「幽幽自擲」ふたたび
渡邊先生はご自身の本や友人、後輩たちの本の装幀を数多く手がけられたが、これにはそうした装幀を中心に、若いときから親しんだ油絵、パリ・スケッチ、そして、ラブレー研究の余暇に、ラブレーが理想郷とした「テレームの僧院」のある想像上の島を石膏で作った作品などの写真が多く収められている。
作家の中野重治は渡邊先生の装幀について、こんな裏話を披露している。
現物に即いての判断ということでは儲けものをしたこともある。自分の本の装幀を六隅許六に頼んだのがそれで、そのときの私は、この六隅が渡辺の仮りの名なことを夢にも知らぬでいた。とにかく私は、六隅許六という装幀者の名をどこかで知っていた。たった一冊で知ったのではなくて二冊くらいから知ったのだったかも知れない。それはほれぼれとさせる質のものであった。六隅という名の画家を私は知らなかったが、またこの珍しい名が仮名のように見えぬこともなかったが、そんなことはどっちでもかまわない、『楽しき雑談』の装幀をどうするかと問われて、私は筑摩に六隅氏に頼んでみてくれないかと答えておいた。今考えて、どうやら筑摩は六隅=渡辺の事実関係を知っていたのではなかったかと思う。私があまりにてんで知らぬものだから、筑摩の方で言い出しそれなりけりになったのだったろう。とにかく六隅氏は承知してくれたということだった。やがてそれが出来てきた。それは願ったり叶ったりで私に気に入った。六隅許六の手になるこの装幀は、丸いテーブルを貴婦人や僧侶、あるいは信者とおぼしき人たちが囲んで会食をしている図である。教え子である大江健三郎の『われらの時代』(中央公論、昭和34年)では、丘の上に立つ折れた十字架と、こちらを見つめる一つの目が描かれている。
先生の自刻印については、本の最後に「印刻について」として、17個の印の写真が紹介されているが、残念ながら印面は分からない。ただ編者の串田孫一氏は、「なかでも晩年によく使われた『幽幽自擲』は先生らしい印である。これを押して手渡されたときの表情が忘れ難い。 / 先生の印は自由であって、面倒な約束事の多い篆刻とは自から異なるものである。従って先生らしい面白さが伝わってくる。」と書いている。
探せばまだまだ渡邊先生の刻印のある本が出てくるかもしれない。ちなみに林哲夫氏には近刊の拙著『思い出しておくれ、楽しかった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』の装幀をお願いした。これは掛け値なしで素晴しい表紙に仕上がった。店頭に並んだときはぜひ手にとってご覧いただきたい。