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ムッシュKの日々の便り

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植物の成長ホルモン

 庭の桜は半分葉をおとし、周りには黄色く色づいた葉が散り敷いている。隣のモミジの深紅の葉はまだ枝先に残り、玄関のわきに植えたアジサイの花は疾うに枯れたが、葉は虫に喰われつつもまだ残っていている。

 こうした葉を見るたびに思うのだが、植物の葉には桜のように縁がつるっとしたものや、アジサイのように縁がギザギザのものがある。この葉のギザギザは鋸歯(きょし)と呼ぶそうだが、こうした違いはなぜ生まれるのか。鋸歯だけでなく、植物の花や茎の配置に一定の規則性があるが、こうした植物の形成に周期性があるのはなぜなのか。

こうした疑問を解明した日本人の研究が、イギリスの科学雑誌「ネイチャー・コミュニケーション」に掲載されたという記事が「毎日新聞」の1127日朝刊に載っていた。

 投稿された論文は、以下で読める。


 https://doi.org/10.1038/s41467-025-65792-y

 

研究チームの代表者は奈良先端科学技術大学の特任准教授、池内桃子氏で、研究チームは「EPFL2」というホルモンのように働くペプチド分子に着目した。

植物の成長をうながすホルモンである「オーキシン」の作用を抑える働きをしている。研究チームはシロイヌナズナを使って実験したが、ペプチド分子が少ないとオーキシンが異常に作用して高濃度の場所が増えることで、葉のギザギザが増え、分子が多いとその逆の現象が起きることを突き止めた。

つまり成長を促進する「オーキシン」に対して、ペプチド分子が適切に働いて作用することで、植物の形態をきめていることが分かったという。研究の詳細は上記のhttpで読むことができる。

植物は私たちが想像する以上に、互いにさまざまな信号をやりとりしつつ自らや周囲の植物を危険から守っている。そしてなにより光合成により地球上の生き物に酸素と有機物をもたらしてくれる。それにしても、こうした成長をうながす遺伝子が、種の状態から組み込まれているのはなぜか。この疑問は生物学の範疇をこえているのだろうが、不思議でならない。


# by monsieurk | 2025-12-05 09:00 | 時事

バルザック全集

フランス19世紀の作家、オノレ・ド・バルザックの『人間喜劇』の全作品の新訳全集が水声社から刊行されるという。「バルザック全集」については、戦前は河出書房から16冊、戦後は東京創元社から全26巻が刊行された。いずれも当時のフランス文学者を総動員して翻訳されたものだが、作品の数が膨大なかつ多岐にわたるために、どちらもすべての作品を網羅するに至らなかった。さらに近年では「バルザック 人間喜劇セレクション」10巻が藤原書店から刊行されているが、今回は《人間喜劇》全巻を邦訳する企画で、バルザックを専門にする訳者を起用するという。

バルザックが《人間喜劇》の構想を発表したのは1842年のことである。彼は自らの著作全体を、「19世紀風俗研究」、「哲学的研究」、「分析的研究」に分けて体系化するとし、「ゴリオ爺さん」において初めて「人物再登場法」と呼ばれる手法を初めて用いた。人物再登場法とは、「ある作品の脇役が、別の作品では主人公になる」というもので、これにより《人間喜劇》を構成する作品は相互に関係づけられ、当時のフランス社会のあらゆる階層、あらゆる人間を描くことで、19世紀のフランス社会の実相を描き出すこと目指すものであった。しかし1850年にバルザックは亡くなり、《人間喜劇》を構成するはずの50作品余りが執筆されずに終わった。

 今回の刊行に当たって水声社が出した予告パンフレットを取り寄せてみた。それによると訳出される作品と訳者は以下のようである。

編集責任者の一人、大阪大学名誉教授の柏木隆雄氏は意気込みを、「未完を含めて長短百を超える小説を収めたバルザック《人間喜劇》。その壮大な意図は、作者の構想に従う配列での刊行によって、初めて明らかになるだろう。
 バルザック研究を志した時、実現不可能としか思えなかった配列通りの全訳の夢が、同じ思いの訳者一同の渾身の協力と水声社の英断によって、本邦初の試みとして実現しつつある。私たちの感激と愉悦を共にする多くの読者の方々の支持を心から願い、完結までいっそうの努力を続けたい。」と述べている。

