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ムッシュKの日々の便り

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鈴木信太郎巴里日記(1)

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# by monsieurk | 2024-11-30 09:00 | マラルメ

黄昏のビギン

111 日(2024年)の夜1045分から、NHKBSで45分のスペシャル番組「ちあきなおみ~NHK秘蔵映像で贈るデビュー55周年~」を視聴した。39日に同じBSで放送された番組の再放送である。

ちあきなおみは、1992年に夫でプロデユーサーだった郷鍈治(俳優の故宍戸錠の実弟)が病死したのを機に、一切の芸能活動を休止してしまった。それから数えて30年が経つが、いまも彼女の歌声を求める声はあとを絶たない。デビュー55周年を迎えた今年6月、多くの歌がデジタル配信されると瞬く間にヒット・チャートを席巻した。BSの番組では、NHKに残るちあき本人のパフォーマンスを堪能することができた。

彼女の代表曲である、「喝采」、「雨に濡れた慕情」、「矢切の渡し」(細川たかしの歌でも知られるが、もともと彼女の持ち歌である)、「かもめの街」、「霧笛」(彼女が強く惹かれていたポルトガルのファドに日本語の詞をつけたもので、ファドの惹かれる理由を語るトークもあった)、「紅とんぼ」、「紅の花」などが披露された。なかでも感動したのが「黄昏のビギン」だった。

その曲は永六輔作詞、中村八大作曲、水原弘の歌で、東芝レコードから195910月にリリースされたものである。番組で披露されたのは、彼女が活動を休止した1992年にカヴァーして歌った「愉快にオンステージ」の舞台だった。


雨に濡れてた たそがれの街

あなたと逢った 初めての夜

ふたりの肩に 銀色の雨

あなたの唇 濡れていたっけ


傘もささずに 僕達は

歩きつづけた 雨の中

あのネオンが ぼやけてた

雨がやんでた たそがれの街

あなたの瞳うるむ星影


夕空晴れた たそがれの街

あなたの瞳 夜にうるんで

濡れたブラウス 胸元に

雨のしずくか ネックレス

こきざみに ふるえてた


ふたりだけの たそがれの街

並木の陰の初めてのキス

初めてのキス


永六輔の詞は、男女のちいさな物語が展開する洒落たものだが、それに寄り添う中村八大の半音を効かせた旋律、語るように歌う、ちあきなおみの歌唱――至福の4分余りだった。


# by monsieurk | 2024-11-25 09:00 | 音楽

鏡文字

20241026(土曜日)の朝日新聞朝刊の読書欄の紙面づくりには驚かされた。キム・チェリン〈作〉イ・ソヨン〈絵〉の『ふしぎな鏡をさがせ』(小学館)を画家の横尾忠則さんが評した記事が、鏡文字で印刷されていたからである。

記事の上部には、これだけはまともな印刷で、「この書評は横尾忠則さんによるアート作品です。鏡を使ってご覧ください。」と書かれている。注意書きに従って、新聞を上下さかさまにして、記事の上部に鏡を置いて読んでみると――

「画面に鏡の破片をペタペタ張りつけたり、左右逆の鏡文字を絵の中に描き入れた作品に熱中した時期があったので、この鏡について書いた綺麗な絵入りの本に何となく惹かれてしまったのです。」と書き出され、書評の最後は、「いっそのこと、左右逆転の鏡文字で鏡に映して読むのも如何なものでしょう。」と締めくくられている。

評者である横尾さんの遊び心に応じた朝日新聞に感心させられる。おそらく新聞記事としては、これまで類のない鏡文字の使用、版組ではないだろうか。

鏡文字といえば、すぐに思いつくのはレオナルド・ダビンチの手稿で、13,000ページに及ぶノートのすべてが鏡文字で書かれている。

もう一つは、伝説の「シバ(シェバ)の女王」の遺跡とされる城壁に書かれた文字である。

シバ(シェバ)の女王については、旧約聖書の「列王記上」の第10節に、「シェバの女王は主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやって来た。彼女は極めて大勢の随員を伴い、香料、非常に多くの金、宝石をらくだに積んでエルサレムに来た。(中略)ソロモン王は、シェバの女王に対し、豊かに富んだ王にふさわしい贈り物をしたほかに、女王が願うものは何でも望みのままに与えた。こうして女王とその一行は故国に向かって帰っていった。」と書かれている。

