出来ました。
 レンブラントの《エジプト脱出》は小さな作品ですが、光と影を巧みに表現した傑作で、以前から観たいと望んでいたものでした。展覧会ではフラッシュを用いなければ、写真を撮ることが許されていますが、天井近くの窓から差し込む光線が反射してなかなかうまく撮れません。すると係の女性が親切にも、彼女が着ていた黒いセーターを私の背後にかざして光線を遮ってくれました。昨日も同じようにして喜ばれたということでした。これがその《エジプト脱出》です。
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 近くのモンペリエのファーブル美術館では、イタリアとフランス、スペイン絵画が展示されて、それらへのカラヴァジスムの影響が探究されています。
 展覧会は10月14日までで、その後アメリカ・ロサンゼルスとハートフォードの2つの美術館へ巡回するということです。

 週末はインターネットが使えないピレネーの山荘へ出かけます。暫時このブログはお休みです。
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by monsieurk | 2012-07-16 11:21 | フランス(美術) | Trackback | Comments(0)

二分されるフランス

d0238372_1210216.jpgd0238372_1235229.jpg 二分されるといっても政治の話ではなく、今夏のフランスの天候です。写真はトゥールーズの地下鉄の入口で配られる「Direct Matin」という無料配布紙の1面と8面です。車内で読んだ後なので、少々皺がよっています。
 表紙の記事は「ロワール川の南は太陽、北は灰色」、「さあ夏だ、でもどこもというわけではない」という見出しです。コート・ダジュールのマルセイユやニースの海岸では、例年のように水着姿のカップルや家族連れが太陽を存分に楽しんでいますが、北の避暑地であるノルマンディーやブルターニュでは、海岸のビーチ・パラソルは畳まれ、観光客は雨傘にジャケットを着こむ姿が目立つと、昨夜8時のニュースでも伝えていました。
 天気予報士の分析では、北の雨と低温はイギリスから吹き込む寒気のせいで、南の暑さは地中海をこえて来るサハラ砂漠からの熱風の影響とのことです。
 Direct Matin紙には、この6月からの気象の異常を示すいくつかの数字が載っています。
 
 16日:フランスの北西に位置するサルト県では、6月1カ月の雨の日が16日で、この地方の人たちは2日に1日は傘を持って外出したことになる。
 100から150mm:パリなどがあるイル・ド・フランスでは、6月の雨量が平年の二倍に近く、これは53年ぶりに雨の多い年となった。
 70から80時間:ブルターニュで記録した6月1カ月の晴れの時間。平均すれば1日に2時間ほどしか太陽が顔をださなかったことになる。
 17度:7月10日のブルターニュと地中海のコルシカ島の気温の差。ブレストでは正午で14度。一方カルジェーズでは温度計は31度をこえた。

 ここトゥールーズはピレネー山脈の影響のために地中海沿岸とは気候が異なり、2日晴れると1日曇りまたは雨といった天候を繰り返しています。7月14日の革命記念日には、パリのシャンゼリゼ大通りで、オランド大統領が初めて出席して一大パレードが繰り広げられ、歩道は多くの見物客で埋まりますが、この分では上着が必要になりそうだと天気予報は悲観的です。私たちは来週、ゴッホの耳切り事件で有名なアルルへ行く予定です。パリから光を求めて出かけたゴッホのように、ギラつく太陽を期待しています。
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by monsieurk | 2012-07-13 12:15 | フランス(生活) | Trackback | Comments(0)

巡礼の地、ラ・ロミュ

 アレクサンドル・デュマの『三銃士』の主人公ダルタニアンの出身地とされるガスコーニュにある小さな村「ラ・ロミュ(La Romieu)へ行ってきました。トゥールーズからは車で1時間半ほどの距離です。
d0238372_12522047.jpg 高速道路A62を北西方向に走ること40分でアジャン(Agen)という街につきます。ここで高速道路を下りて、県道を走ること50分、起伏に富んだ周囲は、刈入れのすんだ麦畑、玉蜀黍畑、大蒜畑などが延々とつらなる田園地帯です。茶色の麦畑の丘がそのまま空につながり、青空に夏雲が湧く光景は、日本ではなかなか眼にすることが出来ません。ラ・ロミュに近づくと、遠くから14世紀に建てられた参事会教会(collégiale)の巨大な塔が見えてきます。
 ラ・ロミュ村の人口は550人ほどですが、村の歴史は1062年にさかのぼります。ローマへの巡礼をすませた2人の修道士がこの地に質素な祈りの場をつくりました。やがてその周囲に人びとがすむようになり、村は高さが8メートルもある壁に囲まれることになりました。これが村のはじまりで、「ラ・ロミュ」という名前は、ガスコーニュ地方の方言で、「ローマへの巡礼」を意味するところから来ているとのことです。
d0238372_1255257.jpg ラ・ロミュの参事会教会と附属する内庭回廊(cloître)は、1998年にユネスコの世界遺産に登録されました。このとき同時に、レクトゥールからラ・ロミュ、コンドムを通って、サン・ジャック・ド・コンポステル(Saint Jacques de Compostelle)に至る33キロの巡礼の道も世界遺産になりました。サン・ジャック・ド・コンポステルへの巡礼は、紀元900年のころから信仰篤い人びとによって行われてきたもので、四国巡礼のように、シャルトルやトゥールーズから何日もかけて歩きます。この様子は映画『サン・ジャックへの道』として紹介されましたから、ご存知の方も多いと思います。この日も杖を持って歩いていく人たちを幾人も追い越しました。ラ・ロミュは巡礼の途中の宿場としても知られ、いまもこの小さな村に何軒もの民宿があります。
 村に入ってもう一つ目につくのは猫です。それも彫刻でつくった猫で、家々の窓や門柱の上などに、さまざまな姿でたたずんでいます。観光案内所でもらったパンフレットには、こんな古い謂れがあると書かれています。

