ムッシュKの日々の便り

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As time goes by (2)

 「リスボン行きの飛行機は渦巻く濃いカサブランカの霧の中を遠ざかり、夜の闇へと消えた。空港は北アフリカの深い闇に包まれていた。唯一の明かりは司令塔の天辺から出て回転した照明だった。フランス植民地警察の車のサイレンが夜のしじまに消えて行った。静かで、風の音だけが聞こえた。
 霧でその姿はほとんど見えなかったが、二人の男は並んで歩きながら、空港から、街から遠ざかり、不確かな未来へと歩きだしたところだった。
 “・・・美しい友情のはじまりだ”、リック・ブレインは歩きながら煙草を一本引き抜いた。帽子を目深にかぶり、湿気のためにトレンチ・コートをぴったりと着込んでいた。リックはいままでになく静かな気持だった。いまやったばかりのことを考えてみて、そう感じた。
 彼のわきを歩いている背の低い男がつぶやいた。“いずれにせよ、ヴィクトール・ラズロとイルザはいまリスボンに向っているよ。”ルイ・ルノーが言った。」(7頁)
これが『カサブランカ』の続編、ウォシュの“As time goes by”の書き出しである。リックは経営していた店を、従業員をそのまま引き受けるという条件で、アラブ人の商売敵フェラーリに売って、ルノーとともにカサブランカを脱出し、ラズロとイルザの後を追ってリスボン経由でロンドンへ向った。
 ロンドンでは変名を使っている二人をなかなか探し出せなかったが、イギリス戦争相の直属の部下である諜報部のマイルズ少佐のもとで再会する。イギリスはチェコを占領しているナチス国家保安本部長官で、ボヘミア・モラヴィア保護領総督ラインハルト・ハイドリッヒを殺害する目的でチェコの抵抗運動を支援し、ラズロとイルザをチェコへ潜入させる作戦をたてていた。
 ルノーはユーゴスラビアのチトーがドイツ軍の責任者を暗殺したとき、その仕返しに大勢のユーゴ市民が殺された例をあげてこの作戦に異議を唱え、リックもイルザを危険にさらすことになると反対する。だがイルザは、チェコへ行くのはラズロに頼まれたからでも、イギリスのためでもなく、自分が望むからだとリックに告げる。ノルウェーの国防大臣だった彼女の父は、1940年4月、ヒトラーが故国を侵略したときに、自宅に侵入してきたドイツ軍兵士によって母とともに射殺されたのだった。
 こうしてラズロ、イルザ、リック・ブレイン、そしてルノーはチェコに潜入して、地下組織と協力してハイドリッヒ殺害の行動を開始する。イルザはロシア生まれと偽ってドイツ軍の国家保安本部に採用され、やがてその美貌に心奪われたハイドリッヒに近づくことに成功する。
 しばらくしてハイドリッヒの行動日程が彼女から伝えられるようになる。だがそれは彼女に二重の危機がおよぶことを意味していた。一つは彼女の正体が分かってしまう危険であり、もう一つは彼女に夢中のハイドリッヒからいつまで身を守れるかであった。事態は切迫していた。
 ようやく決行の日がやってきた。イルザからの連絡で、1942年5月27日の朝、ハイドリッヒがプラハ城の保安本部から外出することが分かり、そのとき襲撃することに決まった。朝、彼ら地下組織のメンバーたちとともにそれぞれの持ち場で待機した。ハイドリッヒが乗ったメルセデスが護衛に守られてやってきた。だが予期せぬことに、彼の隣にはイルザが同乗させられていたのである。
 銃撃の音が聞こえた。なんとしてもイルザを助けなくてはならない。リックは全力で走った。ラズロも突進していた。彼も車のなかの彼女に驚いたはずだが、顔にはそうした感情を一切あらわさなかった。
 「メルセデスはカレル橋へ向うために右折れしようとして停車寸前まで速度を落とした。ラズロはすぐ近くまで迫った。
 “駄目だ”と、リックは彼に向って全力で駆け出しながら叫んだ。
 “ヴィクトール”、イルザが大声で言った。“急いで”、彼女はハイドリッヒを強く引っ張り、彼は倒れそうになった。
 ハイドリッヒはピストルを抜いた。リックは、彼がラズロを撃つだろうと考えた。だがナチはイルザにピストルを向けた。
 運転手やボディーガードが反応する前に、リックが車の中に飛び込んだ。
 リックはハイドリッヒがイルザを撃とうとした瞬間、彼を殴りつけた。
 同時にラズロが走る車のフロントに飛び乗ると、爆弾を後部座席に投げ込んだ。
 十秒・・・
 リックは床に転がっている爆弾に飛びついた。それを見たヴィクトールは、彼がなにをしようとしているかを咄嗟に理解した。“どけ”と彼は叫びながら、車のフロントによじのぼった。混乱したハイドリッヒは、リックをやるかラズロをやるか一瞬ためらった。
 九秒・・・
 イルザは仰天した。なぜリックはハイドリッヒを殺そうとする夫を止めようとするのか。彼女を止めようとするのか。“リック、駄目!”、彼女は叫んだ。
 八秒・・・