このシェバ(シバ)の女王の国は現在のイエメンのアデンの東、砂漠の南方にのびるハドラマウト地方にあったとされる。言い伝えによると、王国の神殿の壁面には碑文が彫りこまれており、それが一行ごとに鏡文字になっている。一番上の行は右から左へ読んでいき、端に達すると、次行は元に戻るのではなく、そこから逆に左から右へと読んでいく。鏡文字はこの合理的なやりかたを示すためのものだという。

シバの女王の遺跡を発見する探検は、19世紀から幾度か試みられたが、探検隊はことごとく殺されてしまい、失敗に終わった。そんななかで立ち上がったのがフランスの文学者アンドレ・マルローだった。

彼の回想録『反回想録』(Antimemoires、竹本忠雄訳)やオリヴィエ・トッドの評伝『アンドレ・マルトー、ある人生』(Olivier Todd: Andre Malraux une vie,Gallimard, 2001)によると、1934年の冬、マルローは飛行家エドワール・コルニグリオン・モリニエールの協力を得て、フランスの植民地、アフリカのジブチからベルム島を経由、アラビア半島のシバの廃墟があるとされるサナーを目指す計画を実行した。コルニグリオン・モリニエールは著名な飛行家で映画製作者としても世に知られた人物だった。

マルロー、コルニグリオン、それにメカニックのメイヤールの三人は、300馬力のエンジンを搭載した単葉機「ファルマン190」でジブチの空港を飛び立った。3月7日午前6時だった。飛行機は時速200キロで飛行し、アラビア半島に達した。


「〔アラビア半島の〕カリドをこえたところから、いよいよ南部の、すなわちシバ王国の大砂漠がはじまっていた。砂漠といっても、北サハラのような、やわらかい砂丘のうねうねとつづく生まやさしい体のものではない。突兀たる岩場がつづいたり急に平坦になったりしながらも、どこまでも荒寥としてもの枯れたそのさまは、まるで白と黄のまだら模様をまとった大地の骸骨といったようで、みるからに物怪めいた陰影に満ち、ただならぬ蜃気楼の跳梁を想像せしめるにじゅうぶんである。」(『反回想録』、103ページ)


彼らが搭乗する機は、シバの遺跡があると思われるサナーの近くに到達した。


「ぐっと降下しながらわれわれは、機体をかたむけて、カフェで夢中になって皿にとりつく子供のかっこうよろしく写真機と取っくみはじめたが、そのうち、しだいしだいに地上の光景がはっきりしてきた。まずわかったことは、眼下の地点がもはや砂漠ではなく見捨てられたオアシスであるということで、耕作のあとも歴然としている。廃墟と砂漠とのつながりは右方だけにかぎられていた。あかるい色の堆積物を地面に盛りたてた、あのどっしりとした楕円形の区画は、寺院の密集だろうか? どうしたら着陸できよう? 片側は砂丘になっているから飛行機は顚覆してしまうだろうし、もう片方は火山質の地帯で、にょきにょきと岩が砂地から飛びでている。廃墟のめぐりは崩壊物がごろごろしている。なおもわれわれは、降下しつづけ、写真をとりつづけた。馬蹄形の墻壁(しょうへき)の内部がまったくのがらんどうであるのは、ニネーヴェ同様、この市邑(まち)も生の煉瓦できずかれたために、やはりニネーヴェ同様、ついに砂漠の土と帰す運命をたどったということだろう。もういちど旋回して、あのどっしりとした中心部のほうへともどってくる。楕円形の塔、いくつかの囲い、立方体の建物などが、ぐっと眼にせまって見えたとたん、暗いしみのようなように廃墟のそとにちらばった遊牧部族(ノマド)テントの上方に、ぱっぱっと、ちいさな炎が炸裂した。あきらかに、われわれめがけて銃撃してきている。」(同書、104ページ)


