ムッシュKの日々の便り

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詩集「アドニード」Ⅲ

      ☆

草の上で食べなさい
急いで
さもないとある日
草が〔伸びて〕きみの上で食べることになるよ。

     ☆

死んで埋葬された女
むしられた花
半狂乱の恋人。

     ☆

もしぼくに妹がいたら
ぼくは君を妹より愛しただろう
もしぼくが世界中の金をもっていたら
ぼくはそれを君の足元に投げるだろう
もしぼくにハーレムがあったら
きみはぼくの一番のお気に入り。

     ☆

ぼくは
ぼくの本(リーヴル)より
君の唇(レーヴル)がずっと好き。

海の楽園

・・・そして
   エヴァは一人の
   天使と一つの
   島で暮らしていた
・・・そして
   天使の青い服はイラクサの中に投げ捨てられた。

訳注:エヴァ(EVE)と天使(ANGE)と島(ILE)を合わせると、EVANGILE(福音書)となる。

    ☆

宣戦が布告された
ぼくは両手で
ぼくの勇気を捕えて
それを絞め殺した。

    ☆

もっともよく守られた秘密は
決して尋ねられたことがない秘密だ。(続)
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by monsieurk | 2015-09-30 22:30 | | Trackback | Comments(0)

詩集「アドニード」Ⅱ

 

海のどこかで
 ――夢ではそこがどこか ぼくには分かっていた――
ひとりの裸の娘が
気づかれもせず
みな服を着た群衆を横切る
彼女はぼくを捕まえるが ぼくはどぎまぎしない
それがぼくの最初の夢だった
そして突然ぼくは見る
昔はまだ最新式だった大きな車に乗っている母を
馬と御者つきの
結婚式と宴会用の馬車だ
花嫁はぼくの母だ
白衣なのか
いまではなにも分からない
彼女のそばにはぼくの父がいる
それともぼくが彼を追加したのかも知れない
そして母はぼくを見つけて
いつもの子どもっぽい微笑で笑いかける
でも彼女はぼくに向かって
やさしい眼差しと同時に非難の目つきをする
ぼくは言い訳をしない
ぼくは彼女の結婚式に行くべきだった
もちろんぼくは招待されていなかったが
ぼくは家族の一員で みなは待っていたのだ
いまはもう遅すぎる
宴会はすんだ
それはぼくにとって些細なことではなく
もっと緊急になすべきことだった
ぼくはそれをしなかったのだ
             (1960年12月11日、朝4時)

  下がプレヴェールの自筆とホアン・ミロの挿画による「夢」のリトグラフ。
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     ☆

大した事が
起こるのは
大した人が
いないとき

     ☆

ぼくはぼくが知っていることをすべて知らない
そしてぼくがなにも知らないことをまったく知らない
どうしてぼくは死を信じることができるのか
それは君がいつか死ぬことを知っているから。

    ☆

ゴール人たちは一つのことしか
信じなかった
彼らは破壊科学を知っていた
彼らは前原子核人だった。

    ☆

男と女が
何も言わずに見つめ合っている
どちらも黙っているのではないが
彼らは互いに理解することができない。(続)
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by monsieurk | 2015-09-27 22:30 | | Trackback | Comments(0)