そして各巻の構成と訳者は――

第1巻〈風俗研究〉「私生活情景* ……………………………8作品
 「総序」柏木隆雄/(『子供たち』)鎌田隆行/(『女子寄宿学校』)鎌田隆行/(『学校の内側』)鎌田隆行/『鞠打つ猫の店』澤田肇/『ソーの舞踏会』私市保彦/『二人の若妻の手記』芳川泰久/『財布』岩村和泉/『モデスト・ミニョン』柏木隆雄
第2巻〈風俗研究〉「私生活情景** …………………………10作品
 『人生への門出』多田寿康/『アルベール・サヴァリュス』柏木隆雄/『ヴァンデッタ』大竹仁子/『二重の家庭』澤田肇/『家庭の平和』佐野栄一/『フィルミアーニ夫人』泉利明/『女性研究』加藤尚宏+芳川泰久/『偽りの愛人』加藤尚宏+芳川泰久/『イヴの娘』宇多直久+大下祥枝/『ことづて』片桐祐
第3巻〈風俗研究〉「私生活情景*** …………………………6作品
 『柘榴屋敷』佐野栄一/『捨てられた女』博多かおる/『オノリーヌ』加藤尚宏+芳川泰久/『ベアトリクス』大竹仁子+八木優/『ゴプセック』松村博史/『三十女』芳川泰久
第4巻〈風俗研究〉「私生活情景**** …………………………7作品
 『ゴリオ爺さん』柏木隆雄/『シャベール大佐』大下祥枝/『無神論者のミサ』私市保彦/『禁治産』柏木隆雄/『結婚財産契約』柏木隆雄/(『婿たちと姑たち』)鎌田隆行/『続女性研究』加藤尚宏+芳川泰久
第5巻〈風俗研究〉「地方生活情景* …………………………2作品
 『ユルシュール・ミルエ』加藤尚宏+芳川泰久/『ウジェニー・グランデ』柏木隆雄
第6巻〈風俗研究〉「地方生活情景** …………………………3作品
 『ピエレット』私市保彦/『トゥールの司祭』柏木隆雄/『ラ・ラブイユーズ』岩村和泉+山崎恭宏+柏木隆雄
第7巻〈風俗研究〉「地方生活情景*** ………………………10作品
 『名高きゴディサール』藤林道夫/(『皺だらけの人々』)鎌田隆行/『田舎のミューズ』加藤尚宏+芳川泰久/(『旅する女優』)鎌田隆行/『優れた女性』鎌田隆行/(『変わり者』)鎌田隆行/(『ボワルージュの相続人たち』)鎌田隆行/『老嬢』私市保彦/『骨董室』澤田肇/(『ジャック・ド・メス』)鎌田隆行
第8巻〈風俗研究〉「地方生活情景**** …………………………1作品
 『幻滅』柏木隆雄
第9巻〈風俗研究〉「パリ生活情景* …………………………5作品
 『フェラギュス』多田寿康/『ランジェ公爵夫人』大下祥枝/『金色の眼の娘』泉利明/『セザール・ビロトーの栄枯盛衰史』鎌田隆行/『ニュシンゲン商会』谷本道昭
10巻〈風俗研究〉「パリ生活情景** ………………………5作品
 『娼婦の栄光と悲惨』村田京子/『ド・カディニャン公妃の秘密』芳川泰久/『ファチーノ・カーネ』柏木隆雄/『サラジーヌ』芳川泰久/『ピエール・グラスー』私市保彦
11巻〈風俗研究〉「パリ生活情景*** ………………………2作品
 『いとこベット』柏木隆雄/『いとこポンス』澤田肇
12巻〈風俗研究〉「パリ生活情景**** ……………………12作品
 『実業家』松村博史/(『病院と民衆』)鎌田隆行/『ボエームの王』片桐祐/『ゴディサール二世』山崎恭宏/『平役人』鎌田隆行/『知らぬが仏の喜劇役者』加倉井仁+私市保彦/(『フランス的閑談見本集』)鎌田隆行/(『裁判所の光景』)鎌田隆行/『プチ・ブルジョワ』鎌田隆行/(『学者仲間』)鎌田隆行/(『役者稼業』)鎌田隆行/『現代史の裏面』松村博史