万一被弾すれば大変なことになる。コルヌグリオンは操縦かんを引いて機を急上昇させるとともに、マレブを目指して東に進路を取った。マレブにいたるとそこで一路進路を南にとり、海に出ると海岸線にそってアデンをめざした。そしてアデンの上空からはアラビア半島をはなれ、海を横切ってジブチの空軍基地へ戻った。

マルローのくわだてから1世紀が経ったが、依然としてシバの女王の遺跡は確定されておらず、鏡文字の碑文伝説は伝説のままである。

現在イエメンでは全土で、政府と反政府勢力のイスラムの過激組織フーシ派との間ではげしい戦闘が行われており、日本政府はいかなる目的であれイエメンへの渡航の中止勧告を出している。

今年7月、シーア派はガザやレバノンを攻撃するイスラエルに対してドローンによる攻撃を行い、これに対してイスラエルもフーシ派の拠点を空爆した。いまイエメンは中東でもっとも危険な地域で、外部に対して門戸が閉ざされた状態にある。


# by monsieurk | 2024-11-20 09:00 | 芸術

夏時間終了

フランス(EU・ヨーロッパ連合全体)の夏時間が、1027日(日曜日)の午前2時に終わった。

20243月の最終日曜日の午前2時にはじまり、7カ月間、日本との時差が7時間だったものが、これで標準の8時間(日本が先行する)に戻ったわけである。

時間の変更は具体的にどうするかといえば、1027日午前2時に、フランス全土(EU)の時計の針を午前1時に戻すのである。ただコンピュータに関しては、ほとんどが自動的に変更する仕組みが組み込まれているので、朝起きたときは変更されていることになる。

わたくしどものように、娘や孫たちが南フランスのトゥルーズとパリに住んでいるので、夏時間開始と終了の前後では、連絡を取る時間に気をつかわなくてはならない。1時間の時差のちがいで、まだ寝ているところを起こしてしまう失敗が何度もあった。

夏時間(英:summer time、米:daylight saving time)にはさまざまな話題がある。アメリカの博物学者ベンジャミン・フランクリンが、夏に早く起きることで蝋燭が節約できるという考えを、1784年に新聞に投稿したのが議論のはじまりだという。

国単位で夏時間を実施したのは、ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国が、第一次世界大戦の最中の1916430日から、石炭の消費量を減らすために実施したのが最初であった。

第一大戦はさまざまなものをもたらした。腕時計の発明もその一つで、ドイツ帝国陸軍は戦場での作戦を密にするために、兵士に小型の腕時計をもたせることにした。そのためスイスの時計製造業者に大量の製造を発注し、それがスイスの時計生産の基となったとされる。

ヨーロッパの夏時間は第一次大戦の終結とともに廃止されたが、第二次大戦後も実施された。日本でもGHQの命令で、1948(昭和23)4月から8月まで行われたが、4年後には廃止された。

パリに住んでいたときは、夏のあいだいつまでも日が暮ず、一日が長かった記憶がある。

夏時間の功罪については、色々といわれている。効果の第一にあげられるのは、明るい時間を有効につかえて、エネルギーの節約になることである。さらには経済活動の時間が多くなり、また余暇の時間がふえて日常生活が充実する。それとは裏腹に寝不足による健康への悪影響を指摘する声も多い。実際にフランスで夏時間を経験した身としては、連日の睡眠不足がたまって仕事の効率が落ちるのを実感した。

さらには時刻の切り替えのときに、交通事故が増えるという調査も報告されている。

EU・ヨーロッパ連合とスイスでは、夏時間の採用で期待される省エネルギーの効果が乏しく、市民の84パーセントが廃止を望んでいて、20189月には、ヨーロッパ委員会は夏時間の廃止を決めた。しかし加盟国の全部の意見が一致せずに、夏時間はいまも続いているのが現状である。