詩集「アドニード」Ⅰ

 いまフランスの古書で高価なものの一つが、ジャック・プレヴェールの詩と画家ホアン・ミロの合作になる『アドニード(Adonides)』である。プレヴェールの死後1年たった1978年に、パリのマーグ画廊から出版されたもので、手許にあるのは完本ではなく、写真のものを含めて4葉のみである。d0238372_15122084.jpg
 以前、『思い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』(左右社、2011年)では、この稀覯本についてこう書いた。
 「プレヴェールがつくった本のなかで、いまもっとも入手が困難なのは、マーグ画廊から出版された『アドニード(外国産植物)』であろう。市販された200部のほかに、著作者用の25五部が制作され、これには画家と詩人それぞれの著名が入っている。
 本文は42.7×33.4センチの大判のアルシュ紙27頁(アルシェ紙には凹凸の模様がプレスされている)で、43点のミロのエッチングやアクアチントの作品と、プレヴェールの自筆テクスト58篇がファクシミリで複製されている。プレヴェールのテクストの幾つかはミロの版画と重なって印刷され、詩と絵が文字通り渾然一体をなすものである。このほか2頁を1枚とする紙面に、ミロの版画を刷ったものがあり、画家の自筆サインがなされている。
 本を収める箱は黒い布製で、背の部分には、三角の緑、勾玉形の赤、丸い黄色の紙が張られており、そこにJaques Prévert、Joan Miro、ADONIDES、Maeght Ēditeur、と印刷されている。
 プレヴェールによると、この本をつくる計画は一九六一年にさまのぼるという。弟ピエールが制作したテレビ用映画『わが兄ジャック』のなかで、プレヴェールは、「本はじまったが、まだ完成していない」と語り、タイトルの「アドニード」について問われると、「他の多くの場所で、軽蔑され、無視されている花々の学術名で、そうしたことから、「血の滴り」とも呼ばれているものだ。(中略)ミロはいまバレアレス諸島にいる。(中略)これは手作りの本だ。私が書き、彼は版画をつくり、描き、そして再度また戻ってきて、それらの上に別のもの、彼の世界を加える、・・・素晴らしい世界だ。・・・ホアン・ミロ、人びとは今日、彼は特別な人だと言う。彼が特別な人なのか、特別な何か、特別な存在なのか、私には分からない。いずれにせよ、彼は誰とも似ていない、でも、世界は彼に似ている。彼が望むとき、彼は魔法使いになる。彼は何でも、どこからでも到来させられる。鳥でも、植物でも、太陽も、光も、美も、明快さも」(Œuvres complètesⅡ、pp.1006-1007)と答えている。
 プレヴェールのテクストは、まず作品集『寄せ集め(Fatras)』(1966年刊)に収録され、その後アドリアン・マーグの肝いりで限定版の詩画集をつくることになった。マーグは信頼する印刷所アルテに印刷を依頼して、凝りに凝った本が出来上がった。印刷が完了したのは1975年12月3日で、実際に販売されたのは1978年のことである。」
 つまりプレヴェールは、このミロとの共同制作になる詩画集の完成は見届けたのだが、出版は彼の死後となったのである。上記の評伝でも幾つかの詩篇を翻訳しているが、今回、そのすべて訳してみることにする。なおテクストの並びは『寄せ集め』と『アドニード』では異なり、テクストにも若干のヴァリアントがあるが、ここでは後者に従うことにする。
 冒頭は無題の詩、 

人生が首飾りのとき
 毎日は一粒の真珠
 人生が檻のとき
 毎日は一粒の涙
 人生が森のとき
 毎日は一本の木
 毎日が木のとき
毎日は一つの枝
人生が一つの枝のとき
 毎日は一枚の葉っぱ

 人生、それは海
 毎日は一つの波
 どの波にも嘆きがある
  一つの歌一つの慄き
  人生がトランプのとき
 毎日は一枚のカード
  ダイヤかクラブ
   不幸なスペード
 そしてそれが幸せなとき
  恋のカードは
クイーンのお尻とハート

 なぜ なぜ?

ずっと前から
彼らがなぜと言うとき
彼らがなぜを繰り返すとき
そして君たちになぜと問えと
命令するとき
それはなぜを黙らせて
ぼくをたぶらかすためだ

無への質問
すべてへの答え
問題はない
教授たちしかいないのだから

そしてもう罠は怖がっている
バカどもへの罠
不安な罠
恐怖の罠
質問は無視もされず
質問は反論もされない
質問はやじられも、からかわれも、嘲笑されもせず
偉大な知識の幸せな崩壊がすでに始まっている。(続)
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by monsieurk | 2015-09-24 22:30 | | Trackback | Comments(0)