リックは抵抗メンバーがフロント・シートの連中にむかって発砲する音を聞いた。・・・
 四・・・
 “さあ!”、リックは叫ぶと、イルザの足を強くたぐった。
 三・・・
 ラズロは片手をハイドリッヒの喉にまわして、もう一方の手で銃を彼の鳩尾に当てた。ハイドリッヒのナイフがきらめいた。
 二・・・
 “ヴィクトール!”、イルザが叫んだ。
 “飛ぶんだ!”、リックが大声でどなった。
 ヴィクトールがハイドリッヒの腹を撃った。ハイドリッヒはヴィクトールの心臓を刺し貫いた。
 一・・・
リックとイルザは車の外に飛び出した。転がりながら彼は腕で彼女を抱き、全力で転げて車から遠ざかろうとした。
 ゼロ。
 爆発でメルセデスは跳ね上がり、車輪が空中に吹き飛んだ。それはまるで子どものビックリ箱のようだった。リックは頭を路面にしたたか打ちつけた。手をあげて顔を防いだ。そしてイルザをちらっと見た。彼女は石壁のもとにぐったりと横たわっていた。
 ガラスや金属の破片が空から降り注いだ。肉の焼ける臭いにまじってゴムが焼ける強い臭いが鼻をついた。」(382-384頁)この襲撃は史実のとおりで、ラインハルト・ハイドリッヒはこの日の襲撃で瀕死の重傷を負ったのだった。
 ラズロもルノーも、その他大勢の同志が死んだ。ナチスの外相ゲベルスは、報復のためにベルリンで逮捕されたユダヤ人500人の処刑を命じ、3000人のユダヤ人がアウシュビッツ収容所に送られた。
 ラズロの遺体は見つからなかった。リックとイルザは地下組織メンバーの助けで、プラハ近くの農家に匿われ、そこでイギリスから飛んでくる手はずの飛行機を待つことになった。だがイルザは一人部屋にこもったきりで、リックに会おうとせず、口もきかなかった。リックは辛抱強く待った。
 十日目の夜、彼は何度目かにイルザの部屋のドアを叩いた。驚いたことにドアが開いた。リックはようやく自分の取った行動を説明し、考えていることを明かすことができた。
 「“最初からすべては仕組まれている、と言ったルイが正しかったらしい。イギリスは自分たちのことだけを考えているんだ。どうやってこの戦争から抜け出すか、ヒトラーを倒すためならなんだってやる。そうするのは当たり前だ。彼らは人間なんだから”、彼は息をついた。“われわれだってそうさ”
 “でも目的はどう”、とイルザが訊ねた。彼女の眼は柔らかな色を湛えていた。“私たちみなが信じた目的は”
 “彼らにだって信じている目的はあったさ”、と彼は言った。“私たちが目的をもっていたのと同じことだ”
 “ヴィクトールは彼が信じたもののために死んだのよ”と、イルザが言った。彼女の声はまた熱を帯びた。
 “彼は君が死ぬことも望んでいた。だが僕にはできない。きっとそれが彼と僕の違いだよ”
 “もし必要なら、私は死ぬ覚悟でいたわ”
  衝動的にリックはイルザを腕のなかに抱きしめた。“僕には君を死なせることは出来なかった。もうずっと前から、あることのために僕は死ぬのを望んでいると思ってきた。そして君に出会った。君が僕に命を返してくれたのだ、イルザ、僕は命をなくしたと考えていた。でも君のおかげで生き返った。生きることが意味をもったのだ。”・・・
 “君なしには生きてはいけないんだ、イルザ。そうできると思い、努力してみた。でもできなかった。パリの後も、カサブランカの後も、そして今も、永遠に。”
 彼がしっかり抱きしめると、“ああ、リチャード”と、彼女はつぶやいた。“私がどれほどあなたを愛しているか分からないの”」(396-397頁)
 イギリスのマイルズ少佐は約束通りに小型飛行機を送ってきて、彼らはそれでロンドンに運ばれた。そして7カ月後、リックとイルザは別の飛行機でカサブランカに降り立った。1942年11月8日、連合国軍は北アフリカに上陸した。それはドイツ軍の最後の始まりだった。アラブ人のフェラーリは撤退するドイツ軍とともに姿を消したが、店は全従業員とともに営業を続けていた。「リックのアメリカン・カフェ」というネオン・サインももとのままだった。
 ロンドンで結婚した二人は店に戻った。イルザはサムに言った。「まだ覚えている?サム、As time goes by を弾いて」。彼が弾きはじめた。イルザはスーツケースを開けると、パリの最後の日に着ていた青い色のドレスを取り出し、「これを私に着せてみたい」とリックにきいた。
 「いや、いまはまだだ。パリに戻るときまで待とう。来年は無理かもしれないが、でももうすぐさ。」
 マイケル・ウォルシュの小説は、『カサブランカ』好きの空想をかき立ててくれる。
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by monsieurk | 2011-10-03 01:06 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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