日常礼賛
フェルメールの3点は、《手紙を読む青衣の女》(1663-64年頃、アムステルダム国立美術館)、《手紙を書く女》(1665年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)、《手紙を書く女と召使》(1670年頃、アイルランド・ナショナル・ギャラリー)で、いずれも日本初公開である。《青衣の女》は、アムステルダム国立美術館で修復作業が行われてから、初めて海外で展示されるもので、かつてアムステルダムで観たときよりも、女性が着ているゆったりとした服の青色が鮮やかさを増していた。
《手紙を書く女と召使》は、かつてアイルランドでカトリックとイギリス国教会との間の激しい紛争が行われていたころ、その取材でダブリンを訪れた折に、きな臭い取材の合間を縫って観にいったことがあり、なつかしさも一入であった。近年、フェルメールの作品ははるばる招聘され、日本にいながら観ることが出来るが、世界各地に散らばった作品(現存するフェルメールの作品は36点ほど)が一堂に会する機会は滅多になく、その意味でも貴重な展覧会である。
一緒に観てまわった知人は、フェルメールの3点が想像していたより小さいことに驚いていた。事実、今回の3点同様、オランダ・ハーグの「マウリッツハイス美術館」に所蔵されている《真珠の首飾りの少女》は44.5×39cmで、同美術館の《デルフトの眺望》の96.5×115.7cmというのが例外的なものである。
展覧会では、ピーテル・デ・ホーホ、ヘラルト・デル・ボルフ、ヤン・ステーンといった名手の絵が多数展示されていて圧巻だった。なかでもヘリット・ダウ(Gerrit Dou)の初めて観た2点、《執筆を妨げられた学者》と《羽根ペンを削る学者》に魅了された。初見なのも道理で、いずれもニューヨークに住む個人の所蔵とのことである。
ダウは1613年にライデンで生まれ、最初は版画やガラス彩色を学んだが、15歳のときにレンブラントの門弟となって、有名なレンブラント工房で3年間修行した人である。初期の作品にはレンブラントの影響があるが、やがて細密描写の技術を身につけて、独特の世界をつくりあげた。
今回の2点はいずれも描かれる人物が一瞬示した表情や感情を封じ込めた作品で、《羽根ペンを削る学者》は、執筆の前に羽根ペンの先を削る学者の表情を克明にとらえている。口の端に皺をよせ、鼻の先にずりおちた老眼鏡ごしに、ペン先に視線を集中する学者先生の熱中ぶりは観るものの微笑を誘う。
ところで17世紀のオランダで、なぜこうした肖像画や日常生活を題材にした絵が多数描かれたのか。それについてはツヴェタン・トドロフ(Tzvetan Todorov)が、"Eloge du Quotidien"(邦訳『日常礼賛』、白水社、2002)で、オランダの人たちがプロテスタントを信仰していたことが大きな理由だと述べている。
トドロフによれば、オランダ・プロテスタント教会では聖像破壊の動きが高まり、そのおかげで絵画が宗教に従属する鎖を断ち切ることができ、またプロテスタント教会は信者を世俗的な生活から切り離すことがなかったから、日常生活の価値が高められていったというのである。
そしてもう一つ、当時のオランダにあっては、東方貿易やチューリップの栽培で富を得た市民たちが出現し、彼らがこぞって自分や家族たちの肖像を描かせたのである。しかも彼らは宗教画のように無機質な背景ではなく、室内や家の中庭や職場で、普通に生活する姿で描かれることを望んだ。
こうして多くの肖像画や風景画が生まれ、レンブラント、ヤン・ステーン、ダウ、フェルメールの日常生活を賛美する絵が残されることになったのである。展覧会は京都のあと、東京などでも開催されるという。