13巻〈風俗研究〉「政治生活情景」 …………………………8作品
 『恐怖時代の一挿話』私市保彦/(『歴史と小説』)鎌田隆行/『暗黒事件』柏木隆雄/(『二人の野心家』)鎌田隆行/(『大使館員』)鎌田隆行/(『内閣のつくり方』)鎌田隆行/『アルシの代議士』柏木隆雄/『Z・マルカス』私市保彦
14巻〈風俗研究〉「軍隊生活情景」 …………………………23作品
 (『共和国兵士』)鎌田隆行/(『初陣』)鎌田隆行/(『ヴァンデ党』)鎌田隆行/『ふくろう党』片桐祐/(『予言者』)鎌田隆行/(『パシャ』)鎌田隆行/『砂漠の情熱』片桐祐/(『移動軍隊』)鎌田隆行/(『執政近衛兵』)鎌田隆行/『ウィーン時代』鎌田隆行/(『宿の主人』)鎌田隆行/(『スペインのイギリス人』)鎌田隆行/(『モスクワ』)鎌田隆行/(『ドレスデンの戦い』)鎌田隆行/(『落伍兵』)鎌田隆行/(『パルチザン』)鎌田隆行/(『遊弋艦隊』)鎌田隆行/(『監獄船』)鎌田隆行/(『フランス戦役』)鎌田隆行/(『最後の戦場』)鎌田隆行/(『エミール』)鎌田隆行/(『ラ・ペニシエール』)鎌田隆行/(『アルジェリアの海賊』)鎌田隆行
15巻〈風俗研究〉「田園生活情景* …………………………3作品
 『農民』佐野栄一/『田舎医者』松村博史/(『治安判事』)鎌田隆行
16巻〈風俗研究〉「田園生活情景** …………………………3作品
 『村の司祭』村田京子/(『パリの近郊』)鎌田隆行/『谷間の百合』柏木隆雄+岩村和泉+山崎恭宏
17巻〈哲学的研究* …………………………………………10作品
 (『現代のパイドン』)鎌田隆行/『あら皮』柏木隆雄+佐久間隆/『フランドルのキリスト』加藤尚宏+芳川泰久/『神と和解したメルモス』泉利明/『知られざる傑作』芳川泰久/『ガンバラ』博多かおる/『マッシミラ・ドーニ』加藤尚宏+芳川泰久/『絶対の探求』私市保彦/(『裁判長フリト』)鎌田隆行/(『博愛家』)鎌田隆行
18巻〈哲学的研究** …………………………………………13作品
 『呪われた子』私市保彦/『アデュー』大下祥枝/『マラーナの女たち』私市保彦/『徴募兵』東辰之助/『エル・ベルドゥゴ』澤田肇/『海辺の悲劇』泉利明/『コルネリュス卿』私市保彦/『赤い宿屋』私市保彦/『カトリーヌ・ド・メディシス 序章』私市保彦/『カルヴァン教徒の殉教』柏木隆雄+林千宏/『リュッジエリの告白』大下祥枝/『二つの夢』私市保彦/(『新・アベラール』)鎌田隆行
19巻〈哲学的研究*** …………………………………………6作品
 『不老長寿の薬』私市保彦/(『あるイデーの生と冒険』)鎌田隆行/『追放者』芳川泰久/『神秘の書 序文』大須賀沙織/『追放者』芳川泰久/『ルイ・ランベール』私市保彦/『セラフィタ』大須賀沙織
20巻〈分析的研究〉 …………………………………………6作品
 (『教師団の解剖学』)鎌田隆行/『結婚の生理学』松村博史/『結婚生活のささやかな不幸』藤林道夫/『社会生活の病理学』松村博史/(『美徳のモノグラフィー』)鎌田隆行/(『十九世紀の美点に関する哲学的・政治的対話』)鎌田隆行