秋田弁による詩の朗読会

 秋田市在住の知人がつくった会員制の私立図書館「本庫・Honco」で講演を頼まれ、秋雨前線が猛威をふるうなかを出かけた。講演は「本の力」と題するシリーズの2回目とのことで、外交官の父堀口九萬一と、詩人の息子堀口大學にまつわる話をした。
 堀口九萬一については、『敗れし國の秋の果て――堀口九萬一伝』を書き、このブログでも「堀口九萬一と大學」と題して、6回(2015.03.16~03.26)にわたり掲載している。
 九萬一に関心を持ったきっかけは、大學が父の死後に私家版として刊行した漢詩集『長城詩抄』を古本屋でみつけたことだった。長城は九萬一の筆名で、彼は漢詩をよくした。「こうした出会いこそ本の力だ」とこじつけて講演の枕としたのだが、この日の集まりのハイライトは、じつは小生の講演ではなく、そのあとで行われた秋田弁による詩の朗読だった。
 話の必要上、前もって堀口九萬一の漢詩と大學の訳詩集『月下の一群』から幾篇を選び、資料として配布していた。私立図書館を支える会員のなかに、かねてから朗読会を定期的に開いている人たちがおり、彼らが資料の詩を秋田弁にして、音楽の伴奏つきで朗読してくれたのである。このパフォーマンスが圧巻だった。
 詩を秋田弁に「翻訳」したのは、秋田放送のカメラマンだった福田豊男さん。エレクトーンによる即興伴奏は、ピアニストで「耳を澄ます会」代表の佐藤滋さん。朗読は谷京子さん。谷さんは絵本を読み聞かせるグループ「かぜ」を結成して、秋田県内外で活動してきた。そして舞台を撮影し、記録するのは山内宏氏。彼も元秋田放送のカメラマンだった人である。
 音楽と絶妙な間合いで掛け合いながら行われた朗読は、耳で聴かなくては、到底その魅力は伝わらない。だがここでは、大學の訳詩と朗読された秋田弁の訳を並べて、その妙味の一端をお裾分けすることにする。
アポリネールの「ミラボー橋」とジャン・コクトーの短詩である。

「ミラボー橋」

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われ等の恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると

日が暮れて鐘が鳴る
月日は流れわたしは残る

手と手をつなぎ顔と顔を向け合う
こうしていると
われ等の腕の橋の下を
疲れた無窮(むきゅう)の時が流れる

日が暮れて鐘が鳴る
月日は流れわたしは残る

流れる水のように恋もまた死んで逝(い)く
恋もまた死んで逝く
生命(いのち)ばかりが長く
希望ばかりが大きい

日が暮れて鐘が鳴る
月日は流れわたしは残る

日が去り月が行き
過ぎた時も
昔の恋も、ふたたびは帰らない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる

日が暮れて鐘が鳴る
月日は流れわたしは残る
・・・・・・・・・・・・・(堀口大学訳)

「ミラボー橋(秋田弁による)」

ミラボー橋の下セーヌ川流れで
おらがたの恋も流れる
おら思い出す
悩みのあどサ楽しみ来るごど

日暮れで鐘鳴る
月日流れでおらは残る(のごる)

手ッコど手ッコつないで顔ッコど顔ッコ向げあう
こやってれば
おらがだの腕の橋の下
疲れだ無限の時流れる

日暮れで鐘鳴る
月日流れでおらは残る(のごる)

流れる水みてに恋もまだ死んでいぐ
恋もまだ死んでいぐ

生命(いのち)ばり長く(なげく)
希望ばりでっけ

日暮れで鐘鳴る
月日流れでおらは残る(のごる)

日が去り月行って
過ぎだ時も(どぎも)
昔の恋も、にどどは戻って来ね
ミラボー橋の下どごセーヌ川流れる

日暮れで鐘鳴る
月日流れでおらは残る(のごる)
・・・・・・・(福田豊男訳)


ジャン・コクトー

Mon oreille est un coquillage
Qui aime le bruit de la terre

私の耳は貝の殻
海の響をなつかしむ。(堀口大学訳)