d0238372_12562539.jpgd0238372_12563686.jpgd0238372_12565178.jpg 14世紀の中ごろ、村にヴァンサンとマリエットという樵の夫婦が住んでいました。彼らにはアンジェリーヌという娘がおりました。夫婦は森へ入って木を切り、畑で野菜を育てて幸せに暮らしていました。ところがある日、ヴァンサンが切り倒した木の下敷きになって死んでしまいます。マリエッタは嘆き悲しむあまり次第に衰弱して、娘のアンジェリーヌを腕に抱いたまま息を引き取りました。
 幼いアンジェリーナは隣人の夫婦に引き取られて、彼らの実の娘と姉妹のように育てられました。アンジェリーナは猫が大好きで、可愛がっている猫に食事を分け与え、同じベッドで寝るといった具合でした。
 1342年とその後の2年間、ラ・ロミュの村を飢饉が襲います。冬は厳しく、春と夏は雨ばかりで作物はまったく育ちません。参事会教会のアルノー大司教は教会に蓄えてあった食料を村人に与えましたが、それも底をつき、食べるものがなくなった村人たちは、猫をワインで煮込んで食べるようになりました。
 アンジェリーナの育ての親は、彼女が猫を大好きなのを知っておりましたから、親猫と子猫を1匹ずつ隠して飼うことを許しました。幸い彼らの家は隣から離れたところにありました。アンジェリーナは、昼間は猫たちを納屋に隠し、夜だけそっと外に出してやりました。飢饉はさらに広がり、多くの村人が死にました。アンジェリーナたちも森で木の根を掘って、それを食糧にするような生活が続きました。
 3年たって、飢饉もようやく終わりを告げました。でも今度、村人を困らせたのが鼠です。猫がいなくなった村では鼠が繁殖し、食物みな齧ってしまう始末です。ただアンジェリーナの納屋では、猫たちが20匹に増えていました。そこでアンジェリーナは村人たちに事実を告げると、彼らはぜひ猫を放してくれるように頼みました。こうして村から鼠がいなくなり、アンジェリーナは村を新たな災厄から救ったのです。
 伝説では、アンジェリーナの顔は歳をへるとともに次第に猫に似てきて、耳は猫の耳そっくりになったということです。おしまい。

 いまラ・ロミュの家のあちこちに飾られている猫たちは、オルレアンの彫刻家モーリス・セローがこのお話をもとに制作したものです。猫の彫刻はお土産としても売っていて、トゥールーズの街で見かけるのも、ここで買ってきたものだそうです。
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by monsieurk | 2012-07-11 13:00 | フランス(歴史) | Trackback | Comments(0)