第一巻はすでに発売中で第二巻は12月、以後毎月一冊のペースで刊行され、各巻は400から900ページのボリュームだという。全巻が完結した暁には、壮大な《人間喜劇》のすべてを日本語で読めることになる。期待は大きい。


# by monsieurk | 2025-11-30 09:05 |

三人一緒に

2009年に亡くなった俳優、大原麗子さんを取り上げたテレビ番組、『アナザーストーリーズ 全身俳優1992年の大原麗子』(NHK BS、11 月5日放送)を見た。

彼女は死後数日して自宅で発見されたのだが、弟さんの証言によると、テレビ・デッキには、『チロルの挽歌』(前編、後編が1992411日と18日にNHK総合で放送された)のDVDが差し込まれたままになっていたという。大原さんは、この作品を自分の代表作と考えていたといわれるが、山田太一氏の脚本になる『チロルの挽歌』は、放送当時も時代を反映したテーマで話題となった。

あらすじを紹介すれば――


以前は炭鉱で賑わった北海道のある街。いまは相次ぐ閉山で過疎に悩んでいる。市長の山形(河原崎長十郎)は東京のある電鉄会社から資本参加を得て、テーマパーク「チロリアンワールド」の建設を進め、街の活気を取り戻そうとしていた。

電鉄会社の技術部長である立石(高倉健)は、「チロリアンワールド」の建設と運営の責任者として、短大生である娘の亜紀を東京に残して北海道に赴任してくる。

だがこの街には、家族を亡くした絶望から自殺を企てたところを立石が助けた菊川(杉浦直樹)が住んでいた。しかも菊川は立石の妻志津江(大原麗子)と駆け落ちして、この街へ逃れてきたのである。無口で無愛想な夫に不満を抱いていた志津江は、この街で菊川と衣料品店をひらいて暮らしていた。

立石の出現を知った菊川は、見つかることを恐れ、店をたたんで逃げようと志津江にいう。だがうち志津江は、店の前にいるところを立石に見られ、二人で話をする。志津江は相変わらず表面はぶっきらぼうな立石に落胆するが、アパートで一人暮らしをはじめた立石のために、洗濯をしたり、コーヒーを持って行ったりする。

立石は、妻の志津江を取り戻す意志があることを菊川に伝える。その一方で、事実上の夫婦であるように生活している二人の様子を見て、「チロリアンワールド」の完成を見ずに職を辞して、この地を去ることも考える。

立石たちの事情を知った市長の山縣が、「チロリアンワールド」を完成させたいとの思いから、土地の収用が成功したのを名目に宴会をセッチングし、三人は話し合うことになる。その席には父に会いに東京からやって来た娘の亜紀も同席する。

話し合いの冒頭、菊川は自分が身をひいてもいいと言い、立石も同様な考えを言いだす。すると志津江からは意外な返事が返ってくる。

「わたしは立石も菊川も愛している。いまは無理かもしてないが、もう少し歳をとったら三人で一緒に暮らすことはできないかしら。」

絶句する男たちをよそに、亜紀がいう。「お母さん、いままで少しだらしがない人だと思っていたけど、そこまで考えていたの。わたし見直したわ。」


ドラマの最後は娘亜紀のナレーションで終わる。立石と志津江はまた一緒になって街にとどまり、菊川は一人になって、いままで通り洋品店をつづけ、三人とも街に定住することになる。だが果たしてその後の三人はどうなるのか。志津江が希望した大人のユートピアのような結末に至るのか。

志津江が望むような関係があり得ることを書いたのが、石坂洋次郎の短編小説『最後の女』である。東北の農村に生まれた心身ともに人並み優れた女性が、子どももいる自分の家庭のほかに、妻を亡くした隣村の寡の男に同情して、しばらくその男のもとにいて子どもをもうけ、二つの家庭を両立させる話である。

評論家の三浦雅士氏は、『石坂洋次郎の逆襲』(講談社、2020年)のなかで、母系制家族の例としてこの小説を紹介し、石坂文学の本質を、「主体としての女性」を描くことにあるとした。そして、主体的で芯の強い女性を中心とする母系制家族のシステムが、近代の日本とくに東北地方では深部で脈打っている事実を示唆した点にあるとした。詳しくは当ブログの「初恋の人、江波恵子」(2020.2.12)をお読みいただきたい。


# by monsieurk | 2025-11-25 09:00 |

ちりめん本

115日の午後、NHKETVで「幻の木版画ちりめん本」の放送を見た。かつて館長をつとめた放送大学附属図書館には「ちりめん本」の立派なコレクションがあり、テレビ番組は大変興味深かった。