おらの耳キャンコのカラッコ
海の響きをなづかしむ。(福田豊男訳)

 月に一度、神奈川で日本の詩を読む会を開催していて、先月は宮沢賢治の「永訣の朝」や「無声慟哭」を取り上げて、長岡輝子さんの朗読を聴いた。長岡さん自身も賢治同様、岩手の出身で、独特のイントネーションや、詩のなかに数カ所出てくるに岩手の方言が効果をあげて、味わい深い朗読だった。
 一方、今回の谷さんたちのこころみは、詩全体を秋田弁に「翻訳して」朗読するわけで、じつに親しみ深く、やわらかな印象をかもしだした。セーヌ川が雄物川に変ったようで、わたしたち聴衆一同大満足だった。全国各地の方言で同じようなこころみをして、聴き比べてみたくなった。
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by monsieurk | 2015-09-21 22:30 | | Trackback | Comments(0)

舟越保武の彫刻

 岩手県盛岡、福島の郡山と巡回したあと、東京都練馬区立美術館で開かれていた「舟越保武彫刻展~まなざしの向こうに」が9月6日で終わった。会期中2度訪れて、舟越彫刻の魅力を堪能した。
 今回の展覧会は、彼の足跡を回顧する意味合いもあり、初期のものから晩年までの仕事を、56点の彫刻を中心に、その制作過程を示すデッサンや墨絵を含めて、都合120点で構成されている。
 船越保武は、言わずと知れた、佐藤忠良とならぶ具象彫刻の第一人者で、二人は藝大の学生のときからの友人であった。彼らの作品はロダンの影響をうけて、彫刻を模索していた初期こそ似ていたが、舟越の作品はカトリックの洗礼を受けたころからテーマや作風が変化する。
 作品は時代を追って、第1章、彫刻への憧れ、第2章、模索と拡充、第3章、《長崎26殉教者記念像》、第4章、信仰と彫刻、第5章、静謐の美~聖女たち、第6章 左手による彫刻、と彼の生涯をたどる形で配置されている。
 舟越は岩手県二戸出身で、父は熱心なカトリック信徒であった。舟越自身も1950年に、生まれたばかりの長男を亡くしたことをきっかけに洗礼をうけ、カトリックに帰依した。そしてこのころから、キリスト教信仰やキリシタン受難を題材にした作品が多く制作されるようになった。
 今度の展覧会でも、豊臣秀吉によるキリスト教弾圧で処刑された26人の殉教者が昇天する姿を造形した《長崎26殉教者記念像》(展示は岩手県立美術館収蔵の繊維強化プラスティックによる4人の像)、十字架上のキリストを造形した「キリスト」、江戸時代初期の島原の乱で、抵抗の末に殺された武士の姿をしのぶ「原の城」、ベルギー出身の宣教師で、ハワイのモロカイ島において、当時誰も顧みなかったハンセン病患者のケアに生涯をささげ、みずからも同病で命を落とした「ダミアン神父」。そして大理石や砂岩から刻みだされた、「聖セシリア」、「聖クララ」、「聖ベロニカ」などの聖女像や、少女像「ANNA」など、静謐さを湛えた顔は観るものをとらえて離さない。
 なかでも心をうたれたのは、1964年に制作された「高山右近」(80.5×33.0×23.0)のブロンズ像であった。 d0238372_4391354.jpg
 写真は岩手県立美術館のホームページに掲載されているもので、ゆったりと羽織ったマントの前に十字架を下げたキリシタン大名の立ち姿は威厳にみち、髷を結った頭部は、かつてこれほど高い精神性を秘めた日本人がいたのか、という驚きと感動をあたえてくれる。
 「高山右近」の特徴は、その切れ長の眼である。上からの照明によって両眼は完全に陰となり、ただ黒い穴のように見える。だがその洞穴のような眼が充実した精神を宿していることは、わたしたち観客に十分に伝わってくる。そして、こうした伏しめがちな眼は、「高山右近」だけではなく、上にあげた聖女たちをはじめ、舟越が制作した彫刻の一番の特徴であるように思える。
 舟越保武は1987年、75歳のときに脳梗塞を起こして右半身不随となったが、すぐにリハビリを開始し、その後は左手一つで制作に打ち込んだ。展示の最後の「左手による彫刻」の部屋には、この時期の作品が集められているが、圧巻はブロンズによる一連のキリスト像である。なかでも一筆書きのように、粘土を削り取って造形した「ゴルゴダⅡ」(1989年)は、舟越保武が到達した境地をあますところなく表現している。至福の一刻をすごした。
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by monsieurk | 2015-09-18 22:30 | 美術 | Trackback | Comments(0)