フランス語の口述試験

 孫娘の夏実・ジボーは、今年が「バカロレア(大学入学資格試験)」の第一年度で、先日ようやく「フランス語」の口述試験が終わり、夏休みになりました。
 フランスの大学受験制度については、『指導者はこうして育つ~フランスの高等教育』(吉田書店、2011)で詳しく述べましたが、リセ(高等中学校)を終える年の6月に、「哲学」をはじめ主要科目の試験があります。そしてその1年前には、フランス語(国語)の筆記と口述試験が課せられます。これはPre-bac(前段階のバカロレア)と呼ばれ、2012年度からは制度が変わって、「地理・歴史」の筆記試験(口述試験は次年度)が加わることになりました。
 フランス語の筆記試験問題の例は本で詳述しましたので、今回は「フランス語」の口述試験がどのように行われるかを紹介いたしましょう。
 彼女はトゥールーズの中心部にあるリセの「フェルマ校」に通っていて、将来の志望は理科系ですので、試験は理系のグループSを受験しました。このほかに文化のL、社会・経済系のESのグループがあります。どのグループを受験するにせよ、「フランス語」と「地理・歴史」、それに卒業の年に行われる「哲学」は、すべての学生が受けなくてはならない必須科目です。
 「フェルマ校」では6月までの1年間の国語の授業で、詩、散文、演劇、批評など、ジャンル別に古今の作家の作品を取りあげて、先生が分析と解説を行いました。今年の口述試験では、そこから選ばれた作家のテクスト22篇が、受験生と審査員(資格を持った他校の教授)に前もって通告され、学生は全テクストについて、どれが出題されてもいいように準備をします。学校によっては、テクストの数がもっと少ないところもありますが、この数も採点の上では考慮の対象になります。
 22のテクストとは、スカロン『滑稽物語』1篇、アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』2篇、ラクロ『危険な関係』1篇、アルベール・カミユ『異邦人』4篇、スタンダール『パルムの僧院』1篇、パスカル『パンセ』1篇、モンテーニュ『エセー』1篇、モンテスキュー『法の精神』1篇、ヴォルテール『寛容について』1篇、ラシーヌ『フェードル』4篇、ルイ・アラゴン『エルザの瞳』4篇、ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』1篇です。複数のテクストが出題されたカミユやラシーヌなどは、内容や性格の異なる文章が選ばれて、試験問題の幅がひろげられるように工夫されています。
 実際に行われた試験は次のようです。試験は1週間にわたり、トゥールーズにあるリセをつかって行われますが、グループSはたまたまフェルマ校で行われました。名前のA、B,C順に日時が割り振られ、学生は試験1時間前に集合させられます。そして自分の番になると、22のテクストの中から1つを告げられ、30分の準備時間があたえられて、学生はこの時間内で解答の準備をします。
 夏実の場合は、午後4時に問題が示されました。課題のテクストは、ブレーズ・パスカルの『パンセ』のなかの「二つの無限」を論じた断章(ラフマの分類で199)です。
 その有名な断章は比較的長いのですが、出題された個所は以下のところです。

 私はそこに(1)に一つの新しい深淵があることを、彼に(2)見せてさせてやりたい。私はこのアトムの縮図とでもいうべきものの内部に、目に見える宇宙ばかりでなく、およそ自然について考えられる限りの広大無辺なものを描いてみせたい。彼はそこに宇宙の無限を見るであろう。しかもその各々が、目に見える世界と同じ割合で、大空と遊星と地球とを有しているのを目にするだろう。彼はこの地上で、動物たちを、ついにはダニを目にするだろうが、彼はそれらの中に、最初に与えられたものを見いだすことだろう。そしてさらに小さなもののなかにも、果てしなく休むことなく、同様のものを見出すために、広大なものと同様に、その微小さの中にも素晴らしい、驚くべきものを見つけて、彼は茫然となるだろう。なぜなら、万有のなかでは、それ自体眼にみえないほど小さなものに過ぎない広大な宇宙にあっては、有るか無きかのものにすぎなかった私たちに身体が、いまや、誰も到達しえない虚無と比べれば、一つの巨像、一つの世界、あるいは一つの全体である。このことに驚かない者がいるだろうか?
 このようにして自己をかえりみる者は、自分自身に恐怖を感じるだろう。そして、自然によって与えられた全体のなかで、無限と虚無という二つの深淵の間に懸けられている自己をかえりみて、彼は驚異の前で恐れおののくことだろう。私は思うに、彼の好奇心は驚嘆にかわり、僭越にもそれらを探求しようとするよりも、むしろ沈黙のうちに、それらを熟視しようという気持になるだろう。

 なぜなら、人間とは自然のうちにあって何ものなのか? 無限に比しては虚無、虚無に比しては全体、無と全体との中間。

  注 (1)ダニを指す、人間の眼で見える一番小さいもの。
     (2)人間に

 以上が、夏実が取りくんだテクストです。彼女はこれまで勉強したものを総動員して、30分間でまとめ、口述試験にそなえました。
 審査員の教授が出した問いは、文字通りに訳せば、「パスカルは、なぜ、またいかにして読む者の眩暈を引きおこそうとしているか」(Comment et pourquoi Pascal provoque-t-il le vertige du lecteur?)というものでした。この問い自体がなかなか難しく、vertigeとは、崖の淵にたったときなどに感じる「めまい」などを指す言葉ですが、これをどうとるかによっても答えは違ってきます。
 この質問にたいして、夏実は10分間にわたって自分の考えを述べ、そのあと10分間、審査員との間で質疑応答が行われました。彼女がどう答えたかは、一週間後に出る結果が良ければ教えてくれるそうです。
 試験が終わった夜は、夏実をはじめ一家の労をねぎらうために、私のご馳走でレストランに繰り出しました。結果発表の日はパパが奢ることになっていますが、レストランが三ツ星になるか星がなくなるかは、成績次第とのことです。
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by monsieurk | 2012-07-09 06:33 | フランス(教育) | Trackback | Comments(0)