「ちりめん本」を考案した長谷川武次郎は、嘉永6年(1853)、商家である西宮家に生まれた。

10代のなかば、アメリカの長老派教会から派遣された宣教師クリストファー・カロザースが、東京・築地に開いた英語塾に入塾し、その後は商法講習所でも学んで英語を身につけた。この過程でキリスト教や聖書に心をひかれるようになった。

明治11年(1870年)に母方の親戚である長谷川清七の養子となり、長谷川姓を名のった。このころから長谷川商店を運営することになり、様々な物品の輸入販売を行った。

明治13年には宣教師デビッド・タムソンから洗礼をうけ、興味をもった出版業にも乗り出し、タムソンに依頼して、『欧文日本昔噺』の英語版のシリーズを出版した。日本人の外国語学習のために、馴染みのある昔噺話を、英語、フランス語、ドイツ語に訳し、平易だが品格のある文章と多色刷りの挿画を載せた本を提供しようという意図であった。

しかし多色刷り木版画と外国語の活字印刷を区組み合わせた画期的な本は思ったほどには売れなかった。

そこで長谷川武次郎は明治20年(1887年)になって、江戸時代から続く和紙の縮緬加工を改良した新しい技術で「ちりめん本」を完成させた。

NHKの「幻の木版画ちりめん本」では、長谷川の子孫の家に残されている木版を使って、現代の技術で「ちりめん本」を再現する様子が取り上げられていた。

用いられた版木は、「MOMOTARO(桃太郎)」である。まず幾枚もの版木を用いて、32色におよぶ挿画を刷る。次いで、アルファベットの活字を組んだ英文のテキストを、余白部分に印刷する。こうして出来上がった原紙を、縦に細かい溝のある厚紙の間に挟んで圧力を加え、和紙に細かい皺をつくりだす。

こうした作業を、縦、横、斜めと三回繰り返すと、和紙の上に無数の凹凸が刻み込まれることになる。

これが着物地の縮緬に似ていることから、「ちりめん本」と名づけられることになった。100年近く前に刻された版木を用いて再現された『MOMOTARO』は挿画の色彩といい、現代の鉛活字によるテクストといい、縮緬に似た柔らかな手触りといい、見事な出来栄えに仕上がった。

 日本昔噺のテクストの翻訳には、日本の古典文学の第一人者であるチェンバレンや、ローマ字のヘボン式ローマ字の記述法を考案したヘボン、ジェイムス夫人といった一流の人物があたった。

ラフカディオ・ハーンも「ちりめん本」に興味を持ち、チェンバレンに手紙を出して、長谷川武次郎への仲介を頼んだ。こうして小泉八雲(ハーン)が書いた5冊の怪奇的な昔噺、「猫の絵ばかりをかした小僧の話」、「お団子ころりん」、「不老の泉」、「化け蜘蛛」、「ちんちん小袴」を出版した。有名な『怪談』が出版される6年も前の、明治31年(1898年)のことである。

欧米における「ジャポニスム」の流行の波のなかで、「ちりめん本」は国内だけでなく海外へ輸出されるようになった。英語版以外にも、ドイツ語版、フランス語版、スペイン語、ポルトガル語版など次々に出版され、海外の出版社との共同出版も行った。なかでも一番多いのは英語版で、「Japanese Fairy Tales Series(日本昔話集)」は20冊のセットとして大変な人気を博した。

「ちりめん本」の研究者や収集家は国内外に少なくなく、古書としての価格も高どまりしている。放送大学附属図書館でも、「ちりめん本」のコレクションは、他の稀覯本とともに書庫のなかの防火扉の奥に収められている。


# by monsieurk | 2025-11-20 09:00 |

ギャラリー点

瀧口修造の蒐集家で研究者の土渕信彦氏から、「瀧口修造―東京ローズ・セラヴィ」展の図録と、展覧会の記念に瀧口の随筆を再編集した『ローズ・セラヴィに』(ともに意匠は林哲夫氏)を送っていただいた。

士渕氏は今年20251月に、京都市東山区石泉院町の京町屋を改装して、「ギャラリー点」をオープンした。その開店記念の第二弾として、412日から727日まで展覧会を開いた。

その際につくられたカタログの冒頭に、「展覧会のタイトル「東京ローズ・セラヴィ」は、1960年代前半に瀧口が構想した架空のオブジェの店の名前で、命名したのはデュシャンその人です。」とある。