アルベール・カミュ「ジェミラの風」Ⅴ

 夕方にかけて、わたしたちは村に達する斜面を登り、またもとの所へ引き返して、説明を聞いた。「ここに異教徒の街があります。この地域は土地の外へはみ出していて、ここはキリスト教徒のものです。そののち・・・」。そう、それは本当だ。さまざまな人間や社会がここでは次々と続いた。征服者たちは、その下士官たちの文明でもって、この地域にその痕跡をしるした。彼らは偉大さについて、愚かで滑稽な観念をつくりあげていた。彼らの帝国が占める表面積によって、その偉大さを測るのだ。奇跡、それは彼らの文明の廃墟が、彼らの理想の否定でさえあることだ。なぜなら、暮れなずむ夕暮れに、凱旋門のまわりを鳩が飛翔するなか、この高みから見た骸骨のような街は、大空に、征服と野望のしるしを刻んではいなかった。世界は最後には歴史を打ち負かす。山と空と沈黙のあいだで、ジェミラが投げる大いなる石の叫び、その詩をわたしは知っている。明晰さ、無関心、絶望、あるいは美の真のしるしを。いま去ろうとしているこの偉大さを前にして、わたしは心臓がしめつけられる。ジェミラは、その空の悲しい水、高原の反対側から聞こえてくる鳥の歌声、丘の中腹で、突如、短く転がるように聞こえる山羊の声とともに、わたしたちの背後にとどまっている。そして、穏やかで、音がよく響く夕暮れのなかに、祭壇の正面で角笛を吹く一人の神の生きた顔がある。(完)
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by monsieurk | 2015-09-15 22:30 | | Trackback | Comments(0)