庭の光景

d0238372_12291292.jpg 前のブログで紹介したCourrier internationalのNo.1126が、家に残っていました。この号の特集は「トゥールーズの誘惑(Les tentations de Toulouse)」で、「バラ色の街」、「食の街」、「パステルの街」・・・といった項目があり、記事はどれもベタ褒めです。
 トゥールーズはかつて青色のパステルの生産で財をなしました。街の中心部にあるレンガを積んだ豪奢な建物は、当時の栄華を伝えています。こうした繁栄は、戦後は航空機産業、宇宙開発に引き継がれ、エア・バスやアエリアン・ロケットはトゥールーズの空港に併設された工場で生産されています。関連企業も多く、フランスの地方都市としては活気があるところです。地中海まで達するミディ運河沿いの並木道や、ガロンヌ川に沈む夕日に照らされてバラ色に染まる街の情景は一見にあたいします。
 私たちがいるのは、市の中心から東へ10キロほど離れたBalmaという郊外の住宅地です。今朝は昨夜の雨もあがり、陽が射してきました。面白いものを見つけましたので、それを含めて庭の写真の幾つかを、お目にかけましょう。
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 板張りのテラスの隅に、この模様を描いた主は・・・
d0238372_1225152.jpg そう、蝸牛(escargot・エスカルゴ)です。蝸牛にはlimaçonという呼び方もありますが、こちらは多く内耳にある渦巻管や、limaçon de Pascalといって、パスカルが発見した蝸牛線などを指すときに主に用いるようです。このエスカルゴが食べられるかどうか自信がありません。彼が這っているテラスの横には、ダリア、白アジサイが咲いています。朝から鳥が来ていまもしきりに囀っています。
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by monsieurk | 2012-07-06 12:40 | フランス(生活) | Trackback | Comments(0)

原発報道をどうみるか

 フランスの家で定期購読している週刊誌「Courrier international(国際通信)」(一部3.50ユーロ)は、年84ユーロの購読料で家に届けてくれます。独自取材のほかに、各国の主だった新聞から主要な記事をピック・アップし、フランス語に訳して掲載しているので世界の動きを知るには重宝な雑誌です。
 そのNo.1130、6月28日~7月4日号の「アジア」の欄に、「東京新聞」の「原子力への回帰は不可避か」という記事が、写真でご覧いただくように、No-rio(Aomori)の挿絵付きで載っています。
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 Courrier誌がつけたリードでは、「政府は〔日本列島〕の西部にある福井の二基の原子炉を再稼働する決定をした。だが原子炉の安全性についてさまざまな疑問があり、反原発の論陣を張る東京の日刊紙は疑義を呈している」として、「東京新聞」の記事をそのまま紹介しています。
 フランス語訳された記事は省略しますが、Courrier誌が日本の主要紙の報道姿勢をどう見ているか、大変興味深いものです。「メディアにより影をひそめる“反対”」と題したコラムでは、こう述べられています。

 「福島の事故以来、反原発の動きは下火になってはいない。反原発デモとともに、原子力エネルギーに関する国民投票を求める署名が行われた。これには32万人の署名が集まったが、6月18日に開かれた東京都議会では否決された。その3日前には首相官邸前に、凡そ1万1000人の人たちが大飯原発の再稼働に反対して集まった。それにもかかわらず日本の主要新聞は、これをほとんど扱わなかった。ただ原子力エネルギーからの段階的撤退を主張する中道左派の「東京新聞」は、読者欄で、この件について、“千通を超す読者からの手紙が、これを扱わなかったわれわれの姿勢について説明を求めている。記事を載せなかったのは、取材記者を送らなかったわれわれの編集ミスで、決して自主規制をしたわけでない。現場に記者がいなかったのは誠に遺憾である”と回答した。
 一方で新聞各紙は、オームによる東京の地下鉄でのサリン・ガスの攻撃(13人死亡)から17年目の6月17日、最後の逃亡犯が逮捕されたことをセンセーショナルに扱い、そのために大飯原発再稼働問題は「影をひそめた」形となった。新聞各紙のこうした扱いは社会の各方面でさまざまな反応を呼び起こしている。」

 Courrier誌が、福島の原発事故以来、政府や東電(TEPCO)の対応を鋭く批判してきた「東京新聞」、とくにその「特報部」の記事を高く評価していることは注目されます。私も事故以後、「東京新聞」の購読をはじめた一人です。ただしCourrier internationalが指摘しているほど、日本の社会は原発をめぐる新聞の報道姿勢について敏感であり続けているでしょうか。・・・
 Courrier internationalはwww.courrierinternational.comで見出しなどをみることができます。
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by monsieurk | 2012-07-04 12:23 | フランス(社会・政治) | Trackback | Comments(0)