詩人にして画家の瀧口修造は、日本のシュルレアリスム運動を牽引した人物である。土渕氏によれば、瀧口は1958年にヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーとして訪欧し、各地を旅行した際、スペインのダリの家でデュシャンに紹介された。帰国後、瀧口はデュシャンら12名の美術家を論じた著書『幻想画家論』(新潮社、1959年)を献呈するなどして交流が続いた。

瀧口は1963年頃から架空のオブジェの店を開くという構想を抱き、641月に書簡を送り、レディ・メードの元祖であるデュシャンに、店の名付け親となってくれるように依頼した。このときデュシャンが用いた有名な女性の変名「ローズ・セラヴィ」を例として挙げたところ、あっさりそのまま使用が許可されのだという。

土渕氏は展覧会の開催を期して、瀧口が抱いていた「オブジェの店」を開く構想や、彼が編纂した『マルセル・デュシャン語録』に関するエッセー「ローズ・セラヴィ」に関して書いた文章13篇を再編集して『瀧口修造 ローズ・セラヴィ』を刊行した。そのなかから1篇、「物々控」を抜粋してみる。


「私は世の蒐集家ではない。ガラクタに近いものから、「芸術作品」にいたるまで、すべてが私のところでは一種の記念品のような様相を呈していて、一見雑然として足許まで押しよせようとしている。

それらは市場価値の有無にかかわらず、そこには無関心な独自の価値体系を、頑なにまもりつづけているように見える。

私はそんな「物」たちに、「本」と同じように触れたり、話しかけたりするだろう。

本の幾冊かは、また私にとって市販されている以上の「物」になっている。

しかし近づいてよく見ると、そこに世間公認のカテゴリーから外れたような物たちの一郡のあることに気づく。(中略)

奇妙な話だが、いつの頃からか、私は「オブジェの店」を出すという観念が醗酵し、それがばかにならない固執であると気づきはじめた。いうまでもなく私は企業家や商人とはまったく異なったシステムで、それを考えていたのだ。

私はまずその店名と、看板の文字を、既知のマルセル・デュシャンに依頼すると、彼は快く応じてくれた。こうして、その店の名は“Rrose Selavy”(ローズ・セラヴィ)ということになった。(中略)

こうして、いまは架空だが、「ローズ・セラヴィ」という店の名が、デュシャン自身の命名によって誕生し、いま私は看板を試作中であり、おそらく近日中には少なくとも看板だけは私の書斎に掲げられるだろう。それがまたひとつの物であり、この看板はいったい何を私に照らしだしてくれることだろう。」


フランスの詩人ステファヌ・マラルメは、一時期、究極の「書物(Livre)」がそなえるべき形態について考察をめぐらし、多くの覚書を残した。「本」は印刷された活字を通じてて何かを伝達する役割以前に先ずは「モノ」として存在する。瀧口にとっても同様で、手許にとどまった本、絵、資料をはじめさまざまなモノ(Objet)は、日常の社会的価値や商品価値を離れて、彼の感性と価値観によって選び取られたモノである。


随筆「白紙の周辺」にはこうある。


「私の部屋にあるものは蒐集品ではない。その連想が私独自のもので結ばれている記念品の貼りまぜである。時間と埃をも含めて、石ころとサージンの空缶とインドのテラコッタ、朽ちた葉、ミシヨーの水彩、あるいは「月の伝説」と命名されたデュシャンからの小包の抜け殻、サイン入りのブルトンの灰皿、ムナーリの灰皿、マッチの棒、宏明という商標のある錐――etc, etc. そのごっちゃなものがどんな次元で結合し、交錯しているかは私だけが知っている。

それらはオブジェであり、言葉である。永遠に閉じられず、丁づけされない本。壁よ、ひらけ!」


瀧口の死後、新宿区西落合の自宅に残された一万点におよぶこれらは、いま多摩美術大学の「瀧口修造文庫」、富山美術館「瀧口修造コレクション」、母校慶應義塾大学の「瀧口修造アーカイヴ」などとして収蔵、公開されている。

土渕氏の「ギャラリー点」もその一つだが、店主の情熱を考えれば、ここは「京都ローズ・セラヴィ」と名づけるのが相応しいのではないか。


# by monsieurk | 2025-11-15 09:00 | 芸術
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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