アルベール・カミュ「ジェミラの風」Ⅳ

 わたしがいつも驚かされるのは、他の事柄ならすぐに凝るのに、死については貧弱な観念しかもたないことだ。これは良くもあり、悪くもある。わたしは死を恐れ、あるいは(みなが言うように)、死を呼び出す。だがこれは、単純な事柄はすべて、わたしたちを超えている証明でもある。青とは何か?青について何を考えるか?それは死に対するのと同じく難しい。死について、色について、わたしたちは議論する術がない。しかし、わたしの前にいるこの人間は重要であり、大地のように重く、わたしの将来を前もって体現している。それでもわたしは、本当に死を考えることができるのか? わたしは自問する。わたしは必ず死ぬ。だが、これは何も意味していない。なぜなら、わたしはそれを信じるには至っていず、他人の死の経験しかないからだ。わたしは人の死を目撃した。とくに、犬たちが死ぬのを見た。わたしは死んだ犬に触れて、動転した。そのときに思ったのは、花,微笑、女たちへの欲望だった。そして、死ぬことの恐怖は、すべて生きることへの羨望につながっているのを理解した。わたしはこれから先も生きていく人たち、彼らにとって、花や女たちへの欲望が、その肉や血の感覚となり得る人たちに嫉妬した。わたしは羨ましかった。わたしはこの人生を愛している、だからエゴイストにならずにはいられない。永遠など何の意味もない。人にはやがてその日がやってくる。ある日、横になって、誰かがこう言うのを聞く。「あなたは強い。そしてわたしはあなたに忠実でなくてはならない。だから、あなたはやがて死ぬ、と言えるのだ」。両手に全生命を握りしめ、臓腑にすべての恐怖を詰め込んで、白痴のような眼差しをして、そこにいる。その他のものに何の意味があるだろうか。血の波がこめかみで脈打つ。そして、わたしは周囲のものをすべて粉々にしてしまうように思える。
 だが人間は、彼らが誰であろうと、彼らの環境にかかわりなく死んでいく。人は彼らに言う、「あなたが治ったときは・・・」、だが、彼らは死ぬ。わたしはそんなことを望まない。なぜなら、自然が嘘をつく日もあれば、真実を言う日もあるのだから。ジェミラは、今宵、真実を告げる。それはなんと悲しげで、なんと美しい瞬間だろう! わたしはといえば、この世界を前にして、嘘をつきたくないし、嘘を言われたくもない。わたしは最後の最後まで自らの明晰さを保っていたい。そして自分の最後を、満腔の嫉妬と恐怖で見守りたい。わたしが死を恐れるのは、自分がこの世界から隔たる度合いに応じてであり、これからも続く空を眺める代わりに、生きている人間の運命に執着する、その度合いに応じてなのだ。意識された死をつくるとは、わたしたちと世界を隔てる距離を縮めることであり、永遠に失われる、興奮させられる世界のイメージを意識しつつ、歓喜もなく、成就のなかへ入っていくことだ。そして、ジェミラの丘々の悲しい歌は、前よりも一層、わが身にこの教訓の苦い真髄を叩き込む。(続)
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by monsieurk | 2015-09-12 22:30 | | Trackback | Comments(0)

アルベール・カミュ「ジェミラの風」Ⅲ

 人びとがわたしに勧めるのはどれも、その固有の生の重荷から、人間を解放しようとするものばかりだった。だがジェミラの空の大きな鳥たちの重い飛翔を前にして、わたしが要求し、手に入れるのは、まさにこの生の重荷なのだ。この受け身の情熱のなかで、全的存在であること、その他のことはもはやわたしにはどうでもいいのだ。わたしが死について語り得るには、若さに溢れすぎている。それでも、もし語らなければならないとするなら、ここでなら、言うべき適切な言葉が見つけられるように思う。それは恐怖と沈黙のなかで、死を自覚した確信だ。
 人は自分に馴染んだいくつかの観念とともに生きている。それも二つか三つの。世界と人間との偶然の出会いで、人はそれを磨き、変えていく。自分の身についた観念を得るには、十年が必要だ。当然、これはいささかがっかりだ。でも人はその間に、世界の美しい顔に、ある種の親密さを抱く。そこに至るまで、彼は世界を面と向かって見てきたのだ。そして今度は、世界の横顔を見るために、一歩横へ動かなくてはならない。一人の若い男が真正面から世界を見る。彼にはこれまで、死や虚無の観念を磨く時間はなかったが、その恐怖を噛みしめてはいた。こうした死との辛い差し向かい、太陽を愛する動物の肉体的なあの恐怖、それこそが青春に違いない。だが普通いわれているのとは逆に、少なくともこの点に関して、青春は幻想を抱きはしない。幻想で己れをつくりあげるには、青春には時間もなければ信仰もない。わたしはなぜか知らぬが、この深く刻まれた風景、陰惨で荘厳なこの石の叫びを前に、ジェミラ、落日のなかの非人間的なジェミラ、希望と色彩の死を前にして、わたしは人生の終わりに立ちいたったとき、その名に値する人間なら、こうした差し向かいをまた見出し、彼らのものだった観念を否定し、無垢と真実をふたたび取り戻すに違いないと確信していた。それは運命に直面した古代の人びとの目のなかで輝いていたものだ。彼らはふたたび青春を取り戻す。だが、それは死を抱きしめることによってなのだ。この点では、病ほど軽蔑すべきものはない。それは死を癒す薬だ。それは死に備える。それは一種の年季奉公をつくりだす。その第一段階は自己憐憫だ。それは、全的に死ぬという確実な事実を逃れるためにする大きな努力のなかで人間を支える。だがジェミラでは・・・わたしはここで、いままさに感じる。真実は、文明の唯一の進歩とは、またときとして、一人の人間が執着する文明の進歩とは、意識された死をつくりだすことなのだ。(続)
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by monsieurk | 2015-09-09 22:30 | | Trackback | Comments(0)