ヨーロッパでの2024年の冬時間がはじまって3週間、日本との時差8時間にようやく慣れたこのごろである。


# by monsieurk | 2024-11-15 09:00 | フランス(生活)

思想の秋,あたまのなかの秋

 今年5月に刊行された杉本秀太郎『魂の花びら、思索の文様』を楽しみながら読んでいる。出版したのは四明書院で、山本康氏が白水社を退社後に起こしたところで、570ページをこえる選文集である。

 四明書院が出した同形の本はこれが二冊目で、最初は201111月に刊行した、評論家吉田秀和氏の『言葉の菩フーガ 自由に、精緻に』だった。これが刊行されたとき、杉本秀太郎氏がとり上げた文章がある。地方の出版社の本を紹介する機関誌「アクセス」の201231日付け422号に載ったもので、最後はこうしめくくられている。


 「これを出版した四明書院の主人・山本康氏は、白水社勤務中に、ほかならぬ『全集』の編集を果たした人である。著者の白寿(九十九歳)を祝う心でこの本を新たに編集し、いかにも「本」らしい堅牢で美しい六百頁(一段組)の大冊にまとめ、破格の廉価で出版、四明書院主のこの志に感じた人は、かならずや手元にこれを置いて下さることだろう。読者を欺かない充実した一巻である。」


 この紹介文は同じ装丁、角背、ホローバック綴じの『魂の花びら、思索の文様』にそのまま当てはまる。

このアンソロジーには、氏の出世作である「太田垣蓮月」や「伊東静雄」などの文学評論、京町屋の代表である杉本家の四季のうつろいを綴った「洛中生息」、「コロー・ミレー・ピサロ」や「ルーベンスの趣」などの美術論が収められている。なかでも有難いのは、杉本氏の独特の視点から論じられるボードレール論が多くが集められていることで、「『悪の花』という台本」、「ボードレール 「読者に」の位置」、「ボードレール 「照応」 隠し絵」、「ボードレール 「異郷の香り 詩と音楽のあいだ」、「ドビュッシー(『鶉衣』、印象派、世紀末絵画、ドビュッシーの自然、ボードレール)」、「ハイドンの手紙」の6篇を読むことができる。

杉本秀太郎氏の「悪の花」に関しては、当ブログの「「悪の華」の翻訳(5)(2023615)で触れたことがある。ここでは「『悪の花』という台本」を再読してみる。初出は「一冊の本」朝日新聞社、19984月号である。

 杉本氏は、『悪の花』(彼はあえて従来の「華」ではなく「花」を用いている)の詩篇は、「芝居の掛小屋を想定して書かれたものとして、あるいは役者が演じつつ唱える独白の台詞、あるいは舞台回しの道化役者が観客だけに告げる傍白の台詞、あるいは座付き詩人が音吐朗々と物語れば、役者がそれに合わせてパントマイムを演じるための台詞、あるいは役者同士、ときには役者と道化が掛け合いでいう台詞・・・そのように考えて『悪の花』全篇にこの考えをおよぼせば、邦訳『惡の華』には見えなかったものが見えてくる。」(同書、299ページ)と書いている。

 氏はこうした視点から「悪の花」を読みなおし、そのうちの46篇を翻訳して、彌生書房の「世界の詩」シリーズの一冊として1989年に刊行した。この訳書では、従来の翻訳で踏襲されてきたのとは異なる訳語が少なからず見受けられる。

これについて、「思い込みは先入見に起因することが多い。邦訳『悪の華』のどの版本を開いても、判で押したように同じ訳語が当てられていて、しかもそれが読み違いという、私の気付いた一例を、有名な作中から拾ってみる。」として、「敵(かたき)」の最初の2節を取りあげている。


