薄い青色の表紙の『キルメン・ウリベ詩集』は、作者の来日を記念して金子さんが編んだ私家版で、「川(Ibaia)」以下、「海と陸のあいだで(Ez eman hautatzeko)」まで、12篇の訳詩が収録されている。
その金子美奈さんから次のようなメールをいただいた。
「お元気にしていらっしゃいますか? じつは昨年(2013年)9月から、スペイン・バスクの街サンセバスティアンに来ております。まもなく約1年の滞在を終え、8月上旬に日本に帰国する予定です。その前にフランス側(バイヨンヌ、ボルドー)にも少し足を伸ばしてみたいと思っております。
偶然ですが、ちょうど昨日キルメン・ウリベと会ってきたところでした。すでにご存知かもしれませんが、「現代詩手帖」今年3月号に、ウリベの詩が数篇とエッセイが掲載されております。「詩選」に載せたいくつかの詩は少し訂正が加えてあり、新しい詩も一篇追加しました。スペイン内戦で亡命したバスク自治州首班のアギーレについてのものです。もし時間がありましたら、どうぞそちらもご覧ください。以下のページでは、原文を見ながらウリベ自身の朗読を聞くことができます。
http://www.shichosha.co.jp/editor/item_1103.html
添付の写真は昨年秋にウリベの町オンダロアで撮ったものです。町の雰囲気が少しわかるかと思います。」
メールにある通り、金子さんは『詩集』の訳詩のいくつかに手を入れて、「川(Ibaia)」、「見舞い(Bisita)」、「言うことはできない(Ezin esan)」、「言語(Hizkuntza bat)」、「金の指輪(Urrezko eraztuna)」、「もっと、もっと遠く(Aparte-apartean)」の6篇と、新たに訳した、「バスク自治州アギーレ、亡命先にて(Lehendakaria deserrian)」を、雑誌「現代詩手帳」2014年3月号に発表している。これによってキルメン・ウリベの詩に関心をもつ読者に訳詩が届けられたのである。「手帳」には、エッセイ「夏の少年少女」も掲載されている。そして上記のホーム・ページでは、「川」、「言うことはできない」、[見舞い」の3篇のバスク語の原詩のテクストと、ウリベ自身の声による朗読、さらにバスク音楽にのせてウリベが詩を朗読している様子を映像として見ることができる。
詩篇のうち、以前のブログでは「もっと、もっと遠くへ」を紹介したが、今回は、「金の指輪」と新しく翻訳された「バスク自治州アギーレ、亡命先にて」を引用してみよう。
バスク自治州アギーレ、亡命先にて
アギーレは亡命先で、怪物の腹のなかを隠れ家とした。
ナチスから逃れてベルリンへと向かったのだ。
そこならば誰にも見つからないだろうと信じて。
そこで、彼は南米のとある国の領事を名乗る。
そして今、政治集会に何千人もの人々を動員した
あの確信に満ちた男、前線へ向かう若者たちに
カールトン・ホテルのバルコニーから語りかけたあの勇敢な男は
今、たった一人で列車に乗っている。
逃亡の途中でスーツケースをなくし、
そしておそらく、祖国をも失ったのだ。
アギーレは亡命先で、たった一冊の本を
携えている。プルタルコスの『対比列伝』
それだけが夜、眠りにつくときの支えとなってくれる。
彼はある箇所を幾度となく読み返す。
アレクサンダー大王がいかにして、
誰一人手なずけることのできなかった荒れ馬をなだめてみせたか。
大王は馬の耳元でこう言って聞かせたという。
「怖がることはない、たえず背後から
追ってくるあれは、お前自身の影にほかならないのだ」
アギーレは、いつか祖国の人々に向かって、
アレクサンダー大王が馬に言ったのと同じように
耳元で語りかけようと思う。
そっと優しく。「安心しなさい。怖れることはありません。
背後からやってくるあれは、あなた自身の影、
私たち自身の影にほかならないのです。
バスク出身の政治家ホセ・アントニオ・アギーレは、スペイン第2共和政のもとで成立したバスク自治州政府の初代首相となった。だが1936年7月にはじまった内戦で、フランコ将軍率いる叛乱軍が勝利すると、亡命を余儀なくされた。最初はフランスに逃れるが、フランスがナチス・ドイツに占領されると、大戦中は、詩にあるように、しばらくなんとベルリンに潜み、次いでスウェーデンを経由して南米に渡った。その後ニューヨークやパリで、亡命バスク政府を組織し、フランコ総統の独裁政権と戦ったが、故国の地を踏むことなく1960年にパリで客死した。
もう一篇の「金の指輪」は、代々漁師を営んできたキルメン・ウリベの一家に伝わる話しである。
金の指輪
父は海で結婚指輪を失くした。船乗りたちの習慣で、網を投げるとき指が引っかか
らないように、指輪を外して首に掛けていたのだ。
それから何度目かの漁のあと、タラの身をあらっていた叔母は、魚の腹のなかに金
の指輪を見つけた。
指輪を洗い、そこに刻まれた文字と数字をよく見てみた。信じられないことに、それは僕の両親のイニ シャルと結婚の日付だった。
事の次第からすると、父は結婚指輪を飲み込んだ魚を自分で仕留めたのだ。あの広大な海で。
夏の穏やかな夜は、内陸から風とともに思い出を運んでくる。
僕は空を見上げながら、偶然というのは大きな、大きな軌道をめぐる惑星のようだと思う。
ごく稀にしか出会うことのない。
その指輪の話はあまりに出来すぎた偶然だ。でも、それが何だろう。今大事なのは、長年のあいだ、その指輪の話は僕ら子どもの小さな頭のなかで、本当の出来事だったということだ。
夜、海はまるで魚のような輝きを見せる。
星々が鱗のようにきらめき、流れる。
キルメン・ウリベが生まれ育った港町オンダロアは、金子さんが撮って送ってくれた写真で、その雰囲気を知ることができる。