アルベール・カミュ「ジェミラの風」Ⅱ

 こうした環境に穿たれ、目は焼かれ、口はひび割れて、肌はもはや自分のものではないほどに乾いていた。この肌によって、以前は、世界の文字を解読していたのだ。世界は、その夏の息吹で肌を熱くし、あるいは霜の歯で肌を噛んで、そこにその優しさや怒りの徴を残したものだった。だが、これほど長く風にさらされ、一時間以上も前から揺さぶられていると、抵抗することに陶然となって、わたしの肉体が描いてきた構想の意識を失くしてしまった。海の潮でニスを塗られた小石のように、わたしは風に磨かれ、魂まですり減らさてしまった。わたしはこの力の一部で、それに翻弄されていた。次いでその力の大部分、最後には、その力そのものとなった。そしてわたしの脈打つ血と、自然のいたるところに現存する心臓の力強い響きを一つにした。風は、周囲の燃えるような裸体のイメージを、わたしのなかで作りあげた。そして、その束の間の抱擁が、石のなかの石や、石柱や、夏空に立つオリーヴの木の孤独をわたしにもたらした。
 太陽と風を激しく浴びて、わたしは生命力のすべてを使い果たした。残っているのは、打ち合わされる両翼のあの羽音、自らを嘆くあの生命、精神の弱々しい反抗だけだった。やがて、世界の隅々へと拡散したわたしは、我を忘れ、また我からも忘れられ、風となり、風のなかの、石柱、アーチ、熱を感じている石畳、荒涼とした街をめぐる青白い山々となった。わたしは、自分自身から離脱し、同時に、世界のうちにあることを、これほど強く感じたことはなかった。
 そう、わたしはいまここにいる。この瞬間、わたしの胸を打つのは、わたしがもう遠くへは行けないことだ。永久に牢につながれた男のように――そして、その男にとって、いまがすべてなのだ。明日もまた、他のすべての日々と同じであるのを知っている男のようだった。一人の人間にとって、現存を意識するとは、もはや何も期待しないということだ。もし風景が精神の状態であるといった、そんな風景があるなら、それはもっとも卑俗な風景だ。そしてわたしは、この地方の至るところで、わたしのものではない何か、この地方のもので、わたしたちに共通の死の味わいのような何かを追ってきた。不安は、いまや影が斜めになった石柱の間で、傷ついた鳥のように、大気のなかで和らいでいた。それに代わって、そこには乾いた明晰さが息づいていた。不安は、生きた人間の心から生まれるものだ。だが静けさが生きている心を覆うだろう。これこそ、わたしがはっきりと悟ったことだ。陽がめぐるにつれて、音と光が、空から降ってくる灰燼のもとで、息を詰めるにつれて、放心したわたしは、自分のなかで、ノンと言っている緩慢な力に、無力である自分を感じていた。
 断念とはまったく違う、拒絶というものがあるのを、理解している人は少ない。ここでは、未来とか、より良い存在とか、地位といった言葉は、何を意味しているのか。心の向上とは、何を意味しているのだろうか。この世のあらゆる《もっとあとで》を、わたしが執拗に拒否するのは、まさしく、わたしがいまの豊かさを断念しないということだ。わたしにとって、死がもう一つの生を開くと信ずるのは、喜びでもなんでもない。死はわたしにとっては閉じられた扉だ。それは越えるべき一歩だと言っているのではない。そうではなく、死は恐ろしく、おぞましい冒険だ。(続)
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by monsieurk | 2015-09-06 22:30 | | Trackback | Comments(0)