私の青春は不可解な雷雨の一時(ひととき)にすぎなかった。

さなかにも、ここかしこにきらきらと陽が射していた。

この荒天に叩きのめされ、ごくわずかしか残っていない、

私の果樹園に照り映える果実のごときは。


こうして私が触れたのは、あたまのなかにあるだけの秋だった。

だからシャベル、熊手を使って水の下から

土をあらためて掘り起さなくてはならない。

あたりは雨水のおかげで、墓穴のように大きな窪(くぼ)がいくつもできている。


この訳が発表されたのが19894月で、4カ月後の8月に刊行された『惡の花』(彌生書房)では若干修正された。

まずタイトルを「付け狙うもの」とし、詩の本文は、


私の青春は不可解な雷雨のひとときにすぎなかった。さなかにも

ここかしこ、きらきらと陽が射すことがあった。

この荒天に叩きのめされ、ごくわずかしか残っていない、

私の果樹園に、照り映える果実のごときは。


こうして私が手に触れたのは、あたまのなかにある収穫の秋であった。

だから今、シャベル、熊手で水の下から

土をあらためて掘り起こさなくてはならない。

あたりは雨水のおかげで、墓穴のように大きな窪がいくつもできている。 


 フランス語の原テクストを引用すれば、


 L’ENNEMI

Ma jeunesse ne futqu’un ténébreux orages,

Traversé ça et là par de brillans soleils;

Le tonnerre et lapluie ont fait un tel ravage,

Qu’il reste en monjardin bien peu de fruits vemeils.


Voila que j’ai touchél’automne des idées,

Et qu’il fautemployer la pélle et rateaux

Pour rassembler à neuf les terres inondées,

Ou l’eau creusedes trous grands comme des tombeaux.


杉本氏が問題視するのは、第21行目の〈l’automne des idées〉の訳である。氏も参加した京都大学人文研究所の多田道太郎編『「悪の花」注釈』(平凡社、1988年)では、この詩の訳と注釈を竹内成明氏が担当し、


今はすでに、思想の秋。

そしておれは、シャベルとくわを手に、

泥濘(ぬかるみ)化した土をかきあつめねばならぬ。

墓地のように、大きな穴ぼこがあいているのに。


と訳し、「l’automne des idées〈思想の秋〉:果実(作品)の収穫の秋であり、かつ成熟の終り、凋落の秋でもある。詩人の「思想」はすでに熟している。取り入れの時節でもある。にもかわらず、自分の「庭」にあるのは、わずかばかりの「赤い実」に過ぎない。知的成熟は、みすぼらしい結実(作品)を生み出しただけである。」(同書、130ページ)と注釈している。

だが杉本氏は、これまでの『惡の華』の既訳のほとんどが「思想の秋」としているところが誤訳だというのである。


「「あたまのなかにあるだけの秋」(l’automne des idées)は、「思想の秋」あるいは「思念の秋」と訳されてきた箇所である。そして「私」は自己の思想の凋落期にかかっているという宣言として、この詩句は解釈され、はてしなく原義を逸脱してゆく。ボードレールあるいはこの「敵」という詩を語っている「私」は、凋落悲愁の秋ではなく、収穫の秋、みのりの秋を話題にしている・・・」(同書、300ページ)


要は、詩でうたわれる「秋」を、「実り豊かな収穫の季節」ととるか、「冬を前にした凋落の季節」と考えるかである。杉本氏の解釈では、秋は本来実りの季節なのだが、ボードレールあるいは詩の語り手の果樹園では、成熟をもたらす季節を襲った風雨のせいで実はわずかしかなく、本来の豊かな秋の姿はイデー(観念)のなかにしかないというのである。杉本氏はそれを「あたまのなかにある収穫の秋」と踏み込んで訳したのだった。

最後にタイトル「敵(l’ennemi)」について。

これについてもさまざまな解釈があるが「時間」とする説が有力である。これに対してボードレールの個人全訳をはたした阿部良雄は、「心身に巣食って「心臓」(「心」をむしばむ「隠密な〈敵〉とは、正体の分からぬだけに無気味な存在と思うべきであり、強いて言うならば、精神・肉体をともにおびやかす「病毒」であろう。」(阿部良雄訳『ボードレール全集』Ⅰ、筑摩書房、483ページ)としている。

ちなみに阿部訳では、問題の個所は「観念(イデー)の秋にさしかかった私」となっている。


# by monsieurk | 2024-11-10 09:00 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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