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マラルメの「書物」

 19世紀フランスの詩人ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé) は、難解な象徴詩の作者として知られるが、同時に書物についても強い関心をもった文学者であった。
 マラルメは1891年に、新聞「エコ・ド・パリ」の文芸担当記者ジュール・ユレ の質問に答えて、「世界は美しい一巻の書物に帰着するように創られている」と語っている。そしてこの4年後には、雑誌「白色評論」に掲載した「書物、精神の楽器」という評論のなかで、この公準を多少変化させて、「この世界において、すべては一巻の書物に帰着するために存在する」と書いている。
 マラルメはこうした表現を単なる比喩として用いたのではなかった。彼は世界が帰着すべき「書物」を実現することを真剣に考えていたのである。その証拠に、1873年頃から「書物」についての折々の考察を紙片に書きつけ、そのうちの250枚ほどが死後に残された。この草稿も他の未定稿と同様に、死を目前にしたマラルメによって、焼き捨てるように遺言されたが、幸いにも保存されたのだった。
 黒インクや鉛筆で書かれた覚書が書つけられた紙片は、二つ折りにした六角形の装飾のある大きな青い紙の間に挟まれてあった。それらの覚書には、彼が目指した書物が充たすべき条件についての具体的な検討の跡が示されていた。覚書は最初、Jacques Schererによって、『Le “Livre” de Mallarmé』(Gallimard、1957)として、解説とともに刊行された。覚書はその後、Bertrand Marchalの編纂になる2巻本の『Mallarmé: Œuvres complètes Ⅰ』(Bibliothèque de la Pléiade、1998)に、258枚の覚書が発表された。
 マラルメによれば書物は人類の永遠の記念碑として構想されるべきであり、堅固で、荘重なものでなければならない。したがって熟考された構成法に則らないものは、書物の名にふさわしくないとして、書物がどのような大きさと形態を備えるべきかを本気で研究したのである。覚書では書物がもつべきさまざまな条件について、繰り返し計算が行なわれている。
 これと同時にマラルメは、書物が石造りの記念碑のように不動であってはならないとも考えていた。そこに読者の参加する余地があり、読者が「自由に扱える」と感じない限り、書物は読者のものとはならず、成立の条件の一つを欠くことになると述べている。では書物が、一見正反対のこうした要求を充たすにはどうすればよいか。マラルメはこれを解決するのに、運動の概念を導入する。一般的に書物は決まった順序に従って、ページを開きつつ読み進められる。だがマラルメはこの常識を覆そうとしたのである。
 彼が構想する書物は、1、2、3、・・・ と、定められた順番に綴じられてはおらず、詩句(マラルメが考えていたのは、おそらく韻文形式のものであった)が印刷された複数の紙片は、自由に順番を変えることが出来るようになっていた。読者は自分で自由にページを入れ換え、幾通りにも読むことができる。つまり彼の目指す書物は、書物を構成する紙片の数の順列組合せの数だけ、読み方があることになる。
 残された覚書からはさらに、こうした書物を、1人の読み手が聴衆を前にして朗読する「講読会」を、マラルメが考えていたことがうかがえる。この講読会は、複数の招待者を前にして、1人の講師が書物を朗読し、その解読を行う集まりである。講読会にはマラルメが「招待者」、「出席者」、あるいは「聴衆」と呼ぶ一定数の人びとが招かれ、これらの聴衆を前にして読み手が登場し、読み手は紙片を朗読し、解釈を施し、そして紙片を組み換える。このように1回の講読会は、幕間をはさんで前後2回行われ、しかも1年間にこうした講読会が数回開かれることになっている。
 そしてこの書物を操作する者は、書物の単なる読み手でも注釈者でもなく、彼が行うのは論証であって、書物に秘められている真理を招待された人びとに理解させようと努める。そのために、彼は繰り返し書物を構成する紙片を組み換え、そうして得られた千変万化するテクストから、宇宙の隠された真理を導きだそうとするのである。
 マラルメはこうした形式をもつ書物を夢想し、それが出現したときは、一冊の書物はまさしく世界を包摂することが出来ると考えたのだった。ただ残された覚書では、この書物に盛られるべき内容についてはほとんど語られていなかった。
 マラルメが夢想した書物の形式と、それを解読する講読会はごく少数の選ばれた人たちを対象に行われることになっていたが、それは彼が生きた19世紀半ば以降、フランスをはじめとするヨーロッパでは、印刷技術の発展と出版を産業化しよとする出版者の出現で、書物が急速に大衆化しつつあったことへの詩人の反撥がこめられていた。
 こうした普及本の出現に背を向けるように、マラルメはアメリカの詩人エドガー・アラン・ポーの長編詩「大鴉(Corbeau) 」の翻訳に、画家のエドゥアール・マネ に頼んだ挿画を添えた豪華本を240部印刷して、1875年にレスクリードという小さな出版社から刊行した。だがこの豪華本は売れ残ってしまった。書物の世界でも大量生産、大量消費の時代が到来していたのである。
 
 マラルメの「書物」についての覚書の紹介と分析は、「変動する書物」(『マラルメ探し』、青土社、1992年)で行っている。ぜひ参照していただきたい。
by monsieurk | 2011-10-14 00:55 | マラルメ
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