アルベール・カミュ「ジェミラの風」Ⅰ

 この夏、フランスからリセ(高等中学校)2年生の孫が来ていた。彼女が読書用に持ってきた本の1冊が、アルベール・カミュ(Albert Camus)のエセー『結婚(Noces)』だった。私もちょうど同じ歳に読んで、感動したことを思い出した。
 『結婚』の最初の一篇、「チパサでの結婚」は翻訳して、ブログ(2014.1.8、1.11、1.14)で紹介したことがある。今回は二篇目の「ジェミラの風」を訳すことにする。『結婚』については、窪田啓作、高畠正明両氏の訳がすでに存在するが、少しでも新味が出せればと思う。

               ジェミラの風

 精神の否定それ自体が真実である、そんな真実を生むために精神が死ぬ場所がいくつかある。わたしがジェミラへ行ったとき、そこには風と太陽があった、でもそれは別の話だ。
 まず言わなくてはならないのは、そこを重く亀裂のない大きな沈黙――なにか秤の均衡といったものが領していたことだ。鳥の囀り、三つ孔のフルートの柔らかな音、山羊の足踏み、空からくる騒めき、こうした物音がこの場所の沈黙と荒廃をつくりだしていた。時として、かさかさという乾いた音、鋭い叫びが、石の間に隠れていた鳥が飛び立つのを知らせてくれた。どの道をたどっても、たとえば家々の廃墟の間の道、光輝く石柱の下の石畳、凱旋門と丘の上の寺院の間にある巨大な広場といったすべてが、ジェミラの四方を取り囲む窪地へと導いてくれる。ジェミラは果てしない空に向かって開かれたカルタ遊びだ。そして、そこで人びとは、陽が進み、山がすみれ色に変わりつつ威容を増すなか、精神を集中し、石と沈黙に向かい合って、そこにたたずむ。ジェミラの台地には風が吹く。この風と、廃墟に光を降り注ぐ太陽との大いなる混合のうちで、何かが鍛えられ、人間に、死せる街の沈黙と孤独に見合った尺度をあたえるのだ。
 ジェミラへ行くには長い時間がかかる。そこは人が立ち止まったり、通り過ぎたりする街ではない。そろからはどこにも行かれず、いかなる地方とも通じていない。そこは人がそこから帰ってくる場所だ。この死んだ街は、曲がりくねった長い道の終点にある。その道は曲り角へ来るたびに、その先に街があると期待させ、その分よけいに長く感じるのだ。そしてついに、高い山々の間にはめ込まれた、色褪せた色の台地の上に、まるで骸骨の森のような黄色味がかった街の骨格が出現する、そのときジェミラは、たった一つ、わたしたちを世界の鼓動する心臓へと導く、愛と忍耐の教訓のシンボルに見えてくる。幾本かの木や、枯れた草のなかにあって、ジェミラは周囲の山々と石とでもって、陳腐な讃嘆や、絵画趣味、あるいは希望の戯れから自らを守っている。
 この不毛な壮麗さのなかを、わたしたちは一日中さまよっていた。午後の初めになるとは、徐々に、風が感じられるようになり、時間とともにそれは強まり、すべての風景を埋め尽くすように見える。それは遠く東の山間の隘路から吹き出して、地平線の彼方を駆け抜け、石と太陽のまっただなかを、滝のように跳躍して来るのだった。絶え間なく、廃墟を吹きすぎるときは、ひゅうひゅうと鳴り、石と土の曲馬場を一巡して、あばたのような穴があいた岩々の堆積をひたし、石柱の一つ一つをぐるりと廻って、空に向かって開いている広場の上で絶えず叫びをあげて、拡がっていった。わたしはまるで帆柱のように自分が軋るのを感じた。

 ジェミラ(Djémila)は、アルジェリアの北東の海岸に近い山村。村の名前はアラビア語で「美しいもの」を意味する。ラテン語名はクイクルム(Cuiculum)といい、西暦1世紀に建設された植民都市だった。(続)
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by monsieurk | 2015-09-03 22:30 | | Trackback | Comments(0)
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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